北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

スローライフ講演~江戸の将門様

2008-02-02 23:32:16 | Weblog
 朝一番で掛川へ向かいました。今日から明日にかけて掛川で行われるスローライフのイベントへ参加するのです。

 本当は明日のスローサイクリングのために、自分の自転車を持って行こうとしたのですが、今回は断念して借りることに。行く先に自転車があるのなら無理はしないことにします。

 今日の私のお仕事はちょっとは人生の役に立つような講演会。東京で単身赴任を始めてから自転車で巡り続けた東京を神社の世界から眺めて、今に生きている日本民族の信仰の心について考えてみました。

    ※    ※    ※    ※

 転勤の多い私としては、新しい職場や任地へ赴いたときはまず地域の神社に挨拶をしてから始めるのですが、これは建設省の先輩からの教えが心に残っているから。

 その教えとは「新しい土地へ行ったら、そこの一番の神社へ行って挨拶をしてから仕事を始めると良いんだ。我々のように土や川を動かすことを仕事にしているものには、生き物の住みかを奪ってしまうことも多い。そのことに畏れを感じて神社へ挨拶に行くんだよ」というもの。

 それ以来、古事記や日本書紀を読んだり神道の世界に触れる機会が多くなり、国民の信仰とは何か、ということについて考えることが多くなり、時間があればその土地ごとの神社を巡ることが多くなったのです。

 そして現代都市の東京にも、この手の日本人の信仰心が特に神社には現れていて実に面白いのです。

 その一番典型的な姿を江戸総鎮守神田明神に見ることができます。
ここは元々伊勢神宮に捧げる田んぼがあったために神田と言われるようになったのですが、もともとは大手町の方にお社があったのだそう。


 
 この神田明神の主祭神は大巳貴命(オオナムチノカミ)と呼ばれて、大国主命(オオクニヌシノミコト)と同じ神様が祀られているのですが、二番目に祀られているのは何と平将門なのです。

 神社が移ってくる前の元々あった大手町には今でも将門の首塚が残されていて、日本の経済の一大中心地に動かせない信仰の力があるのです。



 神社は江戸城が増築をした際に今の場所に移り、江戸城の北東の鬼門の押さえとなり、江戸総鎮守として江戸城を見守り続けました。

 それが明治七年に明治天皇が行幸される際に、かつて政権に弓を引いた逆賊として祭神からはずされ、それがまた氏子の強い熱意により昭和58年に祭神として復活し、今に至っているというのですから、実に面白いではありませんか。

 神田明神の氏子は成田山新勝寺にお参りをしないと言われているそう。それは時の政権が将門の乱の鎮圧のために成田山で将門に呪詛をさせたためで、成田山へ行くことは将門を苦しめることになるから、ということなのだそう。東京の繁栄がこうしたエピソードで彩られているなんて、実に興味深いことですね。

 そんなエピソードに始まって、仏教渡来から始まる神仏習合、国学の台頭、明治の神仏判然令などなど、神と仏をめぐる案外知らない歴史について思い切り語らせてもらいました。

 こういう話を聞いてから寺社仏閣を巡ると、日本という国が今までとは違って見えてくるはずです。さて聞かれた方はどんな感想をもたれたでしょうね?

    ※    ※    ※    ※

 夜は遅くまでまた飲み明かしました。

 私のアドバイスで結婚の決意をしました、というA君が奥さんを連れて参加してくれてちょっと嬉しいサプライズ。なかなか素敵な奥さんでしたね。どうぞお幸せに。

 今なお新しい人たちに会えるのが掛川らしいなあ。  

 
 
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1 コメント

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フォーラム楽しく受講しました。 (hiro)
2008-02-05 09:11:04
掛川でのフォーラム楽しく受講させていただきました。自分自身の信仰心がないのに寺社仏閣が好きな
理由がわかったような気がします。
東京とか京都のような街は、自転車での観光もあり
だと思いました。
都市再生機構で、少しは自転車にも考慮されて街作り
ができる事を期待してます。
講義の内容のブログを自分のブログに転記させて
頂きました。
翌日のサイクリングは参加できなかったので、
第二弾を期待してます。
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