北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

自転車のまち巡り~三軒茶屋・港区界隈

2007-06-16 23:58:08 | 東京探検
 関東は今日も真夏日。空気が澄んで遠くまで見えます。今住んでいる社宅のドアを開けると遠くに富士山が見えました。すごいなー、となんだか感動です。

 さて、梅雨の中休みでせっかく天気がよいので、まちめぐりに出かけました。今日は三軒茶屋で自転車を借りて、東京の南側を巡りました。

 三軒茶屋と言えば、まずは密集地区でおなじみの世田谷の太子堂(円泉寺)が近く。以前に訪れたときは門が閉まっていましたが、今日は無事にお参りができました。
 このあたりは、ここ円泉寺が聖徳太子を奉っていることから太子堂と呼ばれていたとのことですが、「太子堂村」という記述は安土桃山時代頃から見られるとのことですので、歴史豊かな地名です。

 自転車なら狭い道もすいすい。東京の坂はなかなかきついのですが、押して昇ってしまえば下りは楽々。太子堂からは上り下りながら次の目的地は祐天寺。

 東急東横線に祐天寺という駅名がありますが、今まで行ったことはなかったのです。こちらの開山は江戸中期の名僧祐天上人で、実際に寺を創建したのは高弟の祐海上人とのこと。
 江戸時代は新しい寺の創建は厳しかったらしいのですが、ここは祐天上人の人徳もあって例外的に徳川幕府にも庇護されて、立派な寺院が建てられたのでした。

    ※    ※    ※    ※
 
 坂を上り下りして次に向かったのは目黒通りの大鳥神社。ここでは芽の輪くぐりが行われていました。 

 芽の輪の起源については、日本書紀や備後の国風土記に記載があって、心優しい蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ=後に素盞鳴尊すさのおのみことに習合される)に一夜の宿を提供したところ、「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」といわれ、そのとおりにしたところ、意地悪だった弟夫婦は疫病で死に、蘇民将来一家は疫病から免れることができたという故事に基づいています。

 今でも「疫病になったら蘇民将来の子孫なりと書いて家に張り出せ」という故事に由来する蘇民将来信仰は根付いていて、旧家などへ行くとよく家の玄関の上に蘇民将来札が掲げられているのを目にすることがあります。
 
 ここ大鳥神社は東京都内でも最も古くからある神社の一つだそうで、日本武尊が東国平定のときに立ち寄られたのが起源だと言うことになっているのだとか。なるほどー!。

    ※    ※    ※    ※

 さらに自転車をこいで向かったのは高輪の泉岳寺。言わずと知れた赤穂義士たちの墓所のあるお寺です。今まで一度も来る機会がなかったので、今日は絶好の機会となりました。

 改めて赤穂浪士の物語を振り返ると、当時吉良邸は今の両国国技館の少し南側にあって、そこで討ち入りを果たした後に、全員がここまで来て泉岳寺にこもったのだそうです。

 四十七士の墓は一角に整然と並べられていて、参詣に訪れる人達の線香が絶えることはなさそうです。

 四十七士の墓に参った後で帰ろうとしてふとよく見ると、易聖と呼ばれた明治の偉大な実業家にして、その一方占いの高島暦の創始者である高島呑象(どんしょう)先生のお墓があることに気づきました。

 はー、こんなところに高島呑象さんのお墓があったとは。来て良かった。

 自転車のまち巡りはそこから麻生十番商店街を見て回ってから三軒茶屋まで戻りました。

 さすがに六本木から三軒茶屋までの自転車の帰り道は坂が多くて閉口しました。

 三軒茶屋の貸し自転車は、ママチャリだけど一日たったの200円。これで東京が縦横に巡れるならば安いものですね。
 さて、明日はどこに行こうかな。

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