趣味と言うとスキルや技術を習得する過程が楽しそうに思いますが、実はとっても道具を必要とするものです。
東急ハンズのサイトで「蕎麦打ちセット」と検索すると、のし台とのし棒、駒板と包丁の四点セットがヒットします。蕎麦粉をこねる「こね鉢」は別売りのよう。
蕎麦粉の量が少なければ大きめのボウルで代用できますからまあ良いでしょう。
しかし、蕎麦粉を打って麺にするだけだったらこれで良いのですが、実際に誰かに食べさせよう、それも数人から十人くらいの客人に食べてもらおうとすると、道具仕立てが大きく変わってきます。
のした蕎麦の生地が大きくなれば巻き取っておく巻き棒が必要になり、まな板も大きなものが必要。
切った蕎麦を入れておく"舟"と呼ばれる箱も乾燥しないような特別なものになり、茹でる鍋は家庭用とは言えない大きなものの方が良いし、蕎麦を洗うボウルとザルも大きくなります。
お湯を沸かして蕎麦を茹でるコンロは火が強く、蕎麦を洗うシンクは深くないと水が飛び散ります。
十人以上に振る舞おうと思ったら蕎麦猪口とお皿のセットが人数分必要ですし、蕎麦湯を入れる湯桶もあるとカッコいい。
まあとにかくいろんな道具が増えて、それらを使いこなして初めて、趣味は"蕎麦打ち"から"蕎麦を楽しむ"ことに変ってくるのです。
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これがさらに、200人以上もの来客に蕎麦を売るようなイベントとなるとさらに道具仕立てが変わります。
大きな釜は二つになり片方には汚れたお湯を変えるための湯がぐらぐらと沸かされています。
ネギを切る機械や天ぷらを揚げる道具、チケットを売るコーナーの道具も必要になり、ますます道具だらけになってしまうのですが、何か一つなくても不便極まりなし。
【岩見沢のイベントの風景】
然るべき道具はまず所有してそれを使いこなすことがイベントの成否を分けるのですが、持ち運んでセッティングするだけでも一仕事。
粉を仕入れて汁や器を事前に準備して、蕎麦を作って食べさせてお金をいただくという一連の流れから見ると、蕎麦を打つことは、イベント全体労働の10%くらいの重みでしかありません。
つまり蕎麦を打てることそれ自体は一つのスキルや技術ですが、食べさせるという一連の流れはもっと大きくて複雑なシステムなのです。
つまり戦争と同じで、個々人の戦闘力は高くても武器や食料の兵站からシステム構成員の力量、そして最終目標を達成するための参加者の役割分担をマネジメントすることで初めてゴールにたどり着けるものだということ。
そういう全体作業を俯瞰しているマネージャーがいて指揮命令系統をはっきりさせることが成功への最大の近道です。
そういう意味で、こういうイベントを経験しておくことは社会の中で生きてゆく上でとても意義深いことなのだと思います。
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ところで趣味に話を戻すと、始めたての頃はしょぼい道具仕立てだったものが慣れて来るにしたがって道具が充実して数も増えてゆきます。
しかしあるところでそうした道具へのこだわりや所有欲は打ち止めになり、そこから先はある道具で楽しめればよいという風に考えが変わってきます。
考え方が成熟してくるとい言ってしまえばそれまでですが、やがて買い過ぎた道具も使わないことが多くなってくるもの。
そうなってこそ趣味も一定の高みに達したと言えるのではないか、というのが私の持論なのですがどうでしょうか。
「まだまだ良い道具が欲しい」と思っているうちは趣味も発展の道半ばなのではないかと。
まあ腕だけは磨いておきましょう。そのうちお金も無くなってくるのでね(笑)