午前の飛行機で静岡空港へ向かいました。
新千歳空港から静岡空港へは、東京上空からまっすぐに静岡へ向かうのかと思いきや、日本海方面から佐渡島を右に見ながら上越市上空から左へ曲がり、妙高山、北アルプス、松本市などを眺めながら太平洋へと向かうのでした。
天気が良かったこともあって、標高の高いところがうっすらと雪化粧をしていてとてもきれいでした。
どれがどの山かというのは、松本にいた時に覚えましたし実際に燕岳~大天井~槍ヶ岳という登山を経験した私には非常に素晴らしい眺めでした。この季節の空路は大きな観光ポテンシャルがあると思います。
静岡空港は、掛川にいた際に建設中の工事現場を何度か視察しましたが、今や立派に完成して多くの観光客を集めることでしょう。
空港の滑走路正面には、山肌に「茶」という文字に植樹された粟ヶ岳が見えて、懐かしい掛川の風景と茶処のPRにもなっているようです。
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この日はちょうど、消費生活展というイベントが掛川市内で行われており、ここで掛川で蕎麦打ちを始めた掛川蕎麦研究会が振る舞いをしているとのことで、こちらに立ち寄ってメンバーと久々に会えました。
「汁にしても蕎麦打ちにしても、200人前くらいなら当たり前に準備できるようになりました」ということなので、とても頼もしくなりました。
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講演会はこれまた懐かしい、二宮尊徳ゆかりの大日本報徳者の大講堂。日本で最古の木造大講堂で、数年前に耐震工事も終えて立派によみがえりました。
講堂にいると、話を始める前から旧知の知人の皆さんが寄ってきて声をかけてくださいます。よくもまあ覚えていてくださっていることは嬉しいですね。
私の話は、「生涯学習とスローライフで変わった私」ということにして、掛川の生涯学習と特にそれを市政の柱として唱え続けた榛村さんにどれだけ感化されたか、から始めました。
スローライフというのは新しくてキャッチーなネーミングでしたが、それが世間の耳目を引くことで「初めて行政としてスローライフのまちづくりを唱えたのは掛川」ということになって、まちの格を高めました。
行政には市民に幸福と満足を与えることが目的ですが、その前提として、名のあるマチに住んでいるという誇りも生み出すこともあるということ。
その結果、地域の産物にブランド感が増すということもあるでしょう。その恩恵を今の掛川市の皆さんも受けているということです。
行政には、市民の健康や環境保全、産業、教育などを進行する活動を実施していますが、多くはともすると毎年のルーチンになってしまって、大切さが薄れがちになります。
それらを「スローな生き方」という再提示をすることで、それぞれの活動が新しく見えるという効果も期待できるでしょう。
同じお金をかけるのも行政はうまくやったほうが良いのです。
そして私自身、生涯学習とスローライフでブログを書くようになったり、好奇心が増したり、新しいことを始めたりと人生観が変わりました。
そういう思いを掛川にいる人たちとはぜひ共有したい、そういう思いをお話に込めました。
聴いてくださった皆さんはどう思われたでしょうか。
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話の後の懇親会では、一人の釣りの友人がこんな話をしてくれました。
「僕は掛川で仕事をするうちに、小松さんという人がいるという話を聞いていました。それが道東の阿寒川で釣りをしたときに、初めて釣りをする小松さんに会いました。そして今日やっとスローライフの話を最初から聞けて、スローライフの全体が完結したような思いです」
またある蕎麦仲間は、「蕎麦にはつなぎが大事。小松さんがいたことで、知らない同士が随分と知り合いになることができました。これも人を繋いでくれたということじゃないかと思います」とも。
知らない人同士が知ること、知らないことを知るということは絶対善だと思います。
一生を使って、精々知らないことをなくして行こうではありませんか。
お世話になりました。