昼休み直前に担当者が部屋に飛び込んできて「第一報ですが、不発弾と思しき爆弾が見つかって、道路とJRを止めています」とのこと。
不発弾が見つかったのは釧路港西港の第4ふ頭とのこと。どうやらそこに元からあったのではなく、浚渫で別の場所からそこへ運んだ土の中にあったらしい。
なぜ釧路で不発弾があるのか、と思ったら、先の戦争末期に釧路も空襲を受けたのだそう。記録によると、丁度65年前の1945年7月14、15日の二日にわたる米軍の攻撃で192人が死亡していました。
不発弾の処理は自衛隊にお願いをすることになり、帯広の陸上自衛隊第5旅団不発弾処理班が出動してくれました。
一時は半径500メートルの範囲の住民を避難させるとともに、道路とJRを止めていたのですが、不発弾処理班の見立てによって、信管はあるものの衝撃を与えて爆発する危険性は薄いということで夕方には通行規制も解除されました。
今頃になってなおこんな遺物が出てくるとは、なかなか戦争も終わりません。
※ ※ ※ ※ ※
今日はちょうど妻が釧路を訪ねてくる日だったのですが、汽車に乗ってからこの不発弾騒ぎによって、もしかしたら白糠あたりで下車することになるかもしれないという放送が流れたそうです。
汽車は近くへ来るころには交通規制も解除されて釧路駅まで到着することになったのですが、今度はその途中で線路上に飛び出してきたエゾシカとぶつかって、20分ほど立ち往生したのだそう。
よくあることとは言え、事件は現場で起きるものだなあ、と思った次第。
不発弾は日を置いて自衛隊さんが処理してくれるそうです。これもまたお国の力なり。
不発弾が見つかったのは釧路港西港の第4ふ頭とのこと。どうやらそこに元からあったのではなく、浚渫で別の場所からそこへ運んだ土の中にあったらしい。
なぜ釧路で不発弾があるのか、と思ったら、先の戦争末期に釧路も空襲を受けたのだそう。記録によると、丁度65年前の1945年7月14、15日の二日にわたる米軍の攻撃で192人が死亡していました。
不発弾の処理は自衛隊にお願いをすることになり、帯広の陸上自衛隊第5旅団不発弾処理班が出動してくれました。
一時は半径500メートルの範囲の住民を避難させるとともに、道路とJRを止めていたのですが、不発弾処理班の見立てによって、信管はあるものの衝撃を与えて爆発する危険性は薄いということで夕方には通行規制も解除されました。
今頃になってなおこんな遺物が出てくるとは、なかなか戦争も終わりません。
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今日はちょうど妻が釧路を訪ねてくる日だったのですが、汽車に乗ってからこの不発弾騒ぎによって、もしかしたら白糠あたりで下車することになるかもしれないという放送が流れたそうです。
汽車は近くへ来るころには交通規制も解除されて釧路駅まで到着することになったのですが、今度はその途中で線路上に飛び出してきたエゾシカとぶつかって、20分ほど立ち往生したのだそう。
よくあることとは言え、事件は現場で起きるものだなあ、と思った次第。
不発弾は日を置いて自衛隊さんが処理してくれるそうです。これもまたお国の力なり。
