駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『キンキーブーツ』

2022年10月06日 | 観劇記/タイトルか行
 シアターオーブ、2022年10月3日18時。

 イギリス中東部の田舎町ノーサンプトン。老舗の靴工場「プライス&サン」で社長のミスター・プライス(松原剛志)が息子チャーリー(この日は小林佑玖)に靴の美しさを語る。しかし大人になったチャーリー(小池徹平)は家業を継がず、フィアンセのニコラ(玉置成美)とともにロンドンへ。その矢先にミスター・プライスが亡くなり、次期社長として帰郷したチャーリーの前には大量の返品と契約キャンセルの知らせが…
 脚本/ハーヴェイ・ファイアスタイン、作曲・作詞/シンディ・ローパー、演出・振付/ジェリー・ミッチェル、日本語演出協力・上演台本/岸谷五朗、訳詞/森雪之丞。実話をもとにした2005年公開の同名映画を原作に、13年ブロードウェイ初演、16年日本初演、19年には再演されたミュージカル。全2幕。

 16年の来日公演は観ていて、そのときの感想はこちら。日本版は初演も再演もチケットが取れなくて、春馬ローラ(城田優)は観られていません。合掌。CDは聴いています。
 ところで公演は1日からやっていたはずですが、それはプレビューでこの回が初日だったのかしらん…カテコがネット中継されたりなんたりしていたようで、来日スタッフがステージに上がって挨拶したりもしていたので、そうなのかな? なので初演からのリピーターというか、ファンばかりが詰めかけている回だったのでしょうか? 私はまあ早めに観たい派ではありますがたまたまこの日が都合が良く、たまたまチケットが取れただけで、そして作品の中身は設定程度の記憶だけで例によって細かいところは忘れていたので、純粋にフラットに物語を楽しみたくて来たのですが…なんか、客席が熱すぎて違和感しかありませんでした。2階席で良かった、1階だと私はもっとアウェーだったことでしょう…
 まず初めに、ドン(勝矢)がふらりと現れて、よくある携帯その他を切るようアナウンスするアレを小芝居として始めたのですが、彼が出てくるだけで1階客席からもうピーピーヒューヒュー盛り上がるわけですよ、コロナ禍のこのご時勢に声出して! まだ何が始まるか、彼が何をするかもわかっていないのに!
 そして本編が始まってからも、ナンバーの前奏からもうすぐ手拍子が入るんですよ! ライブじゃないんですよ、ミュージカルなんですよ? まず歌を、歌詞を聞かなくちゃ何を訴えている歌なのか、なんの場面なのかわからないじゃん。まず聞いて、歌が2番というか2ターン目になって曲調もダンサブルになったら客席も一緒になって手拍子で盛り上げる…とかじゃないの? みんな内容はもう知ってるから芝居は観なくていい、ってことなの? マイク音響がしっかりしているから手拍子で歌詞が聞こえないということはありませんでしたが、でも私はまず歌を、歌詞を聞いて、歌うキャラの心情や主張を理解し、共感したらその想いを込めて手拍子したい。物語を、ミュージカルを観に来たんだもん。ライブに曲を聴きに来たんじゃないんだもん。だからナンバー終わりに拍手しただけで、手拍子はほぼしませんでした。2階席はオペラグラスを覗くのに忙しい観客が多く、あまり手拍子に参加していなかったので、浮かなくて助かりました。まあ周りがしていても私はしないときはあくまでしない派ではありますけど、周りの気を削ぐのも申し訳ないとは思っているので。
 そして台詞も歌詞もどうも訳が良くなくて、さらに芝居の演出がわりと雑というか浅かったように感じられました。なので私は余計にこの作品世界に入りきれませんでした。ローラとドンがどう和解したのかもよくわからなかったし、チャーリーとローラの喧嘩も発端や経緯がよくわからなかった…ローラが父親にキスしたところは泣けたんですけどね。
 また、ローラはまあああいうキャラだし、という気もしますが、チャーリーはなんであんなアメリカ~ンな口調なんだろう? イギリス人ですよね? 単に尺がないから早口でしゃべっているだけ? 日本人が日本語でしている芝居なんだから、もっと普通にしゃべればいいのでは…チャーリーって、イケイケでしっかり者のガールフレンドに引っ張られている、どちらかというと情けない、要するによくいるタイプの普通の、むしろややもっさりした青年、ってことなんだと思うんだけれど…イヤ別に多少軽妙で賢げに見えてもそういう演技プランならそれでもいいけど、とにかく私はあまり感心しませんでした。勝手に観たかったものを想定して、観たいものが観られなかったと苦情を言っているだけならすみません。
 ローレン(ソニン)も、そういうキャラ設定なんだろうけれど、でもやはりちょっとオーバーアクションすぎませんかねえ…もっとフツーの女の子じゃダメなんですかねえ…そりゃソニンは何をやっても上手いし可愛いしそれはいいんですけれど、でもなんか…なんかなあ…ここが一番大事なキャラクターなんじゃないのかなあ、と私は思ったんですよね。
 このミュージカルって他の作品よりだいぶ観客の年齢層が若いという調査結果があるそうだし、もしかしたら男女半々くらいが観に来ているのかもしれませんけど、そして彼らがまっすぐこの作品のメッセージを受け取れてエンパワーメントされている、というならそれでいいのだけれど…特に男子ね、世の中はまだまだ男社会なので、男が変わってくれないと話がホント進まないので、ローラの6ステップ・プログラムをちゃんと理解し実践してくれれば未来に希望がまだ持てる、と本当に思っています。でも、まだ、トータルではなんのかんの言っても女性観客が多いのでは、と思うとローレンが本当に大事なキャラクターになってくると思うんですよ。最終的に主人公とくっつく相手役だということも含めてね(作品のメッセージに反して異性愛主義的な見方で申し訳ない)。
 とすると、たとえばミラノのローレンのドレスアップ姿ってあれでいいのか?ってことが気になるんですよ。金髪をアップにしてピンクのミニワンピのソニンはそら可愛いよ、でもローレンってそういうキャラ? それまでずっとTシャツにジーパンみたいなカッコだったのに? そりゃそれは職場で、汚れるからであくまで労働着で、ってのはわかりますよ。でもそういう女の子がドレスアップするとピンクのミニワンピ、ってのはそれこそ類型的すぎやしませんかね? もう今なら、「ローラが赤を好きなのはいい、男が赤を好きでも女が青を好きでもいい、でもそれは誰もが好きな色を好きでいい、好きなものを好きでいいということである。私はピンクが好きだ。私は私が女だからではなく、私が私だからピンクが好きなのである」という主張をするようなキャラにローレンをしないと、ここでピンクを着せるのはもうダメなんじゃないのかなあ?
 さらに、みんながみんなキンキーブーツを履いてみせていくところで、ローレンだけがショートブーツなの。しかもスウェードみたいでラメとかは全然ついていないの、キラキラしていないのです。ドレスと合っていてそら可愛かったよ、でもここはそういうことじゃないんじゃないの? 私はこの作品世界ですら、女はブーツのスパンコールすら減らされるんだ、入試で女だけが点数引かれるヘルジャパン現実と一緒じゃん…!と絶望的な気分になりました。そのあとニコラやマギー(杉山真梨佳)たち工場の女性従業員たちがニーハイのブーツで現れるので、ならデザインのうちかとも思えるけれど、ならエンジェルスの誰かもひとりくらいショートブーツであるべきじゃない? ロングどころかニーハイであることがキンキーだというなら、ローレンのブーツもそうあるべきじゃない?
 あとさ、LGBT差別に敏感でローラの「レディス・アンド・ジェントルマン~」に続く台詞をブラッシュアップしておきながら、イタリア人いじりはアレでいいんだ?となりましたし、試作品がローラの考える「レエェェェェッド!」じゃなかったのはわかるけど「小豆色はおばあちゃんの色」ってのは年齢差別なのでは? ある意味シックで素敵なワインレッドだったよ? ああいう色が好きな人だっているよ? そこはどうなの?
 なんかホント全体に、もうちょっとだけおちついて、もっと丁寧に、繊細にやればいいのに、なんか浮かれて上滑りしてない? ヒューヒュー言えればそれでいいの? ホントに伝わってる? …って思っちゃったんですよね…面倒くさい、良くない観客で申し訳ありません。
 でもやっぱり日本の社会はまだまだ幼稚で、この作品を受け止められる力がないんじゃないかと思うんだけど…たとえば話がセックスに関することになると客席が急にトーンダウンするじゃないですか。みんないたたまれないんですよ、恥ずかしくなっちゃうの。あたりまえのことだとおおらかに受け止める度量がないの、はしたないと後ろめたくなっちゃうよう教育されちゃってるの。あと、日本語の「セックス」には性とか性別といった意味を含有できていなくてほぼ性行為の意味しかないので、「セックスはヒールにある(SEX IS IN THE HEEL)」って歌われても意味が上手く伝わっていない気がしました。というかこの話って、もっと靴フェチの話だって振った方がいいんじゃないのかなあ? 冒頭でプライス社長が靴の美しさを熱く語り、ヤング・チャーリーが「でもただの靴だぜ?」みたくぼそっと言うくだりがあるけれど、あれは家業に誇りを持つ父親と家業にノー興味の息子、ってのもあるけど、靴フェチの男と朴念仁の男、あるいはセクシャルなことをきちんと愛し尊重できる大人と性的なことにときめいたり興味を持ったりする以前の子供、という意味の場面でもあるんじゃないのかなあと思うのですよ。だからもうちょっとだけ大人になったチャーリーが赤いハイヒールを履いてみちゃうんじゃないの? あれは彼は実はゲイだとか異性装願望があるとかいうことではなくて、性への目覚めそのものを表しているんだと思うんだけれど、これもなんかちゃんと伝わっていない気がするんですよね…靴はここでは性愛のシンボルなんだと思うのです。さらに、ハイヒールは女性が履くもの、という「決めつけ」がこの世にはある。でも身体が女性に生まれつかなくても、ハイヒールを履きたいと思う者はいる。この「決めつけ」をなくしてやりたい、だから性がヒールに宿っている、セックス・イズ・イン・ザ・ヒール…そういうことなんじゃないですかねえ。 
 キンキーという言葉の意味が本当のところどういうものかはネイティブでない私にはわからないのですが、ここでの靴が持たされたシンボルの意味を、まっとうに捉える文化が日本には残念ながらないのではないか、と私は思ったのでした。
 だからこそもっといい訳で、なんなら言葉をもっと足して、もっと丁寧に芝居して誘導しないと、観客に作品の本質が伝わらないのではないかと心配なのです…少なくとも私はとても中途半端に感じられて、全然感動できなかったので。
 最後に、チャーリーのスーツにトランクスにキンキーブーツってのは宣伝で見せすぎなくらいに見せてしまっているものなので、ミラノのショーの開演前にチャーリーが下半身をカーテンで隠してモジモジするくだりは即ネタバレで無意味なんだけど、演出としてそれでいいのでしょうかねえ…?

 一部の変な春馬ファンが(ファンとも言いたくないけれど)悪く言っているらしいしろたんですが、さすがに歌も芝居もホント上手くて、デカくてインパクトがあって、とてもよかったです。小池徹平もソニンも、ドンもハリー(施鐘泰)も歌はみんな抜群に上手くてまったく危なげがなくて、そこは本当にノーストレスでした。シンディ・ローパーの楽曲ってけっこう難しいと思うんですよね、でもナンバーは本当にどれもよかったです。何故かスタッフ・クレジットにないセットもとてもよかった。エンジェルスのスウィング(シュート・チェン)までちゃんとビジュアルに入っているのも素敵だと思いました。

 LOLA’S 6STEP PROGRAMは
Pursue the TRUTH.
LEARN something new.
ACCEPT YOURSELF and you’ll accept OTHERS TOO.
Let LOVE shine.
Let PRIDE be your guide.
You CHANGE THE WORLD when you CHANGE YOUR MIND!
です。4番目がいいよね、5と韻を踏んでるだけっぽいけど、そしてこれだけがやや抽象的でもあるけれど、だからこそキモなんだと思うのです。性愛より広い愛、それを輝かせること。今やアロマンティックやアセクシャルな人の存在も顕在化してきている時代で、でもセックスしなくても恋愛しなくても家族や友人への情愛は持つだろうし、そういう広い意味での愛、ラブを輝かせる、ってことです。そういう愛を全人類に普遍させていけたら、たとえば抗議運動を安易に冷笑する馬鹿も減ろうというものでしょう。愛を信じて未だ厳しいこの世界を生き抜いていこう、と改めて思うことは、しました。






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『アストル・ピアソラ没後30周年トリビュート公演』

2022年10月03日 | 観劇記/タイトルあ行
 イイノホール、2022年9月30日18時(初日)、10月2日13時。

 1982年に初来日し、92年にこの世を去った、タンゴの歴史に独立峰のごとくそびえ立つ、傑出した作曲家、バンドネオン奏者だったピアソラの追悼記念公演。
 演奏/フェデリコ・ペレイロ4重奏団、ダンサー/フェルナンド・ロドリゲス&エステファニア・ゴメス、カンタンテ/セシリア・カサード。ゲストアーティストは宝塚OGと藤本隆宏。全1幕。

 初日のOGゲストはマミちゃん、大空さん、ねねちゃんで3日目は大空さんとミズ。まあこれを目当てに行ったわけですが、なんと言ってもダンスが圧巻でした!
 幕が上がるとバンドは板付きで、奥のスクリーンにブエノスアイレスの光景が映り、日本の真裏であることやアルゼンチンタンゴの歴史が語られます。ナレーションは初日はマミちゃん、3日目は大空さんだったので座長(最上級生)が務めていたのでしょう。初日はまず「リベルタンゴ」の演奏から。そして2曲目に早くも白のレーシーなドレスのみっしょんがリーダーとともに現れたのですが、スマートで華やかで美しく、ステージ用のアクロバティックな振りをしっかりこなしていてはわわわわ!とアガりました。が、次に村野みりさんが踊ると、そのストライドの大きさにまた目をみはらされました。プロの現役の競技ダンス選手だそうですが、ジェンヌもかくやという頭の小ささで美しくシャープで、熱い。上手い!となりました。
 さらに本場のカップルが登場すると、もう全然違いました! 2019年の世界タンゴダンス選手権ステージ部門チャンピオンだそうです。しっかりした肉感があってお団子が大きなパートナーがまず素敵で(きっとゴージャスなロングヘアなのでは…!)、リーダーも要するに小太りのおじさまなんだけどその身体の厚みがいいのです! そういえば男性はみんなそこまで背が高すぎず、パートナーが高いヒールを履くとちょうど背の高さが同じになるくらいなのがとてもよかったです。アルタンは顔を寄せ合うかがっつり見つめ合って踊るものなので、目の高さが揃う方がいい気がしました。で、ひょろりと背が高い王子さまふうスタイルより、どしんと重心が低く胴に厚みがあり頼れる感じの方がイイわけですよ! で、このカップルはもう、テクニック的なことが素晴らしいのはもちろん、何かのドラマや物語、感情を踊っているタンゴで、その激しさ、せつなさに心揺さぶられました…!
 各カップル2曲ずつ踊り、なんと3組デュエダン(違)もありました。あんな狭いステージですれ違いすり抜け合いパートナーチェンジまでして、スリリングでエキサイティング! お衣装も1曲ずつ変えていましたが、ここは3組お揃なのも素敵でした。そうそう、パートナーのドレスに比べて地味になりがちなリーダーも、黒スーツの三つ揃えからタキシード、茶のスーツにノータイなどいろいろで渋くて素敵で、観ていて本当に楽しかったなー! パートナーのドレスは黒やラメラメの青やシックな緑や真紅などなどで美しく、機能としても美的にも本当に絶妙なところにスリットが入っていて、美しい脚がよく見えて、素晴らしかったです。
 ロドリゲス&ゴメス(しかし普通、女性名を先に出さないか?)の2曲目は、曲のラストにジャン!となってポーズ決めて暗転、明るくなってレベランス…というものではなく、曲が終わっても振りがありました。男と女が別れて静かに曲が終わり、男が手を差し伸べ、女はさらに拒絶する…みたいな。で、ふたり離れて、ステージでそれぞれの位置に立ち、ふっと笑って演技終了、お辞儀、拍手!となったのが初日でした。3日目は音楽の終わりにすぐ拍手が入ってしまって残念でした。観ていたらこれで終わりじゃないってわかると思うんだけどなー!(><)
 3日目のダンスの初っ端はミズの「リベルタンゴ」で、赤と黒のドレスに黒のスパッツ、赤い靴、フィギュアスケートのアイスダンスどころかペアみたいな大技リフトもあって、すごかったです! ラストに一拍合わなかったのはご愛敬。レベランスのあと落としたイヤリングをさっと拾って去るのがさすがでした。
 ともあれダンスはいずれも本当に素晴らしかったです。また演奏も素敵で、ジャジーな長いピアノ・ソロから始まる「アディオス・ノニーノ」もよかったし、ヴァイオリンのアレンジが素敵だった「ブエノスアイレスの冬」もとても印象的でした。コントラバスのソロから始まる曲もあり、珍しく、楽しかったです。
 カサードの歌はスペイン語だな、というだけでわりと普通に聞こえました、すみません。歌は意外にもねねちゃんがよかったわー! キーが合っていて地声がよく出て、ぱーん!と歌った「チェ・タンゴ・チェ」が華やかでことによかったです。ドレスは綺麗な青のあと、金。でも何故か肌色のインナーを下に着ていた…何故!?
 マミちゃんは赤のドレスのあと、黒地に青の模様…みたいなのだったかな? ミズは金のあと銀と青のシャラシャラ揺れるドレス。「いつもブエノスアイレスに帰る」も「ロコへのバラード」もとてもよかったです。今回のバンドとはブエノスアイレスでCD収録したときのメンバーだそうで、現地での彼らのライブにゲスト出演したときの話やスペイン語の勉強をしているけれど難しいという話を、それはそれは軽妙にトークし、笑いを取っていました。ホントいいキャラだよね、ミズさん。
 なので大空さんだけお色直しなしだったのはしょんぼりでした。サービス悪く見えるじゃん…藤本さんも1着だけだったけど2曲続けて歌ったからだろうしさー。でもボディスと長袖がレーシーな黒のドレスで、黒の手袋にゴージャスなゴツめのブレスレット姿が、路地裏のタンゴ酒場の気怠げなオーナーマダム…って感じで、それはそれは素晴らしかったです。また「わが死へのバラード」という選曲といい、ドラマチックが似合っちゃうんですよねー! 「迷子の小鳥たち」(大空さんは「失われし小鳥たち」という訳を選んでいましたが)も素敵でした。あと、曲のあとのその曲についてコメントする言葉のセレクトが的確で秀逸で美しく、さすがでした。
 ピアソラのタンゴは『La Vie』でも何曲か使っていましたよね、私もあれで覚えた曲がいくつかあります。VOL.2を気長に待っていますからね、大空さん…!

 ダンスが素敵だったので来年の『タンゴの魂』もチケット取ろうかなー、と思っていたら、大空さんのゲスト出演が発表されたのでより楽しみになりました。私も社交ダンスのお教室通い再開を、真剣に考えねば…ちょっとでもこうした世界に触れていたいのです。



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宝塚歌劇月組『グレート・ギャツビー』

2022年10月02日 | 観劇記/タイトルか行
 東京宝塚劇場、2022年9月20日18時半、27日18時半、29日18時半。

 1920年代アメリカ。ニューヨーク郊外のロングアイランドにある新興住宅街ウエスト・エッグに、目を瞠るほどの大豪邸が建っている。邸の主は、謎の資産家ジェイ・ギャツビー(月城かなと)。そこでは誰でも自由に参加できる盛大なパーティーが夜ごと催され、禁酒法下にもかかわらずシャンパンやワインが惜しげもなく振る舞われていた。だが狂騒に酔いしれ、歌い踊る客たちは誰も、ギャツビーの顔と素性を知らない。ギャツビー邸の隣に建つ小さな家に越してきたニック・キャラウェイ(風間柚乃)は豪奢なパーティーを目の当たりにして驚いていたが、宴が果てた朝、庭続きにある突堤に佇み、対岸を見つめるギャツビーに思い切って声をかける…
 脚本・演出/小池修一郎、作曲・編曲/太田健、吉﨑憲治、高橋恵、小澤時史。F・スコット・フィッツジェラルドの同名小説を原作にし、1991年に雪組で『華麗なるギャツビー』として世界初のミュージカル化、2008年には2幕ものにして月組で再演した作品の三度目の上演。全2幕。

 私は初演には間に合っていなくて、昔スカステで見たかなー、程度の記憶しかありません。再演のアサコ主演日生版を観たときの感想はこちら、外部で内くん主演版を観たときのものはこちら、ヨシオさん版のものはこちら。以前ディカプリオ主演の映画も観ましたし、最近テレビでやっていたので久々に見たりもしました。原作小説は…読んだことがあったかなあ? まあ、基本的には男性の男性による男性のためのロマンを描いたものだとは思っていて、その意味では別に嫌いな話ではありません。そう思わないと「は?」とか「ケッ」ってなるお話なのではないか、とは思っている、ということです。
 なので、ポスターなんかのビジュアルがずいぶんと綺麗すぎるというか、すがすがしいくらいに私には見えて、でもギャツビーってこんな綺麗な話じゃなくない?もっとしょーもない話なんじゃない??というのが私の解釈だったので、イケコがなんかものすごく陶酔して麗々しいものに仕立てようとしていたらヤダな…と、ちょっと心配していました。大劇場公演はコロナ休演が多く、私も押さえていたチケットが飛んで取り直せないままに終わってしまったので、久々に東京公演まで観るのを待った演目となりました。

 マイ初日は、退屈しました。細かいことを全然覚えていませんでしたが(主題歌と「だったと申しましょうか~いや、永遠にとお答えしましょう」たっけ?あの台詞くらいしか記憶がなく、他はあまり「ああ、こんなだったこんなだった!」というのがなかった…)話は知っているので、展開遅いなー話が全然進まないなー、という気がついしてしまったのです。どれが増えた楽曲なのかもよくわからないくらいの記憶のなさですみませんが、しかし全体にはやはり水増し感を感じました。役が少ないので、宝塚歌劇としてはスターの顔見せ時間としていろいろたっぷりやる必要がある、というのはわかりますし、たとえば「俺たちの見る夢」のバックでクラブの男を踊る男役スターたちをひとりずつチェックして眺めるのとかは楽しかったのです。「デイジー」とか「アウトロー・ブルース」なんかで、れいこちゃんギャツビーの美貌をしみじみ堪能するのも楽しい。でも「アイス・キャッスルに別れを」はさすがに蛇足では?とか、なんかこんなシチュエーションと似た楽曲が『カサブランカ』になかったっけワンパターンすぎないかイケコ…とかとか、つい気が散ってしまったんですね。でも「王女と王子」はなんか好きだなー。あと「恋のホールインワン」とかね(笑)。「アメリカの貴族」は新曲なんでしたっけ? でもこれもトム(鳳月杏)の人となりが出るいい曲ではありましたね。ぎりぎり、ぺるしゃ、一星くんを眺める時間としてもよかった。「女の子はバカな方がいい」もくらげちゃんの絶唱として素晴らしいのですが、「♪なってやるわ」のあとは「女の子」ではなく「女」だろう…音の数もその方がいいし、こういうことを言う時点でその女性はもう「女の子」ではない、デイジーをカマトト扱いするのはキャラの冒涜なのではないか、とかとか聞いていてまたいろいろ考え出してしまい…「神は見ている」とかもドラマチックでザッツ・イケコで私は好みなんですが、でもなくてもいいっちゃいいくだりなんですよね。イヤこういうのがないとミューカルとして痩せる、というのはわかるんですけど。
 でもやはり若手主演の別箱で、かつ一幕ものに戻してもいいのではないでしょうか…となると2番手主演の全ツとか? ギャツビーは30歳絡みの役なのかもしれませんが、青臭いところがあるというかそういう切り口の方がいい気もするし、デイジー役者にしてもトップ娘役じゃない方がいい気がするのです。トップ娘役に演じさせるから脚本的に「デイジーにも一分の理」を作ろうとしているのでしょうが、そもそもこのキャラというか存在はギャツビーないし作者のほぼ幻想みたいなものであって、人間としての一貫性や整合性はないものなのではないかという気もするので…あとはとにかく役がないので座組半分でいいし、なんなら『アルジェ』っぽくウィルソン(光月るう)がギャツビーを撃って自殺したところで幕を下ろしてもいいくらいのお話だと思うんですよね。次はそういう、研ぎ澄まされ締まりきった芝居バージョンを観てみたいなと思ったりしました。そのほうが名曲「朝日の昇る前に」もより際立つのではないかしらん…

 ただ今回は、観るたびにお席が良くなってマイ楽は7列目といえどSS席だったので(3列前の斜めに珠城さんがいて、バレードの銀橋ラインナップで顔を右に左に向けて大忙しで手拍子が乱れていたのが眺められてたいそう可愛らしかったです)、どんどんれいこちゃんの美貌に集中しやすくなり堪能しまくり、冗長なナンバーもあふれる心情を歌うものとして受け入れやすくなり(またれいこの歌が上手いんだコレが!)、「まあ…これはこれで…楽しかったし…なんせ顔がいいし…」とうっかり納得して観終えてしまいました(笑)。いやーマジ美は正義。そもそもギャツビーは特に美男設定ではないのではないかと思いますが(まあデイジーがころりと惚れる程度のハンサムさは要るのかもしれませんが、男の世界では顔面は重要視されないか、下手に美形だと足枷になることすらあるものなのでしょう)、宝塚歌劇的に考えれば美しいからギリ許せる、という執着であり妄執であり立派なストーキングなので、これで正解ですよね。またれいこの芝居が実に良くて、自分の美貌にまったく頓着することなく顔を歪め冷笑し怒り狂いあざ笑い焦りあわてるのが素晴らしく、人間としてしょうもなく、愚かでしかし真剣なのである…ということがビシバシ伝わってよかったし、それでこのバージョンのこの作品を奇跡的に、立派に成立させている気がしました。そういう意味では、アサコ一本被りだった再演版より周りのスターの演技力も明らかに高く、芝居が緻密だったのも成功要因として大きかったかと思います。専科といえど元月組子のまゆぽんウルフシェイム(輝月ゆうま)も実に良かったですし、「芝居の月組」は健在だしれいこ時代も早くも仕上がりつつある気がするよなあ…!とかしみじみ思うのでした。
 なっちゃん、はーちゃんはこれでご卒業。残念ですが、卒業後も良き人生を…
 ご縁がなく新公が観られなかったのが残念でした。あみちゃんギャツビーにおはねちゃんデイジーとくれば、歌も芝居もそら良かったろうし、いくつかのナンバーがカットされた短縮版の方が展開もスピーディーでよかったことでしょう。スカステでの全編放送が今から楽しみです…!

 あとは…みちる可愛いよみちる、とかうーちゃんどうした激やせだなでもカッコいいぞ!とかぱるが好きー!とか脳内で叫んでいたら終わりました。花妃舞音ちゃんチェックはお葬式場面以外はできました。あれは暗くてみんなほぼ後ろ向きでわからなかった…でもあとは、学年的にだいたいこのあたり…?と目星をつけてオペラを覗いた先にたいていちゃんといたのでたいしたものでした(笑)、はーカワイイ。あとはロケットね! センターからばーん!と出てくるのが大正解すぎました。ダブルトリオは最下手。はーカワイイ(二度言う)。一乃凛ちゃんのエトワールも素晴らしかったです!
 でもフィナーレは全体にわりと凡庸でしたよね…? あと、れいこちゃんは娘役に囲まれるくだりも、ちなつに譲るまでの男役群舞ターンも、こういう振りだと特にダンスの人ではないことが如実にバレる気がして、私はちょっといただけないなと思ってしまいました。デュエダンはそんなことはないんだけど…なんだろう? もっとバリバリ踊る系の方がごまかしやすいのかなあ…(オイ)
 おださんはポスター入りもめでたく、まったく危なげない三番手っぷりで、月組の未来は明るいなあと思いました。
 あとは本当にれいこちゃんの顔が良くて…プログラムの見開きモノクロどアップとか、余人にはなかなかできませんよ…! はー、顔がいい。なので満足しました、すみません。







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