駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇雪組『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』

2011年10月29日 | 観劇記/タイトルか行
 東京宝塚劇場、2011年10月26日マチネ、28日マチネ。

 17世紀、フランスは冷酷無常な国王ルイ14世(音月桂)による絶対王政の下、民衆たちはその日のパンにも事欠く暮らしを余儀なくされていた。前国王ルイ13世に仕え「三銃士」と謳われた英雄、アトス(未涼亜希)、ポルトス(緒月遠麻)、アラミス(蓮城まこと)も今では銃士隊を去っていたが、彼らとともに戦ったダルタニアン(早霧せいな)だけは銃士体長として現国王に仕えていた。あるときルイはひとりの美しい娘、ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール(舞羽美海)に目を留める。彼女はアトスの弟ラウル(彩凪翔)の婚約者だったが…
 原作/アレクサンドル・デュマ、脚本・演出/児玉明子、作曲・編曲/玉麻尚一。

 大劇場版があまりの悪評(と言っていいのでしょう)を呼び、東宝公演では大きく改定されたという問題作。
 とはいえ私は東宝待ちだったので、大劇場版を観ていませんし、比較はできません。大劇場版は闇から闇へと葬られてしまうのでしょうか? 評価していた人も少なからずいたわけですし、いったん出したなら簡単に引っ込めるなよ情けない、と思わなくもありませんでしたが、一方で間に合う修正なら一刻も早く手を加えたほうがいいとも思っていたので、もあ致し方ない事態だったのかなとも思います。
 というわけで東宝版のみを観た感想ですが、私は普通におもしろく観ました。
 ただしもちろんつっこみどころはたくさんある。でもそんなのいつものことですし、ただの凡作になり下がってしまった、とかも思いませんでした。

 一番いいなと思った点は、ミュージカルらしいショーナンバーがあったこと。
 宝塚歌劇は海外ミュージカルに比べてどうしても「ただの歌入り芝居」になってしまうことが多いと私は思っていて(というかそういう意味ではまだまだミュージカルって日本に根付いていないのではないかとさえ思う。宝塚歌劇に限らず、日本オリジナル作品でよく出来たミュージカル作品ってぱっと思いつかない、ぶっちゃけ…)、それはやはり歌やダンスの入れ方がまだまだ下手なせいなのではないかと思っているのですが(主役カップルの恋愛感情を表現するような幻想的なソング&ダンスナンバーは宝塚歌劇はさすがにメソッドが出来ていてちゃんとしていると思うのですが)、今回の作品ではショーナンバーが良かったと思いました。
 唇の淑女の「ゴシップ、噂」の場面とか、「王は何でもお見通し」の場面ですね。
 児玉先生の留学の成果なのか、もともとセンスや才能があったのかはわかりませんが。
 ただし「努力しないで無銭飲食する方法」の場面は楽屋落ちとして下の下だと思ったし、地下牢獄の場面でも囚人たちによるナンバーがあったそうですが東宝でカットされたということはなんらかの問題があったということでしょうから、なんともほめづらいな…
 まあでもシリアスでロマンチックな物語だろうとストレート・プレイではない以上楽しいショーナンバーはミュージカルには必須だと思うので、とにかくその点は評価したいです。

 では順にねちねちと語らせていただきます(^^;)。

 プロローグ、まず冒頭のナレーションに引っかかりました。
 仮面の男の説明を客観的にする台詞なんだけれど、キムに語らせるとフィリップの台詞でもルイの台詞でもないんだからヘンじゃん…と思えてしまって。まっつないしコマ(つまりアトスかサンマール)にさせるべきだったのでは?
 主役の登場の仕方と、仮面のふたつの目の部分からヒロインと二番手が現れる演出は素敵だと思いました。
 その後の三銃士と闇の騎士たちの登場の仕方もかっこいいし、これがのちの「一大ページェント」のリブライズ(順が逆なので変な言い方ですが)となっているのも素敵でシビれました。いったいに素敵なプロローグだったと思う。
 しかしキムから歌い継ぐチギのマイク調整はどうにかならないの? いきなりずっこけましたがな。
 下手なのはまあがんばって上手くなってもらうしかないとして(ヒドいな…でも歌が課題なのは本当のことですよね)、せめて音量はマイクで上げてあげられるだろう。ミミちゃんの歌も弱くて残念でした。
 それで言うとキムの歌が上手いのは知っていたけれど、今までどうしてもハマコだのユミコだのばかりが朗々と歌い聞かせてきて、歌手としてのキムの起用って実はあまりなかったのではなかろうか。きりやんみたいな本当に歌が上手いタイプとはまた違うけれど、抜群の安定感と聞きやすさは武器だなーと思いました。他のトップさんはほら、みんな歌声に癖があるタイプだからさ((^^;)いやチエちゃんはそうでもないかな?)。

 続く第2場。
 時代背景を説明しよう、という意図はいいと思います。
 しかしまずその時代を日本でいうと水戸黄門の時代、とするのはアタマが悪すぎる。
 テレビドラマでおなじみの水戸黄門がフィクションのキャラクターではなく実在の人物だった、ということはおそらく多くの人が知っていると思います。
 しかし「先の副将軍」とは言われていますが、ではそのときの将軍は誰で第何代で西暦でいうと何年くらいの頃の人である、ということを知っている者がはたしてどれだけいると脚本家は思っているのでしょうか。
 少なくとも私は知りません。不勉強なだけだと言われても仕方ありませんが、とにかく考え落ちすぎるアイディアだと思います。
 フランスといえば有名なのはジャンヌ・ダルクとマリー・アントワネットで、今回のお話はその真ん中あたり、という説明はとてもいいと思いました。
 ただしアントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という台詞は有名なエピソードとしていいとして、ルイ16世の「私は罪なくして死んでいく…」みたいな台詞は『ベルサイユのばら』の原作および宝塚歌劇版からきているわけですが、今この作品を観ている観客の全員が宝塚歌劇ファンとは限らないし、ファンでも『ベルぱら』を観たことがないとかこういう細かい台詞まではぴんとこない人なんてものはたくさんいるワケですよ。
 なのにこういうマニアックなパロディを嬉々としてやっている子供っぽさが本当に見苦しいと思いました。
 この場面、少なくとももっとシンプルにコンパクトにやって、浮いた3分でも5分でも芝居にまわしてほしいと思いました。

 第3場、4場はルイの女好きを表現する場面でしたが…
 下品なのにやや鼻白んだなあ。ショーならまだアリかなと思うんですけれどね。
 ルイは本当に悪役であるべきなので、あまり素敵なプレイボーイ、みたいに表現してしまうのも違うと思うんですけれど、もう少しやりようがなかったのかな、と思うわけです。悪役、敵役でも宝塚歌劇では演じるのはあたりまえですがタカラジェンヌであり、しかもこの場合はトップスターなワケですしね。
 少なくともここももっと短くすることは出来ますよね。
 あと、マントノン夫人(沙月愛奈)に関して「もうひとつの顔がある」みたいなことを言っていますがそれって結局なんのこと? ベッドではすごいとかそういうこと? よくわからなかったのは私だけ??

 第5場「ゴシップ、噂」は前述のとおりショーナンバーとしてよかったと思いました。
 ミレディ(舞咲りん)の顔の映像の使い方なんかもおもしろかったし。
 ルイーズの矢印は私は気になりませんでしたが(^^;)、もちろん不必要だったと思います。というかこのときのルイーズとラウルが別の時空にいるように舞台上で見えなかったことのほうが問題だと思いました。

 第6場の『H2$』パロディがいただけないのも前述のとおり。
 あと、三銃士たちが無銭飲食なんかするキャラでいいのかってこともあります。もちろんチャーミングに表現することも可能ではありますが、だったら堂々とツケで呑んでるんだっていいと思いますしね。ぶっちゃけ私はここはロシュフォール(大湖せしる)が正しいと思いました。アトスたちがやっていることは立派な犯罪です。
 ただしダルタニアンの登場の仕方は彼らの窮地を救うものとしてカッコいいし、二番手の登場の仕方としても印象的なので、そこはいいかなと思いました。
 でもその後の会話がなあ…贔屓組であれば「ル・サンク」買って脚本に赤字を入れるところですよ。
 まずダルタニアンが「血よりも主従」みたいなことを言うのがわかりづらい。ダルタニアンが三銃士と義兄弟の契りを交わしたような、かつては肉親以上の仲間だったが、今はその絆よりも仕えるべき主君の命令の方を大切にしている、みたいなことを言いたいのだと思うのですが、伝わりません。
 そのあとアトスだかポルトスだかが「自由より欲」みたいなことを言うのですがこれも抽象的で台詞として良くない。三銃士たちが自由でいたいとそれを選んだのならそれだって「欲」なんだから。
 そうではなくて、これは、かつて三銃士とダルタニアンはルイ13世に仕えたけれど、その後代替わりしたとき、三銃士たちは暴君のルイ14世に嫌々仕えるよりはむしろ浪人(って騎士でもいうのかな)することを選び、一方ダルタニアンは出世欲に駆られて居残ったのだ、というようなことが言いたいんでしょう? だからそれをもっとわかりやすく伝える台詞にしてください。

 第7場「ダルタニアンの歌」は、まあ歌はがんばってもらうことにして(しつこい)、気になったのはコンスタンス(愛加あゆ)は台詞だけでもよかったのではないのかな、デュエットするにしてももっとパートが少なくてもよかったかな、ということ。
 というのはその前にヒロインであるルイーズがほとんど全然歌っていないようなものだからです。スターシステムを取る宝塚歌劇の構造として、ちょっと私は引っかかりました。

 第8場「王は何でもお見通し」がショーナンバーとしていい、というのも前述のとおり。
 生き生きと悪役ルーヴォア(彩那音)を演じるヒロミが楽しそうでとてもよかったです。
 ルイが暴君であり国民から支持されていないこともきちんと表現されていていいと思いました。国王の座から引きずりおろされるのもやむなし、と見えないとまずいわけですからね。
 ところでミレディがラウルを逮捕するためにルーヴォアのペンダントを使って催眠術のようなものをかけているようですが、ラウルはそれであることないこと自白させられちゃう、みたいなくだりが必要ではないかなあ。単に捕縛するためだけなら殴って気絶させるだけでも捕まえられるでしょ。催眠術というならそれくらいやらないと。のちに「証拠がある」とかいう台詞がでてきますがそんなものあるわけがないはずで、だったらやっぱり嘘の自白くらいないとおかしいでしょう。
 ルイーズに侍女になるよう迫るルイのワル顔したキムはサイコーでした(^^)。

 修正されたというのは第9場の地下牢獄のくだりでしょうか。
 ここでほとんど初めて、物語の主人公であるフィリップ(音月桂の二役)が登場することになるわけで、はっきり言ってここまでもっともっと巻いてなるべく早く展開されるようにするべきですよね…
 ここではもちろんサンマール(沙央くらま)のコマがいい仕事しています。

 第10場「ラウルの手紙」で気になったのは、洗濯女が手紙の内容を読んでいたらなんだったんだということ。つまらないことですが。読み書きできたらどうだったっていうの? 読まれてまずい内容か?
 それから「先立つ不幸をお許しください」ってフレーズを実際に使う人はあまりいないのではないでしょうか…私はなんのギャグだと思いました。
 ところでラウルはアラミスと並び今回なかなかの儲け役だったと思うのですが、今上り調子でありスター性十分のナギショー、歌はがんばってもらうことにして(しつこい)、私は今回のビジュアルがやや残念だったと思っていて(ああいうヘアスタイルが好みねじゃないだけかもしれないのですが。そしてきんぐはビジュアルはとても素敵だったと思ったので、余計に)、もっと自分を美しく見せる技を磨いていってほしいなあと思いました。上背に恵まれている人ってそういうところがけっこうおろそかだったりするからさ…
 そしてこの場面でのまっつはよかったなあ、さすがだったなあ。なんということもない芝居をしているんですけれどね。でも能天気なポルトスや神の支えがあるアラミスと違って、現状を憂いしかしやさぐれることしか出来ないでいる知能派のアトスのくすぶり、苦悩…みたいなものがとてもよく表れていたと思いました。…贔屓しすぎ?(^^;)

 脱獄のくだりはランボーだがまあいいか(^^;)。
 でもその後の第11、12場ももう少していねいに台詞を書いてほしかったです。
 というのは、私がこの作品を嫌いじゃないのはこのもチーフが好きだからなのですね。王位、とは限らないけれど、あるポジションに着くことが期待されているあるいは決定しているのに、その才がない人の苦悩、とか、才があるのにポジションの方が回ってこない人の苦悩、とかがドラマのモチーフとして個人的にすごく好きなんですね。
 まあルイは自分に王たる才がないとか思っていないので苦悩もしていないわけですがそれはいいとして(^^;)フィリップとしては、助け出されたことはありがたいけれどルイと入れ替わってくれと言われてもそんな無茶な、と思うのは当然の流れですよね。
 それに対して三銃士たちももっと言葉を尽くして説得してほしいのです。というのは、今のままだと単なる私怨というか弟の復讐のためにやっているようにも見えてしまうから。ルイを罰したいというのはわかるけれど、それと一国の王を入れ替えていいかというのとは問題が違うでしょう? だから私怨だけでなく復讐だけでなく、国民のため国のため、あの王ではもうダメだから、君に代わってもらいたい、というようなことを語るぺきだと思うのですね。

 そもそも私はフィリップが双子の兄であり正統な王位継承者だったのに、弟ルイに王位を簒奪されていたようなものなんだから王位を取り戻すべきなのだ、というような理屈があるのかなと思っていたのですよ。
 けれどフランス王家の慣わしでは双子の場合は弟を跡継ぎとするんだそうですから、あくまでルイが正統な王なのであり、双子の兄だろうがなんだろうが普通にしたらフィリップの方が簒奪者ということになってしまうわけです。
 そこに正当性を持たせるためには、ルイが君主としてはダメダメであること、フィリップは優しく賢いのでちゃんとした教育を受ければもっとずっといい国王になるであろうこと、がきちんと表現される必要があると思うわけです。

 第12場はまさしく「フィリップの苦悩」というタイトルになっているのですが、ここでのアラミスとの会話も抽象的で理屈が通ってなくて疲れました…
 なんだっけ?「私はこう見えても神に仕える身を目指しているんですよ」だっけ? だからなんなんだ。アラミスがどう見えようがどうでもいいだろう。そのあとに「神は越えられない試練はお与えになりませんよ」とかなんとか、神に絡めてフィリップを励ます台詞でこの場面を閉めないと意味がないだろう。
 ここも変更されたくだりだと聞きますが、なので練れていないのでしょうか…

 第13場「一大ページェント」もショーナンバーとしておもしろかったです。
 大女優(晴華みどり)がミラーボールになっても別にいいと思いましたしね(^^;)。
 ただここで私がちょっと驚いたのは、ルイがフィリップの、というか仮面の男の存在を知っていたことでした。
 フィリップを王宮から離して育てたことはもちろん幼かったルイの与り知らぬところで、当時の国王と側近とがやった処置でしょうが、おそらくルイが成人するなり親政を始めたときに初めて聞かされたのでしょうね。
 で、そのままにしておいてはまずいとルイが判断し、コンスタンスを襲わせ、フィリップを捕らえて仮面を被せて牢に閉じ込めたのでしょう。
 のちにルーヴォアの台詞でそうした経緯も語られますが、私はずっと側近が勝手に良かれと思ってルイには何も知らせずにやっていて、ルイはフィリップの存在をまったく知らないということもありえるな、となんとなく思っていたので、ちょっと驚いたのでした。
 知っていたらむしろなんとかしてやりたいと思うのが人間の情だろう、と考えるから、ルイは何も知らなかったのだと思いたかったのかもしれませんが、でもルイは知ったからこそ捨て置けぬと追っ手を差し向けちゃうような極悪非道な人間だったってことですね。
 でもとにかく事前にサンマールとかルーヴォアを使って、仮面の男に関する命令はルイから直接出ているのだ、というようなことを出しておいてもよかったかなと思いました。
 入れ替わりは見事。
 そしてそのあとのアンヌ王太后(梨花ますみ)とフィリップとの会話もとてもよかった。泣かされました。母子ものというのはドラマの定番のひとつですが最近はあまり見ませんね。でもいいくだりだったなあ、こんないいシーンも書けるのになあ…

 第14場でやっとトップコンビ場面になります(^^;)。
 ところでルイーズのお衣装はもう一着作ってやってもよかったのでは…酒場の場面やルイに迫られる場面でピンクのドレスも着ていますが、最初と後半はずっとこのブルーのドレスでは? 侍女だから質素なのかもしれませんが、ルイはお気に入りの侍女にドレスくらいもっとたくさん与えたと思いますよ…
 ここでちょっと笑ったのはダルタニアンの「俺の目はごまかされないぞ!」発言。立ち聞きしてただけやん、とか思ってしまって。いや怪しいと思ったから立ち聞きしたんだよね、ごめんねダルタニアン(^^;)。

 で、ダルタニアンがルイ奪還に行くわけですが、第15,6場のつながりがよくわかりませんでした。
 つまりルイが助け出されて、フィリップが偽者の王だということがバレて、それでルイーズがフィリップをかばって王宮をともに脱出してくれて、その道行き…というのがあまり説明されていないので、状況が当初よくわからなかったのでした。
 影絵は…おもしろかったけれど、ま、長いかな。最初のいちゃいちゃアイテムとしてだけでもよかったかもしれません。
 というのは、その後のウサギと亀の童話が比喩として不発になってしまっているから。
 ルイーズは、王座に胡坐をかいて悪さばかりして王としての歩みを止めてしまったウサギのようなルイに対して、フィリップが王になるための努力をこつこつとたゆまず続けていくなら亀のようにウサギに勝てるよ、と言いたくてこの童話を選んだのでしょう?
 なのにそのあとのフィリップの台詞で「僕は歩みを止めてしまっていた」とか言わせちゃダメじゃん。じゃあこっちが休んで寝ていたウサギなの?って観客は混乱しちゃうでしょうが。ああアタマ悪い。

 第17場も変更されたそうですが、映像で疾走する馬を映すのはなかなかよかったのではないでしょうか。この手の場面では失笑ものの演出を他にもこれまでたくさん見てきましたからね…
 そして「ファイナル・バトル」。殺陣がなかなか激しくてカッコよくて、みんながんばっていましたねー。
 ツボだったのはサンマールがまったく戦闘に参加せず、指示出してにらみ利かせていてカッコよかったこと。悪役っぽいわー。
 そしてルーヴォアは小悪党っぽく自分から戦闘に参加しちゃうのもいい。
 ただしコンスタンスのペンダントに関する説明はクドい。観客はみんなもう十分わかっています、冗長です。
 どんでん返しも気持ちよく、マナハルの仮面の男(真那春人)の芝居も確かで、舞台としてもスリリングで楽しかったです。
 コンスタンスは帰らないけれど、ダルタニアンと三銃士はまた仲間に戻れました。
 これはフィリップが仮面を取って表舞台に出てくる物語ですが、やさぐれて人生の意義を見失っていた三銃士が再び仕えるべき主君を見つけ、その治世を助けるという使命、仕事を手に入れるまでの物語でもあるのです。
 ダルタニアンも、恋人の死の真相を探るためだけに生きてきたのが、仲間と人生を取り戻すことが出来たのです。すばらしい。
 ラストは主役カップルの愛の歌で幕、すばらしい。
 ただし紗幕だけ下ろして暗転、では次の場面が続くかもしれないと思ってしまって、観客は気持ちよく拍手できません。緞帳を下ろすべきです。

 あー疲れた長くなりました。
 でも生徒さんはみんな適材適所でかつ大熱演、がんばっていて観ていて気持ちがよかったです。
 東宝からの変更は大変だったと思いますが、がんばって乗り越えているのではないでしょうか。
 本当はなんのせいで変更に至ったのかは知りませんが、児玉先生も今後もがんばってください。
 でも生徒は演出家の道具ではないから。そういうことがしたいんだったら外部で自分でキャスト集めてください。宝塚歌劇の作品は組子を生かすために作られるのが当然です。そういう仕組みの劇団であり舞台なのです。どんな新しい試みもその枠の中でなされるべきです。生徒たちが清く正しく美しく、愛と夢と希望を届けるべく舞台に臨んでいる以上に、演出家にはその心構えが必要です。それは肝に銘じていただきたいです。

***

 ドリームステージ『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』は作・演出/斎藤吉正。
 初見時はあまりのきらびやかさにぎやかさに当てられてわはははーとなり、「今年のマイ・ベストショーだな!」と思いました。
 二度目に観たときの方が緩急がなく一本調子に見えて気になったかな。でも楽しい元気なショーでいいと思います。これももちろんまず演出家が楽しんでるやろ!とつっこめるタイプのものなのですが、ショーの場合はそれでいいんですよね(ということはこだまっちも一度ショーにトライしてみては…?)。

 まずもって冒頭の赤マントのハートのAあゆっちか可愛すぎる!
 あゆっちは一皮剥けましたよねー、キムとの映りもよさそうで、ちょっとミミちゃんが気の毒なくらいの上げっぷりだったなー。
 私は二番手娘役は確定していた方がいいしちゃんとした個性のある娘役さんがたくさんいたほうがいいと考えている人間ですが、今回は今さらだけれどミミちゃんのトップ娘役お披露目公演でもあるのでねえ…
 トップコンビが確定して数公演後だったら、「WESTERN-K」の場面とか、キムの相手がミミちゃんじゃないのもアリだと思うんだけど、今回に関しては工夫してあげてほしかったです。
 しかしあゆっちはマジシャンの場面のキューティーもよかったし人民戦士の場面の希望のアオザイもよかったし可愛かったわああああ。

 それから単なる退団オーラとか言いたくないけどカオリがどの場面も綺麗で可愛くて眼福だったわああああ。

 アリスMIMICHANGはとてもよかったです(^^)。
 せしるときんぐのドライバーとライダーの場面も短いけれどとても楽しかった。
 キタさんは猛獣使いが本当に楽しそうでよかった(^^)。
 GIの場面では、ヒロミにヒメを、カオリにコマを相手役として配する愛情がイイ。
 そしてまっつの歌はどこでも本当にすばらしい。
 インディアンのヤングトリオ銀橋もいい。あみちゃんはこういう形で使っていくのが正しいと思います。
 せしるの女役姿も美しい。どうなんだ。
 デュエットダンスのお衣装が変わったということですが、しかし「インディアン」という表記も問題だがそのコンセプトそのものも変わらなかったのですね…

 しかしとにかくおもしろすぎてネルソン衣装もファンサン衣装の使いまわしも意外に気になりませんでした。
 パレードの下り順は話題でしたが、カードの関係もあるし、舞台や銀橋での位置はいつもどおり…だったのではないのかな?
 あと雪組さんは歌える娘役さんも踊れる娘役さんも多くて、今さらですがショーが本当に楽しいなと思いました。
 個人的にあまりくわしくない組のはずなんだけれど、こんなにもスターがざくざくいるんだなあ!って気がしました。うん、楽しかった!!
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