駒子の備忘録

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楊逸『獅子頭』(朝日新聞出版)

2012年01月20日 | 乱読記/書名さ行
 巨大な肉団子「獅子頭」が評判で、貧農の子・二順は日本の中華料理店へ。食・言葉・恋愛など中日文化差の狭間で中国人青年が送る波乱万丈の日々を描く成長小説。

 新聞小説ですが、なんの話なのか皆目わからず、イライラしながら読みました。
 次第に料理の話でも文化摩擦の話でもなく、ただ主人公の人生を淡々と描いている作品なのだな…とわかってはきましたが…
 私は小説にはテーマとかメッセージとかがあった方が好みなので、最後まで漠然としたまま終わるこの物語にはなんとも複雑な思いがしました…
 そりゃ実際の人生ってこんなものかもしれませんけれど。そして死ぬまで続くんだからどこかで切り上げるしかなかったのかもしれませんけれど。
 みんながみんな主体的に生きているわけはないし、主体的に生きていたって思うとおりにならないのが人生だということもわかりますが、しかしこの主人公はひどすぎる。
 田舎者だとかお人よしだとかいうレベルを超えているのでは? みんなこんなものだよとか、教育を受けていないんだからこんなものだよということなのかもしれませんが、主人公キャラクターとしての魅力にあまりにも欠けていませんか?
 そして帯には「成長小説」とか書かれていますが、彼は別に成長なんざしていないじゃないですか。何も変わっていない。ただ流されているだけ。
 周りも、そんな彼の優柔不断さに迷惑受けてばっかり、とは言いませんよ。ちゃっかり利用している部分もあると思いますし。
 でも、そういう全部含めて、別に何かがよくなっているとか変化しているとかいうことがない話なんですよね。じゃ、なんなの?って気がしてしまう…
 しいて言えば大事なことは「大事にしてくれる人を大事にすることだよ」みたいな台詞に集約されるのかもしれませんが、この主人公、それも別にできるようになっていませんもんね。
 自分を大事にしてくれている人って誰なのかわかっていないし、その人を大事にすることもできていない。ただ日々を送っているだけじゃん…
 そんな普通の、もしかしたら自分そのものみたいな人間の日常なんか、人はわざわざ小説で読みたいと思っていないと思うんだけどなあ…

 芥川賞作家ですが、初めて読みました。
 同じ時期に在学していたんだわと思うとなかなかに感慨深くはありますが…
 でもやっぱり日本語がネイティブじゃない。不思議ですね。こんなにきちんと書けているのに、間違いはまったくないのに、でも普通こういう言葉は選ばないよな、というのが散見される。
 でもそれと小説としてのあり方はまた別問題だからなあ…ううーむ。
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