シアタートラム、2022年9月16日18時。
とある日、三女・滝子(安藤玉恵)の、話したいことがあるという連絡により、四姉妹が集まることに。数日前、70歳を迎える父親が愛人らしき人物といるところを目撃した滝子は、興信所の探偵・勝又(岩井秀人)に父の身辺調査を依頼したのだ。四人は、母親に知られることなく父に浮気を解消してもらうべく、策を練る。そんな姉妹だが、実は自身の生活にもそれぞれ悩みを抱えていた。長女・綱子(小泉今日子)は仕事先の妻子ある男性・貞治(山崎一)と不倫関係、次女・巻子(小林聡美)は夫・鷹男(山崎一の二役)の浮気の予感にもやもやし、滝子はその潔癖さで男との出会いもなく、四女・咲子(夏帆)はボクサーの陣内(岩井秀人の二役)との不安定な同棲生活に疲弊していたのだ…
作/向田邦子、脚色/倉持裕、演出/木野花。1979年に放送されたテレビドラマの舞台化。全1幕。
テレビドラマは未見、タイトルしか知りませんでした。が、有名な作品なのは知っていましたし、私は役者としてのキョンキョンのわりとファンなので、お友達に無理を言ってチケットを取っていただき、いそいそと出かけてきました。
大好きなシアタートラムですが、こんなふうにも客席を組めるんだ、という、ステージをセンターに置いて四方から観劇する作り。正方形らしきステージはボクシングかプロレスのリングのようで、四角にコーナーポストならぬ台がありました。
開演時間になると、でんでん太鼓が鳴り響く中、黒子姿のスタッフさんふたりが現れて、ごく簡素な骨組だけの立方体みたいなものを運んであちこちに置き始めます。どうやらそれらはダイニングテーブルだったり椅子だったりソファらしきものに見立てられるのでした。そして四角の台の上には黒電話や赤い公衆電話が置かれ、電話台になったのでした。
一度暗転して、拍子木が鳴り、開幕しました。滝子の電話に姉妹それぞれがそれぞれの反応をして、わらわらと話が始まっていきます。
セットはなく、この簡素な小道具?を役者やスタッフが持ち運んで場面転換をし、役者はときにステージを降りて街中に見立てられた客席の前を歩き、なんなら走ります。照明や効果音が状況説明をしますが、能や歌舞伎っぽい演出や、なんならフラメンコまで飛び出す、いかにも演劇っぽい演出で、抽象的なような、でもだからこそリアリティがあるような、人間臭くて笑える、古き良き人情劇が繰り広げられました。演出家の見立てではこのステージは土俵なんだそうですね。
私は昭和の核家族育ちなので、さすがに私が身をもって知っている家族の姿からは遠く、昭和30年代くらいのお話かなと思っていたのですが、設定は54年でした。失礼しました、でも東京都下とか下町とか、あるいは兄弟の多い家ならこれくらいの密さはまだまだ当然だったのかもしれません。うちの親はどちらも自分の兄弟とあまり仲が良くなかったようで、実家と疎遠だったからな…ともあれ、女友達とも違う姉妹の距離感が微笑ましいやらいじらしいやらうらやましいやらウザいやらで、絶妙でした。
阿修羅は三面六臂の戦いの神様だから、三姉妹でもよかったのか…?などと思いつつ、それが四人だからより多彩でおもしろかったんだろうし(『三人姉妹』という名作はそれこそ他にあるのだし)、この舞台には出てこない母親を含めて、女はすべて修羅である、というような意味なんだろうからやはりこれで正しかったのでしょう。滝子も勝又と結ばれてよかったけれど、しかしこれは誰かの台詞にもあったように、女がひとりで生きていくという選択肢がほぼないという時代の物語だっんですよね。男と対等に扱われず、男に依存せざるをえない時代の物語。だから女は修羅になる、というお話です。
今もなお男女平等には遠いものがありますが、それでも、自由だからではなく貧困が主な理由であることが残念ではありますが生涯独身率は男女ともに増大していて、ある種の女性には独身だからと奇異の目を向けられることなく好きに生きることが出来るようになった、いい時代ではあると思います(男性のことは知りません)。少なくとも私は、単に鈍感なだけかもしれませんが、周りから結婚を強要されるようなことはなかったし不審がられることもなかったように思います。めんどくさい恋愛の経験がなかったわけではないけれど、私は相手の家の近所にまで行ったりしなかったし(行かなかった自分を褒めたい、と観劇しながら思いました)、修羅にまではなりはしなかったのではないかと思っています。男のことは死ねばいいと思っていますけれどね(…これが修羅か?)。
最後は「なんだよこれも妊娠小説かよ」とか思いはしましたが、親の死と入れ違い、というので担保されているところはあるのかもしれません。ここで亡くなっているのは母親でしょうか、それとも父親? 何かが精算されたり改善されたりしたのかは語られませんが、それでも人生は続いていく…と、喪服姿の6人がぞろぞろステージの四辺を巡り、それで終演、ラインナップとお辞儀へ…というラストでした。よかったです。
で、ものすごい二役でしたね! 私はこの6人を見て「え、他の役者さんは?」と思ったくらいでした。すぐわかったのは陣内の愛人のマユミが安藤玉恵だったことくらいで、貞治が山崎一だったのは途中にやっと気づきましたし、貞治の妻・豊子が小林聡美だったのも陣内と勝又が同じ役者さんなのも全然気づきませんでした。はずかちー。母親のダミーがキョンキョン、父の愛人のダミーが夏帆、すごいな! これも顔を見せないからって別の役者さんがいるのかと思っていましたよ…
本当にナチュラルな、でもキャラクターや感情がくっきり浮き上がっていく台詞を、みんながナチュラルに発し、パタパタと動き回り、おかしくもの悲しい、良きお芝居でした。満足!
とある日、三女・滝子(安藤玉恵)の、話したいことがあるという連絡により、四姉妹が集まることに。数日前、70歳を迎える父親が愛人らしき人物といるところを目撃した滝子は、興信所の探偵・勝又(岩井秀人)に父の身辺調査を依頼したのだ。四人は、母親に知られることなく父に浮気を解消してもらうべく、策を練る。そんな姉妹だが、実は自身の生活にもそれぞれ悩みを抱えていた。長女・綱子(小泉今日子)は仕事先の妻子ある男性・貞治(山崎一)と不倫関係、次女・巻子(小林聡美)は夫・鷹男(山崎一の二役)の浮気の予感にもやもやし、滝子はその潔癖さで男との出会いもなく、四女・咲子(夏帆)はボクサーの陣内(岩井秀人の二役)との不安定な同棲生活に疲弊していたのだ…
作/向田邦子、脚色/倉持裕、演出/木野花。1979年に放送されたテレビドラマの舞台化。全1幕。
テレビドラマは未見、タイトルしか知りませんでした。が、有名な作品なのは知っていましたし、私は役者としてのキョンキョンのわりとファンなので、お友達に無理を言ってチケットを取っていただき、いそいそと出かけてきました。
大好きなシアタートラムですが、こんなふうにも客席を組めるんだ、という、ステージをセンターに置いて四方から観劇する作り。正方形らしきステージはボクシングかプロレスのリングのようで、四角にコーナーポストならぬ台がありました。
開演時間になると、でんでん太鼓が鳴り響く中、黒子姿のスタッフさんふたりが現れて、ごく簡素な骨組だけの立方体みたいなものを運んであちこちに置き始めます。どうやらそれらはダイニングテーブルだったり椅子だったりソファらしきものに見立てられるのでした。そして四角の台の上には黒電話や赤い公衆電話が置かれ、電話台になったのでした。
一度暗転して、拍子木が鳴り、開幕しました。滝子の電話に姉妹それぞれがそれぞれの反応をして、わらわらと話が始まっていきます。
セットはなく、この簡素な小道具?を役者やスタッフが持ち運んで場面転換をし、役者はときにステージを降りて街中に見立てられた客席の前を歩き、なんなら走ります。照明や効果音が状況説明をしますが、能や歌舞伎っぽい演出や、なんならフラメンコまで飛び出す、いかにも演劇っぽい演出で、抽象的なような、でもだからこそリアリティがあるような、人間臭くて笑える、古き良き人情劇が繰り広げられました。演出家の見立てではこのステージは土俵なんだそうですね。
私は昭和の核家族育ちなので、さすがに私が身をもって知っている家族の姿からは遠く、昭和30年代くらいのお話かなと思っていたのですが、設定は54年でした。失礼しました、でも東京都下とか下町とか、あるいは兄弟の多い家ならこれくらいの密さはまだまだ当然だったのかもしれません。うちの親はどちらも自分の兄弟とあまり仲が良くなかったようで、実家と疎遠だったからな…ともあれ、女友達とも違う姉妹の距離感が微笑ましいやらいじらしいやらうらやましいやらウザいやらで、絶妙でした。
阿修羅は三面六臂の戦いの神様だから、三姉妹でもよかったのか…?などと思いつつ、それが四人だからより多彩でおもしろかったんだろうし(『三人姉妹』という名作はそれこそ他にあるのだし)、この舞台には出てこない母親を含めて、女はすべて修羅である、というような意味なんだろうからやはりこれで正しかったのでしょう。滝子も勝又と結ばれてよかったけれど、しかしこれは誰かの台詞にもあったように、女がひとりで生きていくという選択肢がほぼないという時代の物語だっんですよね。男と対等に扱われず、男に依存せざるをえない時代の物語。だから女は修羅になる、というお話です。
今もなお男女平等には遠いものがありますが、それでも、自由だからではなく貧困が主な理由であることが残念ではありますが生涯独身率は男女ともに増大していて、ある種の女性には独身だからと奇異の目を向けられることなく好きに生きることが出来るようになった、いい時代ではあると思います(男性のことは知りません)。少なくとも私は、単に鈍感なだけかもしれませんが、周りから結婚を強要されるようなことはなかったし不審がられることもなかったように思います。めんどくさい恋愛の経験がなかったわけではないけれど、私は相手の家の近所にまで行ったりしなかったし(行かなかった自分を褒めたい、と観劇しながら思いました)、修羅にまではなりはしなかったのではないかと思っています。男のことは死ねばいいと思っていますけれどね(…これが修羅か?)。
最後は「なんだよこれも妊娠小説かよ」とか思いはしましたが、親の死と入れ違い、というので担保されているところはあるのかもしれません。ここで亡くなっているのは母親でしょうか、それとも父親? 何かが精算されたり改善されたりしたのかは語られませんが、それでも人生は続いていく…と、喪服姿の6人がぞろぞろステージの四辺を巡り、それで終演、ラインナップとお辞儀へ…というラストでした。よかったです。
で、ものすごい二役でしたね! 私はこの6人を見て「え、他の役者さんは?」と思ったくらいでした。すぐわかったのは陣内の愛人のマユミが安藤玉恵だったことくらいで、貞治が山崎一だったのは途中にやっと気づきましたし、貞治の妻・豊子が小林聡美だったのも陣内と勝又が同じ役者さんなのも全然気づきませんでした。はずかちー。母親のダミーがキョンキョン、父の愛人のダミーが夏帆、すごいな! これも顔を見せないからって別の役者さんがいるのかと思っていましたよ…
本当にナチュラルな、でもキャラクターや感情がくっきり浮き上がっていく台詞を、みんながナチュラルに発し、パタパタと動き回り、おかしくもの悲しい、良きお芝居でした。満足!
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