駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『モーツァルト!』

2021年04月21日 | 観劇記/タイトルま行
 帝国劇場、2021年4月19日17時45分。

 1768年ウィーン。ザルツブルクの宮廷楽士であるレオポルド・モーツァルト(市村正親)は、錚々たる名士が集まる貴族の館で幼い息子がピアノを弾くのを目の当たりにしている。5歳にして作曲の才が花開いたその子は「奇跡の子」と呼ばれていた。やがて歳月は流れ、息子ヴォルフガング(この日は古川雄大)はザルツブルクで音楽活動を続けている。傍らにはいつも、奇跡のこと呼ばれたころのままの分身アマデ(この日は深町ようこ)が寄り添い、作曲に勤しんでいる。しかし青年ヴォルフガングは、領主であるコロレド大司教(山口祐一郞)の支配下で作曲せねばならないことに嫌気がさしていた…
 脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ、音楽・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ、演出・訳詞/小池修一郎、音楽監督/甲斐正人、振付/前田清実、美術・映像監修/松井るみ。1999年ウィーン初演、2002年日本初演、7度目の上演。全2幕。

 アッキーで観たときはこちら、芳雄と育三郎で観たときはこちら
 2018年から新演出になったそうで、キャストは今回とほぼ同じ、なのかな? ゆんゆんが観たくて、そしてしーちゃんがアロイジア(彩花まり)をやるというのでいそいそと出かけてきました。ピアノのセットは「おお、ロクモ!」とか思っちゃいましたよね…そして鍵盤が階段に見立てられているのですが、そこをキャストが上り下りするのが、個人的には鍵盤に足で乗るなんて…とお行儀の悪さに辟易しました。
 さてゆんゆんは、顔が小さすぎて首が太く長過ぎなくらいに見えるという、そしてゆうに十頭身はありそうな長身で超絶スタイルで、タカラジェンヌもかくやという感じでした。歌唱も素晴らしかったです。
 コンスタンツェは木下晴香、ナンネールは和音美桜。ヴァルトシュテッテン男爵夫人はたぁたん回を選びました。いずれも上手い。シカネーダーの遠山裕介もよかったなあ。
 しかしヴォルフもコンスもナンネールも何人も代替わりしているのに、どうしてレオポルドとコロレドは20年経っても同じなんだろう…ここも変えていけばいいのに。そして和音美桜はぼちぼち「星金」を歌えば? たぁたんとかカナメさんもだいぶ長いよね? こういうところもリフレッシュ、リニューアルしていけばいいのにな、と思いました。
 でも、まあ、いいです。何度か新演出になりながらも基本的に作品としてこのままなら、私はもう観なくてもいいかな…と今回思ってしまいました。チケットを取っておきながら、そして過去にも観たことは覚えていながらも、どんな内容のなんの話でどう感じたのかをまったく思い出せないでいたのですが、観てわかった&そして自分の過去記事を読み返してわかりました、私はこの作品が別に好きじゃないんでした。というかよくわからないのでした。今回もよくわからなかった…やたらと再演されるし人気があるんだろうけれど、これこそNOT FOR MEなのだな、とやっとわかりました。
 なんか、ナンバーの羅列でつなぎの芝居みたいなものがあまりないので、そりゃ歌は上手いから歌詞は聞き取れて意味もわかるんだけれど、それでもそこで歌われていることをどう解釈したらいいのか、ということが観ていて私にはよくわからなかったのです。そもそものウィーン版はもっとオペラチックなもので、これでもイケコがだいぶ芝居を足したとということですけれど…それこそ『ロクモ』も観たし史実とかうっすらした知識、イメージは持っているつもりですが、それでもこの舞台の中ではどういうこととしていて、そしてどんな物語を展開しようとしているのか?ってことをつかみたいじゃないですか。
 大司教が子飼いの芸術家に働かせて自分の名誉を高めようとしている、というのはわかる。レオポルドがリーマン根性で雇い主にへこへこして、息子のことは束縛しようとしている、というのもわかる。ヴォルフがそれを嫌って逃げ出そうとする、のもわかる。
 でも、で?って感じじゃないですか? この父親はなんでこんなに口うるさいの? こんなに息子を抑圧して何がしたいの? 同じ芸術家として嫉妬があるってことなの? でもそんな説明ありませんよね? そしてヴォルフはなんでせっかく出ていったのに戻ってきたりまた出ていったりするの? あたたかな家庭みたいなものに対する渇望があったってこと? でもそんなキャラか? 父親に認められたい、という思いはわかるけど、こんなに話が通じないのになんで捨てちゃわないの? 全然説明も描写もないですよね?
 そして悪妻と名高いコンスも、別にこの物語のヒロインじゃないよね…ヴォルフのどこが好きでどこが好かれて結婚したのか全然わからないし、なんでその後上手くいかなくなってダンスはやめられないになるのか全然わからない…あとアバンとか2幕アタマの墓掘りシーン、何?
 アマデが才能とか芸術家としてのモーツァルト、みたいなものだということはわかります。対して青年ヴォルフは普通の人間っぽい部分ってことなのかもしれないけれど…でもなんか、ふたりがそんなに愛憎まみれるとか相反するとか、あんまなくない? 「影を逃れて」って、何?
 全体として、抑圧する親からの自立とか、芸術か世俗の幸福か、みたいな、何か明確なテーマやメッセージがありそうでない作品じゃないですかね、コレ…? ストーリーとしては結局単なる半生記なわけだし…ううーん、なので私は基本的には退屈しました。耳は楽しいんだけど、物語が、ドラマがないので心が動かなかったのです。
 この作品が大好き、大ファン!という方には申し訳ない…私はもしかしたらなんかすごく解釈違いをしているのかもしれません、すみません。








コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ゴヤ』 | トップ | 『My friend Je... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観劇記/タイトルま行」カテゴリの最新記事