駒子の備忘録

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安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』

2020年05月15日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名や・ら・わ行
 角川書店コミックス・エース全23巻。

 人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになってすでに半世紀以上が過ぎた。地球の周りには数百基の巨大なスペースコロニーが浮かべられていた。人類はその円筒の内壁にあたる人工の大地に住み、そこを第二の故郷とした。数億の宇宙移民たちはそこで暮らし、子を産み、そして死んでいった。宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一か月あまりの戦いで、ジオン公国と連邦は総人口の約半数を死に至らしめた。人々は自らの行為に恐怖した。そして戦争は膠着状態に入り、八か月あまりが過ぎた…

 言わずと知れたテレビアニメ『機動戦士ガンダム』、いわゆる「ファースト・ガンダム」をそのメイン・アニメーターだった漫画家がコミカライズした大作です。私はコミックス一巻から初刷りで買い続け、10年かけた連載が完結してもうじき10年ですが、感想をまとめていないことに気づいたので、先日何度目かの再読をして、今したためています。

 私はテレビシリーズはZZまでは見ました。劇場版三部作はもちろん見ましたが、『逆シャア』は見ていません。劇場版のドラマLPはまだ実家にあります。特典ポスターは宝物のひとつですね。朝日ソノラマの小説版も大好きです。
 私には3つ下の弟がいたので、彼と一緒にロボットアニメを見て育ち、一方で私が見る魔女っ子もののアニメには彼は興味を持たなかったようでした。一緒に「週刊少年チャンピオン」、そして「サンデー」「マガジン」(「ジャンプ」は後発でした)を読んで育ち、しかしやはり私が読む「りぼん」や講談社の「なかよし」のコミックスを弟が読むことはなかったかと思います。まあ、その男女の性差とかは今はおいておいて、そんな中で、『ガンダム』には確か本放送ではなく、最初の再放送あたりで出会ったのだと思いますが、とにかく衝撃でした。この作品をもって私のアニメの見方は子供のそれから大人のものに変わったと断言できます。
 宇宙工学とか、そういった科学的見地からはいたって無意味な人型のロボットがチャンバラするアニメは、それまでにもたくさんありました。でもまず、ラグランジュ・ポイントに置かれるスペース・コロニー、というのが新鮮、かつとてもリアリティがあるというか、科学的な説得力が感じられました。自分がSF、しかもなんちゃってSFではないものに触れ始めていた時期でもあり、この「宇宙世紀」の設定はアリ、だと生意気にも思えたのです。
 もちろんその中で、人型ロボットでチャンバラさせるべく、ミノフスキー粒子だのなんだのが設定されて…というのも子供心に理解しつつ(なのでそれはもはや「子供」ではない)、地球とは違う環境で生まれ育つようになった人類が地球住みの人々とは変わってしまう…というニュータイプの設定にも非情に説得力を感じました。とにかくまず一番に、この作品の世界観に惹かれたのでした。
 キャラ萌えとしてはもちろんシャアです(笑)。そしてストーリー全体としても、とてもよくできている作品だと思っています。
 アニメはテクニカルな面がどんどん進化していってしまうから、今見るとさすがにいろいろしんどいでしょう。漫画の方が、紙でモノクロで音もなく…みたいな制約が大きい分、かえって古びないもので、この作品もひとつの古典として時を超えていく力があると思います。手塚治虫がいわゆる映画的なカット割りや画面構成、描写なんかを上手く工夫して漫画に取り入れたように、安彦良和もアニメの「あの場面のあの動き」を漫画のコマ割りにしてみせるとこうなる、というのをそこかしこで展開しているのもおもしろいです。逆に、純粋な漫画として見ると、あまりスマートでない部分も多いんですけれどね。これはやはり安彦氏自身がアニメーターかつ漫画家であって純然たる漫画家ではないから、なのでしょう。でもその無骨さや不器用さも、この作品に関してはアリだと私は思うし、愛しいです。
 劇場版の主題歌の歌詞が、ナレーションとは違う、キャラクターのモノローグとも違う、漫画独特の、その世界のモノローグのような形で流れるのもすごく好きです。この作品の特徴だと思います。テレビ版も劇場版も、あるいはオリジナル・エピソードも含めて、豊かな大河のように堂々と流れるこの漫画版の物語が私は好きです。特に後半は、テレビ版に巻きが入ったこともあってかかなり改変されているのですが、本来はこういう形で作りたかった、というものなのでしょうか。それとも大元のストーリーラインは富野監督が考えていたのかなあ、そのあたりは私があまりくわしくなくて…すみません。特にセイラさんがダイクンの遺児として担ぎ上げられちゃうくだりは、いいですよね。とてもドラマチックだし、ときめきます、アガります。
 本来はシャアみたいな「亡国の王子の復讐譚」の方が主人公チックな気もしますが、日本人は貴種流離譚は好きでも主人公に最初っから王子/王としての自覚があるものは好かないのかもしれませんね。一見平凡な主人公ががんばり、やがて非凡な部分が見出され、さらに実は貴人だったと発覚して復権してハッピーエンド…という形の方が喜ばれるのかもしれません。そういう意味でもシャアは主人公にはなりがたかったのだけれど、それで立ち位置を変えてある種の悪役というか仇役に置かれたのが、この物語の妙だったのでしょうね。
 そしてもちろんこの作品のエポック・メイキングな点は、アムロみたいな、卑屈で根暗でナイーブすぎる少年を主人公としたことです。今まで主役と言えば赤レンジャー、みんなのヒーローでリーダーで太陽、明るく元気な熱血漢、が定番の世界だったわけです、子供用の物語というものは。もちろん彼にも、父親がガンダムの開発者だったというアドバンテージはあるのですが、それ以外はごく普通、イヤそれより悪くむしろマイナス、みたいなキャラクターです。ハヤトの方がまだ主人公として据えるのにわかりやすかったでしょう。でも、アムロを主役にした。あるいは主役をアムロのようなキャラクターにした。これがでかい。まさにコロンブスの卵で、始めてみればあとからみんなが猿真似するわけですが、最初にやった人がとにかくすごい、と思います。
 アムロが戦争を生き抜き、ニュータイプとして目覚め、ララァとの出会いと戦闘で覚醒していくのは、ほとんど偶然というか単なるなりゆきみたいにも見えます。いや、アムロ自身ももちろんがんばったり努力したり葛藤したりいろいろしているんだけれど、スポ根めいた部分があまりない世界観なので、たまたま、流れ流れて、とも取れるように描かれる。それが、アムロほど暗くなくてもアムロのように所詮は凡人である視聴者の若者たちのハートに火をつけた部分はあると思います。「アムロは、俺だ」ってヤツですね。シャアには、なれない。あるいはセイラさんにも。
 でも、こういうキャラクターも物語には必要です。そしてシャアは、この亡国の王子は、ザビ家への復讐は果たしたかもしれないけれど(全員を死に至らしめることが「復讐」になりえたのかは別にして)、国を再興し王として戴冠する…なんてことはできないままに、この物語では生死すら不明で宇宙の闇と消えます。でも、しっかりと「敗走」とは描かれていない、のもおもしろい。なんとなく結果が、評価がうやむやなのです。そして戦争が休戦協定で一度棚上げにされるのと同様に、主人公のアムロも別に何かに勝ったというわけでもなく、ただ生き抜いた、というだけで、そういう意味ではうやむやに終わります。普通、物語とはもっと単純に、たとえば主人公が何かを目指して旅立ったら、それを勝ち得たところがゴールでハッピーエンド、となるものです。でも、これはそういう単純な物語ではないのでした。アムロはほぼほぼ巻き込まれただけで、何を目指すとかいうことはほとんどなかったし、たとえば「僕はあの人に勝ちたい!」みたいな願いはむしろ敗れて終わってきました。ララァのことも失っている。ただ、最終的には生き延びた、負けなかった、という物語なのです。これはすごいことです。そしてそこがまた当時新しかったし、子供向け作品として珍しすぎたのでした。
 セイラがまた、物語のヒロイン位置にまったく納まりきっていません。これもまた珍しいパターンですよね。主人公の恋人枠が埋まらない物語の構造…フラウでもないし、後半だけで言えばララァなのかもしれませんが、ララァの存在感というか立ち位置ってもっと特殊です。セイラは小説版ではアムロといわゆるオトナの関係を結んじゃいますが、なので主人公が憧れる年上の女、みたいな役目は一瞬務めるんだけれど、やっぱり物語の「ヒロイン」ではない。この人もまたほとんど巻き込まれる形で戦争に参加していて、そりゃ兄の安否を知りたいとかはあるんだけれど、願望を持っていてそのために邁進してそれが叶ってゴール、ハッピーエンド、ないし敗れて悲劇…という形を生きないキャラクターなのです。この漫画版でアルテイシアとして反キシリア勢に担がれるのもほとんどたまたまで、セイラが望んだり謀ったりしたことではまったくない。兄の無謀な生き方を止めたい、という望みはあったろうけれど、止めてどうするとか、自分はどうする、とかの展望はない。戦争なんだからそんな先々のことまで考えられない、ってのはもちろんあるだろうけれど、物語の中のキャラクターの在り方としてはとても変わっていて、だからやはりヒロイン・ポジションを務められないんですよね。でも、たとえばスレッガーなんかがテレビ版以上に彼女を「姫」呼ばわりしているわけですが、確かに彼女の「姫」性質、「王女性」(そんな言葉があるとして)はこの漫画版では際立っています。けれどなお、女性主人公という意味でのヒロインにもなりえていない。女だから、優しいから、幼かったから、兄がいたから、彼女は立たなかったのでしょうか? 同じ王の子なのに? それはわからない、特に描かれていない、そこに主眼がある物語ではない、でも不思議なポジションの不思議なキャラクターです。でもリアルだとも言える。シャアの方が「王の子」として戯画っぽい。そしてセイラはキシリアと対比になっている、というわけでもないのがまたおもしろいと思います。
 なんでもかんでもフェミっぽいことをいう気はないけれど、ミライさんとかもおもしろい描かれ方なんですよね。おふくろさん呼ばわれされて、旧弊で保守的な置かれ方のキャラで、でもニュータイプの近くが芽生えるのがけっこう早い。でも別にこの世界では女性の方が早く覚醒する、とかはなくて、たとえばフラウなんかはそうでもないわけです。でもそれは戦闘体験の差によるものかもしれない。子供たちの中でキッカが一番早いのは、女の子だからか、それとも最も幼いからでしょうか? 一概に法則性があるようには描かれない、というのもおもしろい。
 この「ニュータイプ性」(そんな言葉があるとしてⅡ)がシャアはアムロよりララァより弱い、としたのもこういうパターンにおいてなかなかないことで、またおもしろいですよね。王の息子なんてバリバリのエリートで当然なわけじゃないですか、でもそうしない。シャアが主人公としてもいわゆる悪役としても非情に中途半端なキャラクターになってしまっているところが本当に、この物語の妙味だと思います。漫画版は安彦氏の線の色気その他もあってけっこういじましい男に描かれていて、その情けなさ、しょーもなさとかも絶妙だと思います。
 総じて、要するに、全体に、こういうのが普通で定番でおちつきが良い、みたいなキャラクターや物語のパターンにいい意味でハマらず、でもカタルシスがないわけではないし、その一方で戦争のしんどさとか人間の愚かさとかもきっちり描いてみせて、主人公が生還したからといって未来に希望が絶対にあるとも言いづらいラストなんだけれど、今はお休みアムロ…と読み終えられる、豊かで美しい物語だと私には思えるのでした。きっと愛蔵していくことでしょう。
 久々にテレビ版の再放送とかしてくれないかなー。劇場版は何度か見直しているのだけれど…見たいなー。




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