駒子の備忘録

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ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』『鉄腕バーディーEVOLUTION』

2012年11月18日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名や・ら・わ行
 ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』(小学館ヤングサンデーコミックス全20巻)
『鉄腕バーディーEVOLUTION』(小学館ビッグスピリッツコミックス全13巻)


宇宙連邦捜査官バーデイー・シフォン・アルティラは広域指名手配班クリステラ・レビを追って地球に来訪中、誤って現地の少年・千川つとむに大怪我を負わせてしまい、彼の命をつなぐために二心同体で暮らす羽目になり…

 1984年に「少年サンデー増刊号」で連載が始まり、『究極超人あ~る』が「週刊少年サンデー」で連載され始めたため中断され、『機動警察パトレイバー』『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』『パンゲアの娘KUNIE』の週刊連載が完結したあと「週刊ヤングサンデー」に場所を移して描きなおされ、ヤンサン休刊後は「週刊ビッグコミックスピリッツ」に移り、先日ついに完結したSFアクション。
 OVA、テレビアニメ化もされた。

 完結したら読もう、と思っていて、今回一気読みしたわけですが…いやあ、久々に漫画を読む楽しみ、SFを読む楽しみを堪能できて、ワクワクしました。

 この人はなんと言っても絵が上手い。抜群に上手い。
 コマ割りはあえてのこだわりでシンプルなんだけれど、構図やカメラワークは自由自在。デッサンも確かだしグレースケールを含む白黒バランスも素晴らしい。
 何よりキャラクターのビジュアルの描き分けが秀逸で、これだけ大量の登場人物のデザインをきちんと変えて描ける画力という意味では間違いなく日本一でしょう。その意味では井上雄彦よりも絵がうまいと言っていいと私は思います。まあ仕上げに関してはアシスタントの能力なのだとしても、ね。

 そしてキャラクターの人間性を描くのがまた抜群に上手い。ヒューマニティー力(そんな言葉ないと思うけど)がものすごい。
 例えば主人公でありヒロインでもあるバーディー。
 そもそもは「快力乱神が描きたい」「暴れる美少女が描きたい」という、それはそれはわかりやすいオタク発想からスタートした物語のようですが、それがこうなるのがこの作者のちゃんとしたところですよね。オタク第一世代と言っていいかそれに少し遅れたくらいの世代の人だと思うのですが、今どきのオタクのような病み方や歪み方はしていないんですよねえ。意外にまっすくで健康的。愛や正義を信じている、世界平和を願っている。
 だから女子の裸を描いても下心のみにはならない。というかこんなに健康的で、ある意味青年誌の漫画としてはダメだろうってくらいそそられない、色気のない裸も珍しいかもしれません。
 それは何よりバーディー本人が裸になることを厭わないというか、裸を恥ずかしいものととらえる文化に育っていない人間だから。だから嫌らしくならないし、だから描けるし、だから嫌らしくなくてつまんないんだけどなんかおもろいという、いっそ清々しい効果を上げているのでした。
 そういう意味ではこれはやはり少年漫画なんだろうなあ。この「少年」は少年少女という意味の、児童という意味の、です。読者の性差を問わない作品だと思います。
 バーディーとコンビ(?)を組むつとむがこれまた女々しい、ごくごく普通の青年だってこともありますしね。
 実際第一部のつとむの後ろ向きさ加減、理屈っぽく逃げ腰である様子は主人公(の片割れ)としては鼻持ちならないくらいなんですが、それがやがて成長し、正義と義務に目覚め、戦いに挑んでバーディーを支え押し出しときには引っ張りさえするようになるのは本当に感動です。
 それは彼らが男だからとか女だからとかとは関係がない。成長したから、大人になったから、世の中とかかわるようになったからこその変化なのです。
 そういうことを肯定的にとらえる視線がこの作品には、この作者には根底にきちんとある。それが素晴らしいと思います。

 多彩な登場人物たちも素晴らしいし、無性というかコンピューター人格みたいなキャラクターもチャーミングで素晴らしい。
 「少年サンデー増刊号」時代にはなかったマーカーが私はことに気に入りました。そのシステムや形態も愛しいし、無性っぷりも愛しい。でもキャラクターがないわけでは決してないところも素晴らしい。
 これは刑事がふたり一組で活動するときのような相棒的存在であり、秘書やサポート役でもあり公務員の暴走を記録し管理し抑制するための機関でもあるわけですが、さる人が言っていましたが凡百の作家は普通はこれを女性型にデザインするだろう、というのですね。秘書、サポート、お目付け役、乳母すなわち女って発想です。わかる。ありえる。
 でもこの作者はそうは描かない。そこが素晴らしい。真のフェミニストってこういうことだよな、と思います。

 バーディーは性格的にも、もしかしたら年齢的にもそれこそキャラじゃないのか発情期を迎えても恋愛どころではありませんでしたが、ネーチュラーがカシューときちんと恋愛していたのも(ネーチュラーはそうと認めていなかったかもしれないけれど)個人的には印象深かったです。
 『パトレイバー』での熊耳さんとリチャード・王との関係といい、『じゃじゃ馬』での少年漫画初と言っていい朝チュンでない性表現といい、この作者はこう見えて意外にも(ところで私はこの人のことをどういう人間だと前提してこう書いているのだろう、失礼ですよね(^^;))きちんと男女関係を描いているし、あえて逃げたり目をそむけたりなかったものにしたり茶化したりしません。それもいい。
 だからこそ、個人的には、バーディーがネーチュラーを殺さざるをえなかった展開には疑問だったけれどね…バーディーが手を汚すのはもちろん初めてではないけれど、「特殺官」であるネーチュラーに対しバーディーはあくまで捜査官であり、どんな罪人も直接処罰することなく逮捕して裁判にかけることを至上の命題として活動しているキャラクターだったので、やはりそこは一線を超えてしまった感があったかな、と思ったのです…
 その直前のタームが「共闘する女ふたり」で凛々しくカッコよく燃えて萌えた!というせいもありましたけれどね…泣きました。

 物語の構造としては、テロリストを追っていたはずが実は…というパターンであり、最終的にはSF的にはわりとよくあるところにおちついたかなとは思いました。
 NO MORE 管理、NO MORE 支配、ってやつですよね。たとえ滅び失敗することを止めるためであっても、口出し無用。命は勝手に生きていく、それが運命であり、神ならざるものに管理されたり道筋つけられたりするようなものではない、というモチーフです。とてもわかりやすい。
 そして最終的にはコンタクトの話であり、『パトレイバー』が警察官の官僚性を描いた側面があったのと同様、一見スーパーヒーローでありそうな宇宙連邦捜査官の公務員っぽさを描いてこれまた秀逸でした。宇宙人との接近遭遇も現場で起きているんだよね!(笑)
 でもただの戦争ドンパチものとかを描いちゃうんじゃなくて、兵站の重要性とかを見逃せないこの視点はとても大事だと思います。現実ってそういうものだから、現実に立脚してこその物語なんだから。

 次回作は何をやるのかなあ。
 ふたたび「スピリッツ」でだというし、いっそホント正面切って恋愛ものとかでもおもしろいのになー。
 やはり恋愛とかセックス含め他人とつながることは面倒くさいしトラブルも多いけれど楽しいし豊かになることだよ、というメッセージを、フィクションはもっと発信していって読者の精神を育てないと、人類はマジで滅ぶよね。もちろん最終的には滅んだってまったくかまわないんだけれど。滅ばなかった国はない、滅ばなかった種族はないんだから。
 でももし本当に人口減抑制とか少子化対策とかしたいんだったら、保育園の増設とか教育費の手当てとかを尽くす一方で精神性を、恋愛力を育てなきゃダメだよ。
 少年漫画は勝ってなんぼ、少女漫画は愛されてなんぼの話がこれまで多すぎた。これからは愛してなんぼ、つながってなんぼの物語を作るべきだと思いますよ。
 そういうことが描ける人って、意外とこういう作家なのかもしれない、と思ったのでした。




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