駒子の備忘録

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宝塚歌劇月組『雨に唄えば』

2018年06月22日 | 観劇記/タイトルあ行
 TBS赤坂ACTシアター、2018年6月16日15時(初日)、20日18時半。

 映画がまだ音も声も持たなかった頃。1927年、ハリウッドでは無声映画が黄金時代を迎え、スターたちが栄光目指してひしめき合っていた。中でも映画ファンのあこがれは、モニュメンタル映画の看板スター、ドン・ロックウッド(珠城りょう)とリナ・ラモント(輝月ゆうま)。スクリーンで夢のようなラブロマンスを繰り広げるふたりは、実際にも恋人同士だと噂されていた。しかしそれはふたりの人気を煽るために宣伝部がでっち上げたゴシップだった。にもかかわらず当のリナまで自分はドンのフィアンセだと思い込んでいて、ドンはほとほとうんざりしていた。ドンを元気づけるのは親友でピアニスト兼作曲家のコズモ・ブラウン(美弥るりか)。かつてふたりはボードビルの舞台で歌い踊っていて、有名になった今も友情は変わらないのだった。そんなある夜、プレミア上映会のあと打ち上げパーティーに向かう途中で、ドンはたまたま居合わせた女性と恋人を装ってファンをやり過ごすが…
 演出/中村一徳、翻訳・訳詞/高平哲郎、音楽監督/西村耕次。1952年製作のミュージカル映画を元に1983年ロンドン初演で舞台化。宝塚歌劇では2003年に星組、2008年に宙組で上演。全2幕。

 映画はテレビで見たことがある…と思うのですが主題歌くらいしか記憶になく、宝塚版もどうも映像でも見た記憶がなく、近年の外部版も来日版も生で観たことがないままの観劇でした。
 初日は、退屈しました。とにかく大味に感じたのです。古い作品だから仕方ないのかもしれませんが、ナンバーがどれも長すぎて感じられ、場面としての密度が足りないと思いましたし、芝居というか台詞が足りてなくてキャラクターたちが全然立ち上がっていないように思えました。ドンは単なるチャラ映画スターで嫌な男に見えかねないし、キャシーもファンのくせに素直じゃなくてこれまた嫌な女に見えかねず、コズモはただのお人好しでなんなのこの男?って印象…リナがキュートかつ憎たらしいこととだけはわかりました。
 二度目に観たときには、さすがに生徒が芝居を埋めてキャラクターを生き生きと立ち上げていて、楽しく観られました。しかし基本的に脚本・演出がしてあげていい仕事はもっとあると感じましたよ? そこは、もっとどうにかしてほしかったです。

 いちいちつっこんでいくと、まず冒頭の、プレミア上映に訪れるスターとそれを待つファン、その熱狂の様子をラジオでレポートする芸能記者、ファンを押さえる警官…というのはまったく同じ場面が『ヴァレンチノ』にもありましたね。こちらが本家なのかな、それとも他に何かもっと有名な元ネタがあるのかな…つーかマユミさんの盛大な無駄遣いじゃね?
 ドンとコズモは子供の頃からの大親友でボードビルから銀幕のスターへ…ってのはわかるけど、なんでスターになったのはドンだけでコズモは裏方みたいなことをやっているんでしょうかね? おそらく原作に特に設定がないからそのままスルーなんだろうけれど、なんか欲しくないですか? ま、たまみやのタップが小粋で素敵だったからいいっちゃいいけど…よく鳴っていました。
 しかしドンとキャシー(美園さくら)との出会いのあたりから、ライトでアメリカンなハッピー・ミュージカル…にしたいのはいいとして、でももうちょっと説明してくれるか台詞でキャラクターの人となりを描いてくれないと、役者も芝居のしようがないし上滑りした話になりかねなくないかい?と私はちょっと不安になったんですよね。総じてここまで、ナンバーがいちいちちょっと長めで話が進まず、退屈していたのです。現代に再演するならもっとタイトに作ろうよ中村B、あと演じるのは日本人で観るのも日本人なんだから完全にライトでアメリカンなんて無理だよ、もうちょっとこまやかに手を入れようよ中村B!
 ドンは人気絶頂の大スターで、本人もちょっと調子に乗っていて、周りは自分のファンばかり、自分はどんなことをしても許される、特に女子に対してはね…くらい思い上がっている、でも根は悪い人間じゃないしまして極悪非道なプレイボーイでもない、本当は真面目な好青年なんです…というのを、演じる珠城さんのニンに任せてしまうのではなくて、ちゃんと台詞とかエピソードで見せなきゃダメですよ。でないと、いきなりキャシーを抱きすくめるとか、ぶっちゃけ暴行ですよ犯罪ですよそんなの。ファンの目を逃れるため、なんて都合なんざ知ったこっちゃないし、そんなんで正当化されていいことではないですよいくらアメリカン・ラブコメでも今、ナウ、こんなにもMeToo運動が盛り上がらない日本でも今、再演するならさ。こんな男、キャシーは引っぱたいて警察に通報して裁判起こして刑務所に突っ込んでこの話終了、ってなったっておかしかないところなんですよ。そんな馬鹿な行為をタカラジェンヌに、トップスターにやらせるとか、やめていただきたい。
 キャシーは、実はファンすぎるくらいにドンのファンで、でも普通の女の子たちよりちょっとだけ気が強かったりあまのじゃくだったりそれこさ自尊心があったりするするから、ファンなんかじゃない振り、彼の人気や業績を認めていない振りをするのでしょう。そしてそれは、似たような役似たような作品ばかり量産していることにちょっと不満や不安を感じているドンにとってとても図星で、だから彼は動揺し困惑し、かつ彼女に惹かれていくんだけれど、そういうことをもっと丁寧に描いてほしいのです。今のままだと伝わりづらくてもったいないし、そんなんじゃ作品としてダメですよ。カテコでるうさんは、サイレントからトーキーへの移り代わりの中での映画人の葛藤や鬱屈みたいなものも描かれている作品で…みたいなことを言っていましたが、そんなの全然なかったじゃないですか。全然読み取れませんでしたよ。生徒は必死で描き出そう醸し出そうとしていたけれど、もっと台詞やエピソードがないと絶対的に無理ですよ。別にどシリアスにしなくてもウェットにしすぎなくても、悩む人間を描くことはできるんだよ中村B? なんでもっと丁寧に人間を、ドラマを、ストーリーを描かないの? こういう手抜きはやめていただきたいです。
 ドンは、今ウケているからといってこんなんで人気になっていいのかな、この人気はいつまで続くのかな、いずれ飽きられちゃうんじゃないのかな、でも他に自分に何ができるのかな…とか、考えたことがないはずがないんですよ。そこをキャシーに、映画スターなんてカメラの前でポーズを取っているだけの「影」にすぎず、やっていることは演技でも芝居でもない、舞台役者こそ本物の俳優だ…みたいなことを言われてグサッとなるんじゃないじゃないですか。で、キャシーは自分は舞台女優だしブロードウェイの舞台が自分を待っている、みたいなことを嘯く。ドンの映画なんか一本かそこらしか観ていない、あんたなんか知らない、と強がる。それでドンはさらにグサグサくる。
 でも本当はキャシーは単なる女優の卵にすぎず、バイトのショーガールみたいなこともやっているし、実は芸能誌を何誌も読み込むくらいの映画ファンで、しかも歌えて踊れて、それでドンも惹かれていって…ってのが可愛いんじゃんおもしろいんじゃん。そういう部分をもっときちんと脚本して、演出として描いてほしかったです。
 サイレントとトーキーについても、私だって知識程度しかないし若い観客にはなおさら、「映画に音がないってどういうこと???」と意味不明でしょう。もう少し丁寧に描写してもよかったと思います。そして、映画スターたちは顔には自信があっても声や発音、訛りにコンプレックスを持っている人間が多く、だからトーキーを歓迎しなかったのだ、ということも説明しないと、彼らが何を何故嫌がっているのか今の観客にはもうそろそろピンとこないと思うんですよね。こういうケアが雑で、潤色・演出の仕事をしていないんじゃないの中村B!と私は思ってしまったんですよ。
 あと、私が普段見ているのがミュージカルだからか、サイレントからトーキーへ、ってなると必ず「ミュージカル映画を作ろう!」ってなるんですけれど、別に映画に音が入れられるからってすぐさま歌や踊りを取り入れる必要はなくない? 台詞だけで、つまりスターの肉声が聞けるってだけで十分じゃない? なんですぐミュージカルになるんだろう? ミュージカル作品の都合??
 ともあれ、ドンはボードビル出身だから歌えるし踊れる、でもリナは声が悪くて滑舌が変なばかりか、実は芝居ができない踊れない歌えないの三拍子揃いで、トーキーどころかミュージカルなんてとても…という流れなんですが、ではなんでリナは大女優なんかやってられるんですかね? どうやら実家がお金持ちなのか、撮影所の所長まで顎で使うところがありますし、金にものを言わせてのワガママお嬢様、ってことなのかもしれないけれど、他に誰かいないの? なんでゼルダ(叶羽時)じゃダメなの? 本当に本物の絶世の美女ってことなの? でも今、そうは演出されていませんよね? このあたりもあまりきちんと説明されていないんですよね。
 でも観客はみんなまゆぽんが好きだからさ、リナが可愛く見えちゃうわけですよ。ちょっとくらい声がヘンでも音痴でも可愛いからいいじゃん、がんばってるじゃん、ってなっちゃいかねないんですよ。でもそれじゃダメでしょ? 話としてはリナが悪役ポジションになんなきゃダメなんだから、何がどう迷惑で困ったちゃんなのかもっとちゃんと描く必要があります。そこが甘い。
 それに、リナの吹き替えをキャシーにさせる一方で、歴史物部分は劇中劇にして外枠をドンとキャシーでミュージカルに仕立てたんじゃなかったの? その部分を実際にドンと、たとえば緑のドレスの女(麗泉里)とかのダンス・ナンバーにして見せていたんじゃないの? それともそれはコズモの企画の中でだけだったってことなの? その部分もリナが金にものを言わせて編集でカットさせたんだったことなの? 結局このプレミア上映会にかかった映画にはキャシーの名は出ていないということ? そのあたりがなんかよくわかりませんでした…
 キャシーも、夢はもちろん女優になること、スターになることなので、ドンに協力できるとかデビューのきっかけになるなら嬉しいから、裏方の吹き替えを一度は引き受けるけれど、それで満足なわけじゃないし、ただ利用され続けるだけなんて嫌だ…という部分があまり説明されていなかったと思います。もっと気が強い、言いたいことははっきり言うキャラクターにしないと、今はただのいい子に見えて、吹き替えが嫌だと言い出すのが唐突に見える気がするし、それを無理矢理やらせるドンがひどい男のように見えかねない気がしました。事実、ここでふたりの恋に亀裂が入りかけるワケですからね。
 でもそこには実はドンとコズモの魂胆があって、リナのこともあまりの横暴をちょっととっちめるくらいで、徹底的に恥をかかせて女優生命を絶とうなんてことじゃなく、とにかく真実の公表とキャシーの実力のお披露目をしたかっただけで…というあのラストの「ちゃん、ちゃん」に持っていってみんなが笑って大団円、となるにはいささか流れが雑で、本当にもったいなく感じました。生徒がものすごーくものすごーくがんばって、力業でそう見せてはいましたけれどね。
 2幕はことにミュージカル・チックでよかったし、楽しいダンスナンバーも多いし(しかしやはり長いかもしれない…)、ドンとキャシーのラブラブパートとかホントきゅんきゅんするんだけどなあ。
 あとれんこん監督がいい味出してた! ヤスくんの休演は残念でしたねえ…
 毎回、なんでもそうですが生徒はがんばっているだけに、またいい原作を引っ張ってこれているだけに、仕上げが雑でもったいないんだよ!と思いました。もちろんこれから千秋楽に向けて生徒が埋めてくる部分はあるとは思うんだけれど、最初に脚本でしっかり埋めてやるべき部分がもっとたくさんあったろう、ということは重ねて言っておきたいです。今後も再演していく財産演目として考えているなら、なおさらブラッシュアップとアップデートが必要だと、肝に銘じていただきたいです。

 そんな中で珠城さんは、また新たな魅力を発揮していたのではないかしらん。チャラい、という部分も上手く出していたと思うし、実は生真面目な好青年ってのはほぼ地だし、キャシーに対する包容力や誠実さや愛情深さもたまりませんでした。
 しかし、私はこの人のやや不安定な、というか出きらない音があるんだよねーという歌唱を愛してはいますが、ザッツ・正統派ミュージカルだっただけに、もう一段階の進歩は感じたかったかなーと思いました。ま、次の『エリザベート』でみっちり絞られてください。
 さくさくは、もっともっともーっとはっちゃけられるといいのにな、と思いました。新公ヒロインもバウヒロインもきっちり務めてきているのに、別箱ヒロインにはやはりプレッシャーを感じちゃっているのかなー、もっとできるはずなのになーと思いながら観ていました。以前に比べたら痩せたし垢抜けたし可愛くなりましたよね、進化していると思うのです! 私は以前からわりと好みだったんだけれど、ちょっとおばちゃんぽく見えたりトークが本当に雑だったりでヒヤヒヤしたこともあったのです。でも本当に娘役力がついてきたと思うし、先日初めて参加したお茶飲み会が本当に楽しくて、ちゃぴの後任に決まっても私は全力で応援するよ!と思っているところなのです。がんばれ!!
 みやちゃんにはやや役不足にも思えたコズモでしたが、こういう「主人公の親友」って以外に何もないようなお役をきっちり演じてチャーミングに見せるところはさすがの力量でした。
 そしてリナまゆぽんはもちろんMVPだし、フィナーレで男役になって黒燕尾で踊るところもよかったし娘役を従えて踊るところも素晴らしかったです。
 ぐっさんは手堅く、ぎりぎりとぱるは華があって、せれんくんとてらくんがイケメンで、残念ながら休演が多いのですがみんながんばっていました。さらに小芝居が深まっていくんだろうなー。
 フィナーレもとても素敵でした。傘でキスを隠すの、ベタだけどお洒落ですよね!

 あ、あとひとつだけ苦言を呈するとすれば(しつこくてすみません)、1幕ラストの土砂降り場面にタップの音を録音で流していたと思うのですが、そんな姑息なことはいらないよ!と強く強く言いたいです。上手いタップダンスが観たいならそういう公演に行きますよ、宝塚歌劇ファンは宝塚歌劇の舞台にそんなものは求めていません。珠城さんドンが歌っていて踊っていてタップをちゃんと踏んでいるのは観ていればわかります。でもあの床あの音であんな音が鳴るわけないじゃん、そこに音が流れるだけでみんな嘘になっちゃうじゃん。余計なお世話なんですよ。リズムとして置きたいのならもっと音楽に振ればいいじゃん、ホント興ざめしました。他のタップシーンではちゃんと靴と舞台の音を拾って流していたように聞こえただけに、残念です。






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