PARCO劇場、2024年5月14日18時半。
デンマーク王急死の報せを受け、留学していた王子ハムレット(吉田羊)は父の葬儀のため帰国する。葬儀後間もなく、母である王妃ガートルード(広岡由里子)は父王の弟である叔父クローディアス(吉田栄作)と再婚。悲しみ、苛立つハムレットのもとへ、親友ホレイショー(牧島輝)と歩哨たちから父王の亡霊(吉田栄作の二役)が現れたことが告げられて…
作/ウィリアム・シェイクスピア、訳/松岡和子、演出/森新太郎。1603年印刷の原作Q1版を上演、全2幕。
オールフィメールで上演された『ジュリアス・シーザー』は観ていて、そのときの吉田羊のブルータスがよかったので今回はハムレットを、となったそうですが…ただし男装というか男役をやっているのは彼女だけで、オフィーリア(飯豊まりえ、フォーティンブラスと二役)やレアティーズ(大鶴佐助)、ボローニアス(佐藤誓、墓掘りと二役)たちは特に男女逆転していません。役者は全員女性で、シェイクスピア当時に女優はいなかったはずですから、この変換には意味があるのかな? ただし簡素で抽象的なセット(美術/堀尾幸男)に男性陣は現代的なスーツ姿(衣裳/西原梨恵)という舞台だったので、いつという時代設定はない作品なのかもしれません。そんな中で喪服というか黒衣を着た吉田羊は、小柄な青年王子にちゃんと見えました。地声も高くはないし、狂乱を装っているときには変な発声をするので、そういう意味でも自然というか…てか喉が強そうだなあ、すごいよなあぁ。
ただ、別に、おもしろくはなかった…最近だと『リア王』も『新ハムレット』も私はダメだったし、私にはシェイクスピアを観る素養がないんだとと思います…ホントすんません…『ジュリアス~』も「『暁のローマ』の方がおもしろかったかな…」などと感じましたし、今回も「『HAMLET!!』の再演がぼちぼち観たいな、誰が主演だとハマりそうかなあ、ずんちゃんとかいいかもな、あーさとかもいいかも、確か出てなかったっけ…? あとは天飛くんとか、もえこもアリかも…」など考えながら観てしまいました。
プログラムの森さんと松岡さんの対談とか、すごく熱量があるのはわかるんですけど、ついていけないというか、そういうふうに舞台を観られないというか…なんですよね。別に誰かに共感して観ることもできるお話だと思うんですけれど、そういうふうには演出されていない気もするしそういう演技になっていない気もするし。もちろん誰かに共感したり感情移入しなくても観られる作品ももちろんあるけれど、ではこれは何を見せられているのかと思うと私にはよくわからないのです。復讐ではなく解放、みたいなことがプログラムでは語られていましたが…うぅーむ。
それにシェイクスピアといえばストーリー展開とかキャラクターのドラマ云々よりやはり台詞の素晴らしさなんだろうけれど、それは現代英語やまして日本語にされてしまったら大部分が失われるものなのでは…とか思っちゃうんですよね。こんなふうにしゃべる人はリアルではいないし、さりとてすごく詩的で素敵で文学的だ、とかも思えなくて、胡乱なことを長々語っているようにしか私には思えないのでした…
ハムレットはもちろん、ガートルードにしたってクローディアスにしたって、あるいはオフィーリアやレアティーズにだってもっといろいろ言い分はあるだろうし、それぞれフィーチャーすればおもしろいドラマになるんだろうな、という要素の良さは毎度感じるんですけれど…
ああ、もうよほどの翻案ものでなければ、どんなに好みの役者が出ていてもシェイクスピアものを観に行くのはもうやめた方がいいのかなかな…とはいえ大空さんの『真夏の夜の夢』が控えているわけですが。あとは有名どころだと『オセロー』を最近観ていないので、何かいいのがあればまた観たくないこともない点前回はおもしろく観た気がしなくもしないし。あとは『十二夜』も宝塚歌劇以外でちゃんと観たことがない気が…
と、こんなことを言っているからまたホイホイ出かけてしまう気もします…
デンマーク王急死の報せを受け、留学していた王子ハムレット(吉田羊)は父の葬儀のため帰国する。葬儀後間もなく、母である王妃ガートルード(広岡由里子)は父王の弟である叔父クローディアス(吉田栄作)と再婚。悲しみ、苛立つハムレットのもとへ、親友ホレイショー(牧島輝)と歩哨たちから父王の亡霊(吉田栄作の二役)が現れたことが告げられて…
作/ウィリアム・シェイクスピア、訳/松岡和子、演出/森新太郎。1603年印刷の原作Q1版を上演、全2幕。
オールフィメールで上演された『ジュリアス・シーザー』は観ていて、そのときの吉田羊のブルータスがよかったので今回はハムレットを、となったそうですが…ただし男装というか男役をやっているのは彼女だけで、オフィーリア(飯豊まりえ、フォーティンブラスと二役)やレアティーズ(大鶴佐助)、ボローニアス(佐藤誓、墓掘りと二役)たちは特に男女逆転していません。役者は全員女性で、シェイクスピア当時に女優はいなかったはずですから、この変換には意味があるのかな? ただし簡素で抽象的なセット(美術/堀尾幸男)に男性陣は現代的なスーツ姿(衣裳/西原梨恵)という舞台だったので、いつという時代設定はない作品なのかもしれません。そんな中で喪服というか黒衣を着た吉田羊は、小柄な青年王子にちゃんと見えました。地声も高くはないし、狂乱を装っているときには変な発声をするので、そういう意味でも自然というか…てか喉が強そうだなあ、すごいよなあぁ。
ただ、別に、おもしろくはなかった…最近だと『リア王』も『新ハムレット』も私はダメだったし、私にはシェイクスピアを観る素養がないんだとと思います…ホントすんません…『ジュリアス~』も「『暁のローマ』の方がおもしろかったかな…」などと感じましたし、今回も「『HAMLET!!』の再演がぼちぼち観たいな、誰が主演だとハマりそうかなあ、ずんちゃんとかいいかもな、あーさとかもいいかも、確か出てなかったっけ…? あとは天飛くんとか、もえこもアリかも…」など考えながら観てしまいました。
プログラムの森さんと松岡さんの対談とか、すごく熱量があるのはわかるんですけど、ついていけないというか、そういうふうに舞台を観られないというか…なんですよね。別に誰かに共感して観ることもできるお話だと思うんですけれど、そういうふうには演出されていない気もするしそういう演技になっていない気もするし。もちろん誰かに共感したり感情移入しなくても観られる作品ももちろんあるけれど、ではこれは何を見せられているのかと思うと私にはよくわからないのです。復讐ではなく解放、みたいなことがプログラムでは語られていましたが…うぅーむ。
それにシェイクスピアといえばストーリー展開とかキャラクターのドラマ云々よりやはり台詞の素晴らしさなんだろうけれど、それは現代英語やまして日本語にされてしまったら大部分が失われるものなのでは…とか思っちゃうんですよね。こんなふうにしゃべる人はリアルではいないし、さりとてすごく詩的で素敵で文学的だ、とかも思えなくて、胡乱なことを長々語っているようにしか私には思えないのでした…
ハムレットはもちろん、ガートルードにしたってクローディアスにしたって、あるいはオフィーリアやレアティーズにだってもっといろいろ言い分はあるだろうし、それぞれフィーチャーすればおもしろいドラマになるんだろうな、という要素の良さは毎度感じるんですけれど…
ああ、もうよほどの翻案ものでなければ、どんなに好みの役者が出ていてもシェイクスピアものを観に行くのはもうやめた方がいいのかなかな…とはいえ大空さんの『真夏の夜の夢』が控えているわけですが。あとは有名どころだと『オセロー』を最近観ていないので、何かいいのがあればまた観たくないこともない点前回はおもしろく観た気がしなくもしないし。あとは『十二夜』も宝塚歌劇以外でちゃんと観たことがない気が…
と、こんなことを言っているからまたホイホイ出かけてしまう気もします…
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