駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

音楽劇『不思議な国のエロス』

2024年02月22日 | 観劇記/タイトルは行
 新国立劇場小劇場、2024年2月21日18時半。

 戦いに明け暮れる男たちに愛想を尽かしたギリシヤの女たちは、敵味方の垣根を超えて立ち上がる。アテネの武将ラケース(高橋ひろし)の妻ヘレネー(松岡依都美)は、女たちを密かに集めて戦争終結を要求するためのセックス・ストライキを提案する。一度は計画に乗る女たちだったが、クローエ(花瀬琴音)は平和を願いつつもアイアス(渡邉蒼)と結ばれたいという思いを抑えられず…
 作/寺山修司、演出/稲葉賀恵、音楽/古川麦。アリストパネス『女の平和』をもとに、浅利慶太の依頼で1965年に書き下ろされた戯曲。全1幕。

 気になっていたのですが取り紛れていてチケットを取り忘れていたところに、割引優待案内みたいなのが来たので、「売れてないのかなー…」など思いつつ出かけてきました。後列ですがフツーにセンタープロックの観やすいお席が来て、よかったです。まあ確かにその後ろ数列は空席でしたが…
 というか休憩なし130分の芝居なら19時開演にしてくれれば、来られる客ももっと増えると思いますよ…平日マチネはそもそも上演が減っているので、あるだけありがたいとも言えるけれど、終演時間が深夜になるんじゃなかったら開演が遅い方がそりゃ嬉しい客は多いはずなんですよ。リーマンがみんながみんな17時に会社を出られるわきゃないんだからさぁ…出演者も劇場関係者も、翌日のためにも早く帰りたい気持ちもわかりますが、やるからにはこの30分を吟味していただきたいです。

 とのっけからうだうだ語ったのは、要するに私にはこの作品のおもしろさがあまりよくわからなかったからです…
 私はギリシア悲劇は好きで機会があれば観ようとしていますが、これはもっとエログロなコメディらしく、それを寺山修司が七五調の台詞と歌詞とで音楽劇に仕立てていて、そこにさらにたとえばエコー(横溝菜帆)がブラウスにリボンにセーターにチェックのミニスカートに紺のソックスという典型的女子高生の制服姿で現れるような演出が加えられているので(衣裳/藤谷香子)、まあ現代日本で日本人の役者が日本語で上演して日本人の観客が観る場合の(この「日本人」表現については今ここでは触れませんが)形になっているのでしょうが、でも私にはその意味やおもしろさ、作品に込められたメッセージ、作品が表現していること…がなんかよくわからなかったのでした。まんま『女の平和』を観た方がわかりやすかったのではあるまいか…イヤどうなんでしょう、戯曲を読んだこともないから判断できないわけですが。
 女たちがセックスを拒否し、男たちは欲求不満で戦争どころではなくなる…というのは、たとえ思考実験としても、はたしてありえることなのでしょうか。古代ギリシア世界はそんなにも男女の性欲なるものに信頼を置いていたのだな…とかしか、私には思えなかったんですよね。
 いや、男の戦争に勝ちたい、とか相手を征服したい、みたいな欲望って結局支配欲とか嗜虐心から来ているマッチョなリビドーで、性欲と近いところにある、というのはすごくよくわかるんですよね。男が純粋に愛情のために、愛する相手と喜びを分かち合うためにセックスすることなどほぼないと言っていいのが現状でしょう。今よりずっと理性的だったかもしれない古代ギリシア世界でも、それはほぼ変わらなかったのではないかしらん…
 女が相手をしてくれないとなると、稚児だの道具だのに走って、でもそれでは満たされないものがあって…というのもわかるし、それでいろいろ手につかなくなって戦争どころではなくなる、というのもわかる気がするんだけれど、結局一発抜いちゃったらスッキリしてまた戦場に出て行くんでしょ?とか思うと、どうにも解決策になっていない気がするんですよね…
 もちろん、我慢させられる女側の問題もある。女にだって性欲はあるのですから。そりゃ男と違って平和、終戦のためにはそれくらい我慢できるのが女というものですが、この犠牲の払い方は正しいのだろうか…?と、まあ私が理屈っぽいだけなのかもしれませんが、どうにも納得できず、ピンとこず、よくわからなかったのでした。
 あと、私がこの作品を観ようと思った要因のひとつにタカラジェンヌの存在があったわけですが、コムちゃんのナルシス(朝海ひかる)は単に男だというだけでなく、せむしという設定の、要するに障害者、差別されている者というキャラクターのようですよね。同じ寺山修司作品の『テラヤマキャバレー』に今カチャが「死」の役で特別出演中ですが(ちなみに体調不良で休演中ですが…これはカチャ会取り次ぎで観に行っている人にはつらかろう。あと公式サイトが休演だけ告知してスウィングによる代役について触れていないのは、ホントどーかと思います)、どうして現役でもOGでもタカラジェンヌはこういう人間でない役とか性別を超えるような役、あるいは差別されたり別格な何かだったりするお役に配されがちなのでしょうか? イヤ似合うんだけど、ありきたりすぎる気もしますよね…明治座キャッツアイのみやちゃんも男装の麗人役なのかな? 素晴らしいらしいですが、しかしあたりまえすぎるだろう…起用した側を含めて、ザ戦でガッツリ働くマイティー、せおっちの素晴らしさはもっと評価されてしかるべきだと思います。
 イヤこのコムちゃんも雰囲気あって素敵だったんですけれどね。注意喚起アナウンスもコムちゃんで、そのままシームレスに舞台が始まるような感じで、全体がナルシスが語る物語のようでもあり、そういう特殊で肝要なポジションを任されるのはこちらもファンとして鼻が高いのですが、しかし引っかからないこともなかったのでした。

 役者さんはみんな達者で、ミュージカルみたいな歌唱ではありませんでしたが歌も特にみんな問題なく、安心して観られました。お衣装にもアイディアがあったと思います。
 でも…でも、なんかよくわからなかったんです、すみません……








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