駒子の備忘録

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『カラカラ天気と五人の紳士』

2024年04月11日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタートラム、2024年4月9日18時。

 ある日あるところに、棺桶を担いで五人の紳士たちがやってきた。どうやらこの棺桶は、彼らのうちのひとりが懸賞のハズレクジでもらった景品らしい。せっかくのもらいものを役立てるためには、誰かが死んでこの中に入らなければ、と五人の議論が始まって…
 作/別役実、演出/加藤拓也。1995年初演、全1幕。

 このブログを検索しても出てこなかったので、私、初・別役実だったようです。名前は知っていたし、何か観たことある気でいたのにな…1960年代から活躍した劇作家で、日本の不条理劇の第一人者、2020年3月逝去とのこと。「五人の紳士もの」と呼ばれるシリーズを手がけていて、「五人の紳士がどこからともなく現れてとりとめのない会話を始め、どんどん会話がズレていくうち、気がつけば遙か予想もつかない展開に」なる、ということだけが共通しているシリーズだそうです。作品の多くが「電信柱がある宇宙」を舞台としているそうで、ト書きの「電信柱が一本」というのは別役作品の代名詞だそうな。ただし今回は舞台美術が具象的で(美術/松井るみ)、現代のどこかの地下鉄のホーム、という感じでした。電信柱ではなく、駅のホームに梯子がつけられた太い柱がある、という感じ。
「五人の中では年長ポジションらしいが考え方はごく小市民的な紳士5」は堤真一、「一見常識人ぽいけれどたまに覗くエキセントリックさが底知れない紳士1」は藤井隆、「一番年若いが特に控えめというわけでもない紳士2」が溝端淳平、「なぜか理不尽な事態に見舞われる紳士4」が野間口徹、「若干仕切りたがりの紳士3」が小手伸也という布陣。女1、2は高田聖子と中谷さとみ。いずれ劣らぬ芸達者を、何故か最前列どセンターで拝んでしまいました。みんなテレビでも見る役者さんだし、「わー、そこにいる…!」とシロートみたいな感想を抱いてしまいましたよ…だってラインナップのとき、席から手を伸ばしただけで堤真一と握手できそうな距離だったもん(笑)。今『VRおじさんの初恋』を楽しく見ているので、野間口徹にもワクテカでした。テレビの印象と違う…みたいに思う人はあまりいなかったかな。溝端くんのお尻を眺められるターンがあったのには、なんのサービスタイムかと思いました(いや確か全員交互にお尻を見せていた気がしたけど、彼と藤井隆だけシャツイチだったので)。
 さて、しかし…ハナからやたらゲラゲラ笑っていた観客もいましたが、私もつい吹いちゃうところとかはありましたが、しかしおもしろかったかと言われると、「はて」(by『虎に翼』)みたいな。私は上手く笑えなかった気がします。話がどんどんズレていくのでおかしいんだけど、彼らはそれをズレていると感じていないわけで、これはそういう世界なわけで、ならそのズレをおかしく感じて笑うって変なことなのでは…?とか思うと、なんか居心地悪くなるのです、私は。そういう状態含めて不条理、不条理劇なのかもしれませんが…もしかして理屈っぽい私には向かないジャンルなのでは。それともたまには揺さぶられてみるべきだから、今後もメンツが良かったり興味が持てれば観た方がいいのか…など、考えてしまいました。
 いや、わかるんですよ、つまりは生と死のことを語っている、とかはね。細かいメタファーはすべてわかる必要がないんだろうから、それはいいとしても、テーマとしては作家の死生観みたいなものが表れているのだ、というのはわかります。死を待つことが生である、みたいな話もよくあるしね。で、うだうだ議論だけして何も決めない男たちと、風どころか嵐のように現れては、待たずに去っていく女たち、という対比もわかります。
 でもたとえば、女が結婚したがることってこういう世界でも嗤うこととされているんだなー、みたいなことに引っかかってしまう私は、やはり上手く笑ったり感動したりはできなかったのでした。終わり方など、なんとも言えない余韻があっていいな、とは思いましたが…うぅーむ。
 プログラムはコンパクトながらとても読みでがあり、終演後にじっくり読むと作品理解が深まった気はしました。ホームレス?に扮して舞台上で演奏するヴィオラの徳高真奈美も、なかなか不穏でよかったです。









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