白泉社花とゆめコミックス全13巻。
人間よりはるか昔に宇宙に出ていった「人魚」たちが、産卵のために地球に帰ってくる。だが人魚は存続の危機に立たされていた。わずか数百年のうちに激変した環境、そしてたったひとつの裏切りから始まった人間たちの容赦ない「魔女狩り」。鍵を握るベンジャミンの運命は…
長らく愛蔵しているにもかかわらず、感想をまとめていないことに気づいたので、久々に再読してみました。
着想はわかりやすく、アンデルセンなどで有名な人魚姫のモチーフと、鮭など産卵で河に帰ってくる魚がいること、そしてクマノミなどもともと両性であるとき群れの中で身体の大きな個体が雌に変化すると残りは雄となって種をつないでいく魚がいること…などから紡がれた、壮大でロマンチックな物語です。
私もお姫さま童話の中では『人魚姫』が最も好きです。悲劇、アンハッピーエンドに終わるせつなさが大好き。人間の王子さまに恋をした人魚姫は、魔女に頼んで声と引き替えに足を手に入れ、海を出て王子に会いに行く。しかし王子は人間のお姫さまと結婚してしまい、恋に破れた人魚姫は海の泡と消えてしまう…
人間と恋に落ちる禁忌を犯した人魚姫セイラが、人間たちによる人魚の迫害を引き起こして、人魚たちは激減し、さらに宇宙に泳ぎ出て産卵のために帰ってくるたびに地球の自然環境が悪化しているので、ますます絶滅の淵に追い込まれている。セイラの子供は今度こそ人魚と恋をして卵を産まなければならない。なのにまた人間と出会ってしまった…
結局は、その恋の奇跡がこの地球の運命を変え、チェルノブイリの事故は起きず、核が廃絶され月で新エネルギーが発見され有人火星飛行に成功する1992年を迎えて、この物語は終わります。けれど当時も、今も、読者が生きている世界はそんな歴史を辿ってはいません。チェルノブイリは爆発し、戦争は起き、森は焼かれ、人々は嘆き苦しみながら黄昏のときを死に急いでいるかのようなのです。実はこの物語そのものが、ジミーの、あるいは地球の見た「ユメ」なのでしょう。なんて悲しい、せつない、しんどい作品を生み出すんだこの悪魔的才能の持ち主である漫画家は。実際にはこんな奇跡は起きなかった、真実の愛があれば起こしえたかもしれないのに。人類はなんと愚かで救いがたい生き物なのか…そんな現実を突きつけられ、絶望に打ちひしがれながらも、それでも愛さずにはいられない、これはものすごい作品なのだと私は思います。
この作品は『人魚姫』と違って大団円のハッピーエンドとなります。さすが少女漫画、かくありたい。そしてハッピーエンド目指してお話が突き進む場合、途中の片想い構造はせつなければせつないほど良いのです。その意味でこの作品の構造は完璧です。ティルトはセツを幸せにしたいと願い、セツはショナを愛してしまい、ショナはベンジャミンを愛していて、ベンジャミンであるジミーはアートに恋をして、アートは元カノのホリーに未練タラタラなのですから。
この食物連鎖(?)のゴールがこの中で唯一人間の女性であるホリーなのが、いいですよね(笑)。この作家の弱点として残念ながらほの見えるミソジニーがあると私は考えていて、この作家の作品に女性キャラクターが出るときはたいていカマトトちゃんか、こういう強くてずるいタイプのキャラになりがちなんだけれど(リタの造形にだって悪意がほの見えると言っていいと思う)、ホリーはいっそすがすがしくて素敵なキャラだよな、と思えて好きです。
そして私はティルトがたまらなく好きです。こういう立ち位置の、そこそこ優秀なのに貧乏くじを引きがちなキャラクターを「だったら私が愛してあげる、だから大丈夫だよ」と愛でないではいられない性癖が私にはあるのでした(いったい何が大丈夫だというのだろうか)。逆に主人公だろうとジミーみたいなおバカでコドモなキャラは嫌いです。こういうのが純真とされている、というのはわかっているんだけれど、私には愚鈍に思えるので。そして私はセツも好きです。セツも弱さ、甘さ、ずるさはとても女っぽいと思う。そこが好き。セツが報われてよかったよ嬉しいよ…そしてショナの甘さやゆるさ、フラつき加減はとても男性っぽいと思う(笑)。誰にでも適当に優しくて、でも意外に押しに弱くて、結局は近くにいる相手に惹き寄せられてしまう感じとか、すごーくわかる。それからしたら好きな女にしか優しくないタイプのアートはずっと骨っぽいというかマッチョなんだけれど、これまたやっぱりいかにも男性っぽいと思います。どれもおもしろい、よくできたキャラクターと関係性ですよね。
しかし魚の産卵って雌が放出した卵に雄が精子をぶっかけるんじゃなかったでしたっけ…そういう意味では別に交尾なんかしないしつがいも作らないんじゃないの? …というのは無粋なつっこみですねそうねそれは魚の話で彼らは人魚ですものね。まあでも愛もセックスも性別も、実はけっこうあいまいなものなのかもしれない、というような思想もまた、この物語からは見え隠れしているようにも思うから、それはそれでいいのかな…
アートが「自分より/このかけがえのない青い星よりも」大事に想ったジミーは就学前の男児みたいな外見で、中身もまあ人魚なので厳密には人間と同じ基準では考えられないのでしょうがどっこいどっこいで、でもだからってああショタだねとかペドだねとかってことではなくて、ちゃんとした、しかも地球を救う、運命を変える、妖精を人間に変化させる奇跡を生んだ愛、だったのです。一方でショナとセツの恋もまた、見た目は完全にただのBLでしたが、次の世代を奇跡的に育んだ愛でした。この唯一無二の一対、というものに、多くの人は憧れるのではないでしょうか。同性愛差別とかではなくて、単に数の問題として、少女漫画読者の大半はシスへテロ女性だと思うので、あらまほしきイメージがこうした形に結実していくのだと思うのです。美しい、奇跡のような、夢のような物語だと思います。私は、好きです。
余談ではありますが、三つ子が何故かいつも蝶ネクタイに白スーツを着ている、というところに私はものすごくセンスオブワンダーを感じます。すごくSFみがあると思う。ツボ。
あと、私はUK音楽とかの流行りにはまったくもって疎いのですが、ネーミングなんかに見られるこの頃のバレエ・ネタがわりとわかるので、そのあたりも好きでツボです。同じように萩尾望都『マージナル』にもバレエ・ネタが使われていて、そういえばあれは四つ子でしたが成長したのは三人で、キラが先にグリンジャと対応したからアシジンとはアレで…と、星丸ごとを変える愛の奇跡を描いた、似たモチーフを巡る似た物語ではありました。でもあちらは一対ではなく三人の一組で終わったけれどな…
人間よりはるか昔に宇宙に出ていった「人魚」たちが、産卵のために地球に帰ってくる。だが人魚は存続の危機に立たされていた。わずか数百年のうちに激変した環境、そしてたったひとつの裏切りから始まった人間たちの容赦ない「魔女狩り」。鍵を握るベンジャミンの運命は…
長らく愛蔵しているにもかかわらず、感想をまとめていないことに気づいたので、久々に再読してみました。
着想はわかりやすく、アンデルセンなどで有名な人魚姫のモチーフと、鮭など産卵で河に帰ってくる魚がいること、そしてクマノミなどもともと両性であるとき群れの中で身体の大きな個体が雌に変化すると残りは雄となって種をつないでいく魚がいること…などから紡がれた、壮大でロマンチックな物語です。
私もお姫さま童話の中では『人魚姫』が最も好きです。悲劇、アンハッピーエンドに終わるせつなさが大好き。人間の王子さまに恋をした人魚姫は、魔女に頼んで声と引き替えに足を手に入れ、海を出て王子に会いに行く。しかし王子は人間のお姫さまと結婚してしまい、恋に破れた人魚姫は海の泡と消えてしまう…
人間と恋に落ちる禁忌を犯した人魚姫セイラが、人間たちによる人魚の迫害を引き起こして、人魚たちは激減し、さらに宇宙に泳ぎ出て産卵のために帰ってくるたびに地球の自然環境が悪化しているので、ますます絶滅の淵に追い込まれている。セイラの子供は今度こそ人魚と恋をして卵を産まなければならない。なのにまた人間と出会ってしまった…
結局は、その恋の奇跡がこの地球の運命を変え、チェルノブイリの事故は起きず、核が廃絶され月で新エネルギーが発見され有人火星飛行に成功する1992年を迎えて、この物語は終わります。けれど当時も、今も、読者が生きている世界はそんな歴史を辿ってはいません。チェルノブイリは爆発し、戦争は起き、森は焼かれ、人々は嘆き苦しみながら黄昏のときを死に急いでいるかのようなのです。実はこの物語そのものが、ジミーの、あるいは地球の見た「ユメ」なのでしょう。なんて悲しい、せつない、しんどい作品を生み出すんだこの悪魔的才能の持ち主である漫画家は。実際にはこんな奇跡は起きなかった、真実の愛があれば起こしえたかもしれないのに。人類はなんと愚かで救いがたい生き物なのか…そんな現実を突きつけられ、絶望に打ちひしがれながらも、それでも愛さずにはいられない、これはものすごい作品なのだと私は思います。
この作品は『人魚姫』と違って大団円のハッピーエンドとなります。さすが少女漫画、かくありたい。そしてハッピーエンド目指してお話が突き進む場合、途中の片想い構造はせつなければせつないほど良いのです。その意味でこの作品の構造は完璧です。ティルトはセツを幸せにしたいと願い、セツはショナを愛してしまい、ショナはベンジャミンを愛していて、ベンジャミンであるジミーはアートに恋をして、アートは元カノのホリーに未練タラタラなのですから。
この食物連鎖(?)のゴールがこの中で唯一人間の女性であるホリーなのが、いいですよね(笑)。この作家の弱点として残念ながらほの見えるミソジニーがあると私は考えていて、この作家の作品に女性キャラクターが出るときはたいていカマトトちゃんか、こういう強くてずるいタイプのキャラになりがちなんだけれど(リタの造形にだって悪意がほの見えると言っていいと思う)、ホリーはいっそすがすがしくて素敵なキャラだよな、と思えて好きです。
そして私はティルトがたまらなく好きです。こういう立ち位置の、そこそこ優秀なのに貧乏くじを引きがちなキャラクターを「だったら私が愛してあげる、だから大丈夫だよ」と愛でないではいられない性癖が私にはあるのでした(いったい何が大丈夫だというのだろうか)。逆に主人公だろうとジミーみたいなおバカでコドモなキャラは嫌いです。こういうのが純真とされている、というのはわかっているんだけれど、私には愚鈍に思えるので。そして私はセツも好きです。セツも弱さ、甘さ、ずるさはとても女っぽいと思う。そこが好き。セツが報われてよかったよ嬉しいよ…そしてショナの甘さやゆるさ、フラつき加減はとても男性っぽいと思う(笑)。誰にでも適当に優しくて、でも意外に押しに弱くて、結局は近くにいる相手に惹き寄せられてしまう感じとか、すごーくわかる。それからしたら好きな女にしか優しくないタイプのアートはずっと骨っぽいというかマッチョなんだけれど、これまたやっぱりいかにも男性っぽいと思います。どれもおもしろい、よくできたキャラクターと関係性ですよね。
しかし魚の産卵って雌が放出した卵に雄が精子をぶっかけるんじゃなかったでしたっけ…そういう意味では別に交尾なんかしないしつがいも作らないんじゃないの? …というのは無粋なつっこみですねそうねそれは魚の話で彼らは人魚ですものね。まあでも愛もセックスも性別も、実はけっこうあいまいなものなのかもしれない、というような思想もまた、この物語からは見え隠れしているようにも思うから、それはそれでいいのかな…
アートが「自分より/このかけがえのない青い星よりも」大事に想ったジミーは就学前の男児みたいな外見で、中身もまあ人魚なので厳密には人間と同じ基準では考えられないのでしょうがどっこいどっこいで、でもだからってああショタだねとかペドだねとかってことではなくて、ちゃんとした、しかも地球を救う、運命を変える、妖精を人間に変化させる奇跡を生んだ愛、だったのです。一方でショナとセツの恋もまた、見た目は完全にただのBLでしたが、次の世代を奇跡的に育んだ愛でした。この唯一無二の一対、というものに、多くの人は憧れるのではないでしょうか。同性愛差別とかではなくて、単に数の問題として、少女漫画読者の大半はシスへテロ女性だと思うので、あらまほしきイメージがこうした形に結実していくのだと思うのです。美しい、奇跡のような、夢のような物語だと思います。私は、好きです。
余談ではありますが、三つ子が何故かいつも蝶ネクタイに白スーツを着ている、というところに私はものすごくセンスオブワンダーを感じます。すごくSFみがあると思う。ツボ。
あと、私はUK音楽とかの流行りにはまったくもって疎いのですが、ネーミングなんかに見られるこの頃のバレエ・ネタがわりとわかるので、そのあたりも好きでツボです。同じように萩尾望都『マージナル』にもバレエ・ネタが使われていて、そういえばあれは四つ子でしたが成長したのは三人で、キラが先にグリンジャと対応したからアシジンとはアレで…と、星丸ごとを変える愛の奇跡を描いた、似たモチーフを巡る似た物語ではありました。でもあちらは一対ではなく三人の一組で終わったけれどな…