映画 ご(誤)鑑賞日記

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へレディタリー/継承(2018年)

2018-12-07 | 【へ】



 以下、公式HPよりストーリーのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 グラハム家の祖母・エレンが亡くなった。娘のアニー(トニ・コレット)は夫・スティーブン(ガブリエル・バーン)、高校生の息子・ピーター(アレックス・ウォルフ)、そして人付き合いが苦手な娘・チャーリー(ミリー・シャピロ)と共に家族を亡くした哀しみを乗り越えようとする。自分たちがエレンから忌まわしい“何か”を受け継いでいたことに気づかぬまま・・・。

 やがて奇妙な出来事がグラハム家に頻発。不思議な光が部屋を走る、誰かの話し声がする、暗闇に誰かの気配がする・・・。祖母に溺愛されていたチャーリーは、彼女が遺した“何か”を感じているのか、不気味な表情で虚空を見つめ、次第に異常な行動を取り始める。まるで狂ったかのように・・・。

 そして最悪な出来事が起こり、一家は修復不能なまでに崩壊。そして想像を絶する恐怖が一家を襲う。

 “受け継いだら死ぬ” 祖母が家族に遺したものは一体何なのか?

=====ここまで。

 キャッチコピーが凄い。「現代ホラーの頂点」「新世代のエクソシスト」「ホラーの常識を覆した最高傑作」「トラウマ級の怖さ」……ちょっと煽りすぎでしょ。

 
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 某全国紙の映画評で、映画評論家の稲垣都々世氏に、こんな風に紹介されていました。「ホラーにはめっぽう強いが、この映画には震えあがった。「現代ホラーの頂点」との海外評も頷ける」と。、、、そんなこと言われたら、見るしかないじゃないのさ。

 ……というわけで、行ってまいりました。

 ちなみに、これからご覧になる予定の方は、モロモロの予備知識なく見た方が楽しめますので、ここから先はお読みにならない方が良いかと思います。あまりネタバレはしないつもりだけど、自己責任でお願いします。


◆確かに、面白い。

 本作の読み解きは、多くのサイトでされているのでそちらにお任せするとして、、、。

 なるほど、煽りまくるキャッチコピーだけあって、決してガッカリするような映画でないことだけは間違いない。文句なく面白い。ホラー映画にありがちな先が読める展開ではない。どっちに転ぶか分からない、非常にイヤ~~~~~な感じが終始作品を支配する。

 そのイヤな感じの最たるものが、“音”。これが本作の最大の特徴ではないかと。見ている者に一息つかせる隙がまるでないんだけど、それは終始、イヤ~な音が手を替え品を替え、鳴り続けているからではないかしらん。だから、この映画は絶対劇場で見た方が楽しめる。DVDだと、この不快感は多分半減してしまうね。

 鍵になる“音”もある。それが、非常に効果的に使われているので、ギョッとなる。こういうところの造りは非常に上手いとしか言いようがない。

 系統としては、ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』とかキューブリックの『シャイニング』とかかなぁ。ハネケの『白いリボン』のオマージュと思われるシーンもある。私はどれも大好物なので、本作も、雰囲気はなかなかgooでありました。ショッキングな映像は終盤まではほとんどない(序盤に1か所あるけどモロに映っているわけじゃないです)けど、だんだんこの『継承』というサブタイトルの意味が分かってくるのが気味が悪い。


◆家族ってホラー。

 テーマが“家族”ってのが良い。そう、家族って因果な関係だけに、拗れると恐ろしいのだ。これは、監督であるアリ・アスター自身も家族に係る問題で苦労した経験があるとのことで、そうだろうなぁ、と本作を見て納得。家族モノは、非常にホラーに向いているものね。絆だ何だと世間じゃ言っているけど、そんなキレイ事じゃ済まされない家族も世の中にはゴマンとあるのよ。

 そう、この『継承』というサブタイトルは、家族ゆえの、、、なのであります。つまり、もう生まれ落ちたときから逃れられないってヤツ。

 現実世界では、本作のようなモノを継承することは(多分)ないけれども、別のモノはイヤでも継承するわけで、それが、容貌であったり、体質であったり、癖であったり、環境であったり……。良きにつけ悪しきにつけ、いずれも自分の意思では選べないモノを人間は親から授けられて生まれてくるのだから。本作は、そういう抗えない遺伝的な“悪しき”ものに翻弄される人間を描いているとも言えるのでは。

 こんな顔に産んでくれたばっかりに、、、こんなアレルギー体質に産んでくれたばっかりに、、、な~んてことは、誰にでも一つや二つあるでしょう。それを、ホラーに仕立て上げたら、こういう作品が出来ました、、、みたいな。

 家族がテーマだから、当然、主たる舞台は彼らの住む“家”である。家、、、これもホラーの定番。本作の家も、なかなかのモンです。すごく広くて素敵な家なんだけど、何だか住みたくない感じのする家。そして、案の定、曰く付きの家。

 あと、アニーが作っているドールハウスというか、ミニチュアが、ある種のメタファーになっている。アニーも結局、運命づけられている人間なわけだから、彼女が作る、彼女の家のミニチュアは、彼女によって支配されている“家族”であり“家”であることを象徴している、のでしょう。

 そういった、小道具というか、いちいち細かい設定まで、非常によく考えられていて、映画作りの志の高さを感じられるのは嬉しい限り。


◆ラスト15分が、、、

 じゃあ、なんで6つしか付けてないのさ……、ってことなんだけど。

 終盤まで良い感じだったのが、ラスト15分が、私にとっては「ドッチラケ」だったのであります。え゛~~~、みたいな。『ローズマリーの赤ちゃん』みたいに、ニュアンスを感じさせる描写で終わらせてくれれば良かったのに。ちょっとハッキリ描きすぎなのがね、、、何かね、、、。

 なので、一気に怖さも不気味さも吹っ飛んでしまい、ちょっとグロ映像があるので一瞬ウゲゲとなるものの、あそこまでやっちゃうと、何か笑っちゃいそうになり、でも何となく笑っちゃうのは不謹慎な気がして笑うこともできず、何ともいたたまれない気持ちになってしまったのよ。

 ホント、そこまでがなかなか良い味わいだったので、ちょっと残念でした。

 でも、本作で一番怖いのは、アニーを演じるトニ・コレットの絶叫顔かも。ちょうど先週、ムンク展に行って、例の「叫び」を見たんだけど、ムンクもビックリな叫び顔のトニ・コレット様でした。彼女の演技が本作を支えていることは間違いないです。

 あと、懐かしのガブリエル・バーンも久々にスクリーンでお目に掛かり、ちょっと感激。『ゴシック』とか、また見たいわ~。

 序盤で死んでしまうチャーリーを演じたミリー・シャピロちゃん、素の画像を見ると、普通の可愛らしい女の子なんだけど、本作ではメイクのせいもあってか、かなりヤバい子供になっていました。ホラー映画の子供ってのは、怖さを増す存在として最強かもね。

 最終的に、真の主役であった長男のピーターを演じたアレックス・ウォルフ君は、もしかしてインド系かな? トニ・コレットとガブリエル・バーンの両親からああいう容姿の子が生まれるものなのかなぁ、、、などと見ながらぼんやり疑問に思ってしまった。けれども、ラストのオチで、そういう問題じゃないんだ、と納得。

 いろいろ確認したいシーンもあるので、もう1回は見るかな。劇場には行かないと思うけど。









こんなもの家族に継承させたおばあちゃん、酷すぎ。




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