映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

招かれざる客(1967年)

2016-12-09 | 【ま】



 ハワイに遊学(?)していた22歳の白人女性ジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)が、ある日突然、知り合ってわずか10日しか経っていない男性ジョン(シドニー・ポワチエ)と結婚したいと言って、ハワイからサンフランシスコの自宅に帰って来た。ジョンは、医師で、結婚歴があり(妻は事故死)、ジョーイより大分歳上で、黒人であった。

 ジョーイの父親マット(スペンサー・トレイシー)は、サンフランシスコで有名な新聞社のオーナーで、母親クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は画廊を経営する、リベラル夫婦。かねてより人種差別は絶対悪として反対してきた。、、、が、いざ、我が娘が黒人の男性を結婚相手に連れて来て、この両親は大いに戸惑い、自分たちが似非リベラリストであったことを思い知る。

 ジョンはすぐにでもヨーロッパへ立たねばならないので、今日中に承諾が欲しいという。しかも、ドレイトン夫妻の承諾がなければ、この結婚は諦めるつもりであることを、ジョーイには内緒で両親に打ち明ける。ますます困惑するドレイトン夫妻。

 そこへ、ジョンの両親までもが現れ、白人との結婚など大反対だとジョンの父親は言い出す始末、、、。

 果たして、ジョーイとジョンは結婚できるのか。


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 BSでオンエアしていたのを録画して観ました。タイトルから、あまり内容をよくチェックせずに、ヒッチ系サスペンスだと思っていたのだけれど、ゼンゼン違うお話でした、、、ごーん。


◆ゲタを履かせた意図は、、、?

 本作のことを、そもそも存在さえ知らずにおりましたが、名作と言われているようですね、、、。キャサリン・ヘップバーンはオスカーを受賞しているようですし。錚々たる俳優陣の出演で、ビックリしました。

 WOWWOWの本作の紹介文言はこんなです。「アフリカ系男性が娘の婚約者になったことで困惑する白人の両親の姿を通じて、米国社会における人種差別問題を浮き彫りにし、第40回アカデミー賞で脚本賞他に輝いた良作」

 世間で名作という評価が定まっているのだから、別に私が難癖をつけたところでどうということもないでしょう。なので、ちょっと思ったことを正直に書きます。

 本作は、“米国社会における人種差別問題を浮き彫り”にすることがテーマであるのなら、残念ながら、設定の段階で既に白旗を上げているに等しいのではないですかね。

 だって、そうでしょう? シドニー・ポワチエ演じるジョンは、結婚歴があるとはいえ離婚した訳ではなく死別。また、職業は医師であり、それもただの医者じゃない。世界的に数々の賞などを受けた若いながらにして世界レベルの高名な医師なのです。なおかつ、ジョーイに対しては飽くまで紳士。正直、イヤミでさえある人物造形です。ここまでジョンにゲタを履かせないと、白人女性との結婚を映画の中でとはいえ実現させることが難しいと、監督自身が認めているようなものです。

 当時のアメリカ社会の差別感情がいかに凄まじいかを物語っている半面、最初から難題に挑むことを半ば放棄している制作サイドの姿勢に軽く失望します。

 これが、医師でも、町医者とか、大学の研修医とかだったら? あるいは医師でなくて、ごくごくフツーのサラリーマンだったら? 白人の相手であれば No problem という設定になぜしない? どうせなら、そういう設定にしてほしかったですよねぇ。

 序盤にジョンの肩書が分かったところで、一気に興醒めでした。

 そもそも、こういう私の見方自体が既に職業観等のバイアスが掛かっているという批判もあるでしょうし、それは認めます。ですが、当時は明らかにマイノリティで被差別者であった側に、ここまでのバックグラウンドを用意するのは、あまりにも前提からバイアス補正し過ぎだと思うのです。

 逆に、白人女性のジョーイが高名な医師で、ジョンがハワイに遊学に来ていたお気楽なお兄ちゃんだったらどーだというのでしょうか? リベラル夫婦に試練を与えるのであれば、とことんやればよいのに。最初から彼らに逃げ道を与えてどーするのでしょう。主人公をギリギリまで追い詰めて突き放さないと、本当の意味で見応えのあるドラマにはならないと思いますね。

 こういうところに、制作者の視点が正直に表れるんじゃないでしょうか。だから、本作は、名画の皮を被った似非ヒューマニズム映画だと思うわけです。実際、私には、ストーリーという面では非常につまらない映画でした。

 しかし、これが多くの部門でオスカー候補になったというのだから、さらに唖然となります。どこまでオメデタかったのでしょうか、当時のハリウッドは。誰もそこに異議を唱えた者がいなかったのか。あるいはいたけれども封殺されたのか、、、。


◆親が子どもを育てるのはアタリマエ、なんですけどね。

 ……と、文句ばかり書きましたけれど、印象に残ったシーンも当然あるのです。

 中でも、一番グッと来たのは、ジョンが父親と激しい口論に及ぶシーン。ジョーイとの結婚に彼女が白人だからという理由で反対する父親は、ジョンに言います。

 「誰のおかげで今のお前があると思っているのか」

 もちろん、セリフはもっとたくさんあるんですが、一言で言っちゃえば、これを親が息子に言ったんです。郵便配達夫だった父親は、重い荷物を運んだのもお前のため、母親(妻)がボロコートをいつまでも着ているのもお前の学費のため、そうやって苦労して来たんだぞ、と。

 それに対しジョンはこう言って切り捨てます。

 「重い荷物を運んだのはそれがアンタの仕事だからだ! 子ども作ったら養育するのは親の義務だ」

 父親はぐうの音も出ませんでしたが、このセリフ、子どもはなかなか言えないのですよねぇ。特に親が苦労しているのを知っていればなおのこと。そうやって、親に恩を着せられても払いのけることができずに苦しむ子どもは多いけれども、ジョンはハッキリ父親に言うのです。もちろん、ジョンだってこう言いながらも苦しかったはずですが、それでもきちんと言葉にして親に抗弁することが出来る、ということが大事です。

 本作では、母親同士が非常に“物わかり良し子さん”なお2人で、若い2人の結婚を後押しします。これもちょっと???ですよねぇ。母親は感情論になって話にならん、というケースが多数派なような気がするというか。案外、父親の方が理屈が通ることが多い気がするんですけれど。、、、まあ、これは私の周囲の限られた範囲での統計なので当てになりませんが。でも、本作での2人の母親は少々出来すぎです。

 結局のところ、本作は、リベラル夫婦の本音を暴く体裁をとりながら、実は、本作自体がタテマエ論で終始しちゃっているという、お粗末な構成なんじゃないでしょーか。最初から、2人の結婚を成就させるためにシナリオが書かれたわけですね。だからこんな生ぬるいオハナシに終始しちゃったのでしょう。


◆その他もろもろ
 
 名女優キャサリン・ヘップバーンの出演作、たくさんあるのに、正直、ちゃんと見たのは本作が初めてだと思います。、、、じゃなかった、『アフリカの女王』は見ていたのだった、そういえば。でもそれだけですね、多分。

 本作を撮影した頃、彼女は60歳くらい? 強そうで美しいです。カッコイイ、という言葉が一番近いかなぁ。本作では、ジョーイに理解あるステキな母親を演じておられました。ジョーイを演じたキャサリン・ホートンは姪御さんだとか。ジョーイは頭悪そうではないけど、ちょっと???なキャラですよねぇ。

 キャサリン・ヘップバーンのプライベートでもパートナーだったというスペンサー・トレイシーは本作が遺作になったとのこと。終盤の演説(?)シーンは、多分、名シーンの1つと言われているのでしょうね。私的には、あまりグッと来なくて印象に残るセリフのない演説でしたが。

 初めて見るというと、シドニー・ポワチエの出演作は、初見です。父親に激しく抗弁する姿、なかなかカッコ良かったです。これから彼の出演作も追々見て行きたいな、と思いました。  







途中、肉屋のお兄ちゃんとメイド見習いの若いお姉ちゃんが
ノリノリで踊っているシーンが意味不明。




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