映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

パトリック・メルローズ(2018年)

2020-05-04 | ドラマ

作品情報⇒https://www.star-ch.jp/drama/patrick-melrose/sid=1/p=t/

 

以下、公式HPよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 貴族でウィットに富んだプレイボーイのパトリック(ベネディクト・カンバーバッチ)。だが幼い頃に受けた父親(ヒューゴ・ウィーヴィング)からの虐待と、現実逃避しては息子をないがしろにする母親(ジェニファー・ジェイソン・リー)の間で育ち、その子供時代のトラウマをかき消そうと、アルコールや薬物におぼれる・・・・・・。

 やがて彼が更正するまでの、パトリックのその痛々しい人生を時にユーモアを交えて描く。

=====ここまで。

 映画ではなく、全5回のTVドラマです。このブログは、基本的にはドラマの感想は書いていないのだけど、本作は、ちょっと書き留めておきたいと思ったので例外ですが、感想を書くことにしました。


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 ある方のTwitterで、このドラマについて言及されていたので興味を持ち見てみた次第。原作は、エドワード・セント・オービン作の英人気小説らしい。邦訳版も出ているが、まだ単行本で、5冊揃えるとなるとかなりの出費なので、文庫化(されるか分からんが)されるのを待つかな。最悪は図書館か、、、。

 各話にエピソードタイトルがついていて、原作がそういう構成になっているので、そのままドラマでもタイトルにしたみたい。ただし、原作本と見比べると、1話と2話のタイトルは入れ替わっている。ドラマの各タイトルは次のとおり。

 ① バッド・ニュース、② ネヴァー・マインド、③ サム・ホープ、④ マザーズ・ミルク、⑤ アット・ラスト

 ……とまあ、それはともかく、私はほとんどこのドラマについての予備知識はなく(カンバーバッチが出ていることと、親子の確執モノだということくらいしか知らなかった)見始めたので、1話目の開始直後からエンジン全開でぶっ飛びまくりで、正直、始まって15分くらいは、何じゃこれ、、、状態。父親が死んだところから始まるのだが、パトリックは「やっと死んだか!!」と笑みを浮かべ、父の遺灰の入った壺を投げつけて破壊しようとする。ハッキリ言ってもう、最初から最後までメチャクチャなんである。

 1話目が見た目的には一番壮絶だった。とにかく荒れまくるパトリック。ヤクを打った上に酒をがぶ飲みして、見ているだけで恐ろしくなる。よくこれで死ななかったな、と、むしろ驚き。

 でまぁ、もちろんそんなことになるには背景があって、、、というわけで、お約束のような幼児期の虐待エピソードが2話で描かれる(ちなみに、2話ではカンバーバッチはほとんど出て来ない)。

 その虐待ってのが、実の父親からの性的虐待。もちろん、その場面の描写はなく、それと分かる間接描写なのだが、それでも目を背けたくなった。しかも、甘言でいつのまにか本人がよく分からないうちに、、、というのではなく、最初から「パンツを脱げ」とダイレクトな命令による恐怖支配で、戦慄する。これが度々行われていたというのだから、おぞましいことこの上ない。

 で、この父親・デヴィッドなんだが、すげぇヤバい!! もう、見た目もヤバいし、言っていることもやってることも、全部ヤバすぎるのである。いかにヤバいかというのが、この2話でのメイン。一言で言うと、周囲の者を不快にすることに長けている。わざとやる。まぁ、言ってみれば“マウント”だよね。プライドはエベレストよりも高いが、自信のなさはエチオピアの海抜マイナス100メートル(こないだNHKの「ホットスポット」とかいう番組で福山が訪れていたので)よりも低い男なんだよね。自信に裏打ちされていないプライドほど厄介なモノはない。

 普通、こんな男が夫だったら、妻は逃げ出すと思うのだが、逃げる気力がないのね、もう。この、パトリックの母親・エレノアはアメリカ人で、実家が大金持ちだったため、落ちぶれ貴族(階級)の父親に掴まった、、、という結婚の馴れ初めのようである。デヴィッドにとってはこの結婚自体にうま味があるから、エレノアを絶対に手放すことはない。エレノアは、気がついたときには逃げる機会を逸していたってことだろう。

 まあ、エレノアも気の毒だが、一番悪影響を受けるのは子供であるパトリックだ。実際、悲惨な目に遭っている。エレノアは、自分を防御することにも無気力な人だから、当然、子供を守ることもしない。とにかく、ただただ息を吸って日々をやり過ごしているのが、エレノアだ。だから、パトリックは、とことん、デヴィッドの餌食になってしまった。
 
 3話目では、ヤク中&アル中から脱した学生のパトリックが、辛い過去と向き合いながら、伴侶を得るまでが描かれる。この3話の主役は、パトリックというよりは、むしろ2話にも出て来たブリジット(ホリデイ・グレインジャー)という成り上がり女。まあ、そこそこ面白いけど、インパクトで言うと、割とおとなしめ。

 4話目は、弁護士になったパトリックの家庭が、崩壊に向かう。この崩壊の原因は、母親・エレノア。デヴィッドが死んだ後は、自分を取り戻しているかと思いきや、何かもう廃人のようになっているエレノアは、おかしな宗教にはまり、自分の財産をその宗教団体に譲ると言って聞かなくなってしまっているのである。

 この一件は、もともと母親からの愛情を実感できていないパトリックにとっては、ダメ押しみたいなもんだったんだろう。アルコールに逃げ、アッと言う間にアル中に逆戻り。しかも、パトリックは、父親から受けた虐待のことを、エレノアに話せていないことが、ずっと心の重しになっていた。パトリックにとってみれば、この傷を癒やせるのは、エレノアしかいないのだ。気付かなくて、あなたを守れなくて、苦しめて「ごめんね」の一言が欲しい。その一言で、どれだけ救われるか、、、。

 しかし、これを話せば、エレノアは苦しむに違いない。だから言えない。その“母への告白”が5話目のキモとなる。この告白は、母の死後の回想という形で描かれる。

 もうね、この告白のシーンを見て、私は大げさでも何でもなく、サーッと血の気が引いた。パトリックの告白を受けたエレノアのリアクションについては、ここには敢えて書かない。書きたくない。なぜなら、私も同じ経験をしているからだ。

 もちろん、私の場合は、親に性的虐待をされたことはないし、親に告白した内容もゼンゼン異なる。しかし、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、本当に、人生レベルの決断をして、母親に明かしたある事実について、全くその重みを無視したリアクションをされるというのは、子にとっては「死ね」と言われるより辛いことなのである。

 だから、私は、この告白シーンを見て、自分のときの体験がフラッシュバックし、本当に顔色が変わるのが自分で分かる感覚だった。涙も出ない。実際、ドラマの中でのパトリックの表情も、、、。まあ、詳しくはご覧ください、ドラマを。

 ラストは、一応、パトリックの家庭が再生に向かうことを予感させる終わり方で希望が持てるのでgoo。

 本作は、悲惨な内容を扱っているけれど、見ていて笑えるシーンも多く、大人のブラックコメディと言って良いと思う。1話目は唖然となってしまうが、ここで着いていけなくならなければ、2話目以降は一気に引き込まれる。展開が早く、一瞬も退屈しない。こんなドラマが作れるなんて、イギリスはやっぱりすごいなぁ、、、。日本のドラマで、このレベルのものって、ちょっと思い浮かばない。ここまで、社会の闇に切り込めるのは、やはりそれを受け止める社会が成熟している必要もあるだろうね。

 ちなみに、本作は、原作の著者エドワード・セント・オービンの半自叙伝とのこと。

 それにしても、幼少期の悲惨な体験が、いかにその人の人生に多大な影響を及ぼし続けるか、ということが、これでもかと描かれており、恐らく、原作小説もそうなのだろう。そして、原作者の一番書きたかったこともそこなのではないか。人生で、これほどの理不尽はない。そんな主人公パトリックを演じたカンバーバッチの熱演は見物。彼がこの役を演じることを熱望したというのも、見終わってみて分かる気がした。

 

 

 


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