映画 ご(誤)鑑賞日記

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地獄の逃避行(1973年)

2020-05-06 | 【し】

作品情報⇒https://eiga.com/movie/15601/

 

以下、TSUTAYAの案内ページよりコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。 

 25歳のキット・カラザース(マーティン・シーン)は、ジェームス・ディーンに憧れ、そのイメージを追い求める若者だ。その彼がある日出会った15歳の少女ホリー(シシー・スペイセク)。彼女の純粋な魅力に惹かれて恋に落ちたキットに、ホリーの父親は2人の交際を禁じた。思い余って父親を殺してしまったキットは、ホリーとともにあてのない逃避の旅に出る。

 1958年にネブラスカ州で実際に起った連続殺人事件を基に、15歳の少女ホリーと、交際を禁じられたため彼女の父親を殺した25歳のキットとの逃避行を、広大な荒野をバックに描いたカントリー色鮮やかなロード・ムービー。

=====ここまで。


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 ネットをボケーッと見ていたら、巣籠もり生活のサスペンス映画オススメ10選、みたいのがあって、あんまし私の趣味じゃない系の映画ばかり並んでいたのでスルーしようと思ったら、本作の出演者に目が留まり、急に見てみたくなったという次第。若い頃のマーティン・シーンにシシー・スペイセク。何か面白そう、、、と思って、ちょっと調べたら、意外に有名な映画だった模様。


◆キラーカップル逃亡劇

 テレンス・マリックの監督作品というと、『シン・レッド・ライン』しか知らない上に見ていないので、つまりは、この監督については何も知らないのだけれども、何となくその評判から“長いだけで面白くはないのでしょ?”と勝手に思っていた。

 でも、本作に限って言えば、95分と短くテンポも良いし、無駄な描写もない。地味だけど、なかなか良い映画だと思った。

 人を殺しながらのロードムービーというお話の割に、終始とてものどかな雰囲気で、“人殺し”シーンさえなければ、純粋な青春モノと言っても良いくらい。25歳のキットを演じるマーティン・シーンは、当時もう32歳で結婚して子ども(エミリオ・エステヴェスとチャーリー・シーン)もいた身とは思えないくらいに瑞々しさを放っている。頭はあんまし良くないし、堪え性がなく不器用だけど、単細胞で素朴な、序盤ではまあまあ好感を持てる青年だ。

 一方の15歳のホリーを演じるシシー・スペイセクも、当時23歳だったそうだが、まあ15歳に見えるところが凄い。あんまし男の子に免疫のなさそうな、美人ではないけど、ちょっと抜けた感じの庇護欲を刺激する少女。キャリーとはかなり雰囲気が違う。

 この2人のキャスティングが良かったのだと思うなぁ。キットとホリーの気持ちが通じ合っていく過程の描写などは実に微笑ましい。

 しかし、キットがゴミ収集の仕事をしているということで、ホリーの父親はキットを毛嫌いする。キットとちゃんと話をしようとさえしない。職業だけでその人を判断する、、、ってのは、まあ、大人はやってしまいがちなことだけど。反社とかヘンな宗教関係とかじゃないんだから、あそこまで頭ごなしに否定することもないと思うのだが。

 で、この後、キットが豹変するのだよ。ホント、豹変って感じに見えた。それまでホリーに対しても、ホリーの反応を無視して襲い掛かるようなこともゼンゼンなく、そういう意味ではとっても“紳士”だったキットなのに。ただ、ホリーの父親に頭ごなしに否定されて、「今度来たら殺す」とまで言われたのに、キットは怒りとか悔しさとかを露わにすることなく、何とも無表情なのが、不気味と言えば不気味だったけれど。

 ホリーを連れ出そうとしたところを父親に妨害され、キットは呆気なく父親を射殺する。側にいるホリーも、取り乱すこともなく、呆然と見ているだけ。父親の遺体を地下に放置し、家に火を付けて、逃亡劇が始まるのだが、、、。


◆キットとホリー、本当に可哀想なのはどっち?

 逃亡の邪魔になる人間を容赦なく殺す一方で、カー・ラジオから流れるナット・キング・コールの「A BLOSSOM FELL」で踊るなど、キットの不思議なキャラが印象的だ。ホリーを大切に思っているのか、1人じゃ寂しくて自分に無条件に着いて来てくれるからなのか、その辺も正直なところ見ていてよく分からない。そもそも、ホリーを連れ出そうとしたのも、そこまでホリーにぞっこんだから、、、という感じではない気がした。

 ホリーの方も、何となくどうしてよいか分からないからそのままキットに着いて来てしまったけど、、、みたいな感じで、キットとの逃避行に何らか思いを抱いているようには見えない。まさに、“主体性がない”ってやつなんだが、上記のナット・キング・コールでキットと踊っているときに見せる無表情な顔は、決して考えなしのおバカ娘のそれではない。もう、この逃亡に、、、というより、キットに心の中では見切りをつけていることがアリアリとしている。どうやってこれを終わらせるか、しかも自分は安全圏に身を置いたままで、、、ということを考えているチャッカリ娘なのだ。

 つまり、キットは彼女にとって、支配的な父親から解放してくれた恩人ではあるが、それ以上の存在にはならなかったし、彼女には最初からキットがそれ以上の存在にならないことは分かり切っていたのだ。なぜなら、キットは“ゴミ収集の人”だから。

 序盤で、2人が親密になる前に、キットに彼女自身が言っている。「お父さんはあなたを認めない。だって、ゴミ収集しているんだもの」(セリフ正確じゃありません)と。父親がそういう人間でも、自分がそれとは異なる価値基準を持っていれば、そんな相手の尊厳を傷つけるような言葉を安易に直接言いはしない。逃亡を終わらせるためにホリーがとった行動、さらには後日談についての独白を聞けば、彼女はまさしくそういう人間だったということが分かる。

 そうしてみると、キットの方がむしろ気の毒という気もする。キットは全て一人で罪を背負い、電気椅子送りになった。実際、ホリーは殺人には手を染めていないし、その裁きは妥当なのだろうが、ホリーは決して“巻き込まれて可哀想”なわけじゃない。父殺しという点においては、気持ちの上では共犯だったと言っても良いだろう。


◆その他もろもろ

 キットは、ジェームス・ディーンに憧れているという設定なのだが、若かりしマーティン・シーンは、その設定に違和感がない。私の知っている、オッサンになった後の彼とはまるで別人で、驚いた。下積みが長かったそうだが、本作での演技を見ると、作品に恵まれなかったのかな、、、としか思えない。まあ、本作が彼の転機になったようだけど。

 シシー・シペイセクは、不思議ちゃんを好演している。

 本作は実際にあった“スタークウェザー=フューゲート事件”をモデルにしているそうだが、ネットでいろいろ見たところ、本作とは大分、事件の様相が違うみたい。大筋は同じだけれども、もっと陰惨なイメージ。しかも、2人が逮捕された後、映画とは異なり、男の方が「女も人を殺している」と証言したことで泥沼になった様だ。ご興味のおありの方は、ネットで検索してみてください。

 あと、ヘンな邦題だと思ったんだけれど、これには理由があるらしい。詳しくはwikiをどうぞ。ま、ありがちな話だと思ったけど、もう少し真面目につけろよ、と思ったわ。

 

 

 

 

 


殺された人々が一番気の毒なのは言うまでもない。

 

 

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