映画 ご(誤)鑑賞日記

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ビリーブ 未来への大逆転(2018年)

2019-04-03 | 【ひ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66856/

 

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 アメリカの貧しいユダヤ人家庭に生まれたルース・ギンズバーグ(フェリシティ・ジョーンズ)は、すべてに疑問を持てという亡き母の言葉を胸に努力を重ね、名門ハーバード法科大学院に入学。だが1956年当時、500人の学生のうち女性は9人、女子トイレすらそこにはなかった。

 家事も育児も分担する夫マーティ(アーミー・ハマー)の協力のもと、大学を首席で卒業したルースだったが、法律事務所で働くことは叶わなかった。当時は女性が職に就くのが難しく、自分の名前でクレジットカードさえ作れなかった時代。やむなく大学教授になったルースは、70年代になってさらに男女平等の講義に力を入れ始めるのだった。

 そんなある日、弁護士の夢を捨てきれないルースに、マーティがある訴訟の記録を見せる。ルースはその訴訟が、歴史を変える裁判になることを信じ、自ら弁護を買って出るのだが……。

=====ここまで。

 この頭の悪そうな邦題は、どうにかならんのか???

 

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 現役、連邦最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグの実話と聞けば、そりゃ一応見ておこうって思うわね。なので、サービスデーに見に行って参りました。

 

◆不条理炸裂

 見ている間中、モーレツに腹の立つ映画だった。特に後半、ルースが法廷に立つ決意をしてから。

 70年代といえば、歴史の流れで言えば、まだついこないだと言っても良いくらい(少なくとも私は生まれていた)。日本で、男女雇用機会均等法が施行されたのが1986年だから、10年ちょっと前の話。それでこれかい、、、と思うほどに、そこに描かれている状況は、最低最悪だった。

 どう最低最悪だったかは、ここでグダグダ書き連ねるよりも、本作を見た方がゼッタイ良いので割愛するが、まぁ、とにかく、男ってだけで、あるいは、女ってだけで半ば生き方を社会に決めつけられるという点が最悪を通り越して、地獄。本作は、性差別により被る損害について、女性に焦点を当てているかに見えるが、実は、性差別により被害を受けるのは女だけじゃない、ってことを描いている点が、なかなか好感を持てる。

 つまり、男だから〇〇、女だから〇〇、と勝手に決められ、それに従って法律が作られ制度化されることの不合理さは、何も女だけが感じるものじゃない。ただ、まあ女の方がより不合理さを感じることが多いのは確かだろうけれど。

 ルースは、人生を懸けて挑んだ訴訟の法廷で、いきなりピンチに追い込まれる。しかし、相手(被告)の弁護士の言い草を聞いて、冷静に怒りの反撃に出たのだけど、このルースの反論は実際の法廷で行われたものと、多分、そんなに違わないだろう。そう思うと、大変感動的だった。彼女は、女は不利だということを訴えるのではなく、性別役割分業制の不合理さを判事に向かって説いたのだ。こんな弁論ができる彼女は、やはり素晴らしく頭の良い人なんだと圧倒される思いで見ていた。

 そして、ルースがここまで仕事ができたのは、ひとえに理解のある夫・マーティの存在のおかげ。こんな状況の世の中で、マーティはルースが仕事をすることに非常に協力的で、家事も育児も“手伝う”んではなくて、自らが積極的に担うという、、、あの時代にどうしたらそういう男性が出来上がったのか、その生育環境に非常に興味を抱いてしまった。残念ながら本作ではそういった側面にはノータッチで分からないけれど、これはおいおい調べてみようかと思う。

 最後の法廷シーンで一応、観客の溜飲を下げてくれるが、それまでがかなりストレスフルな映画だった。

 

◆育休明けの妻に取り残される夫。

 性別役割分業を制度化されることで、女の方がより不合理さを感じることが多いと書いたけれども、実は、本当の意味では男も相当、社会に搾取されているのだ。本作はそこに切り込んでいるから面白い。

 昨今の働き方改革の動きなどを通しても言われているように、結局、一見男にとってのみ都合の良い男社会は、実は、男をとことん酷使することで成り立っており、つまりは、男社会とは名ばかりで、男も“人間扱い”されていなかった、という悲惨な事実が露呈しているのである。男を優遇しているようで、実は男たちは社会の駒として動かしやすいように制度設計に組み込まれていただけってことに、いい加減、男たちも気付いた方が良い。

 たまたま、今日、あるネット掲示板である男性のグチを読んだんだけど、「妻(能力のある女性らしい)が育休を終えて社会復帰した途端、家事がおろそかになっただけでなく、夜遅く自分が帰宅したときには既に妻は寝ており(夕食は準備しておいてくれるらしい)、時には夫婦生活も拒まれることが発生している。働き出してから急に妻はキレイになって生き生きしているが、自分は孤独感に襲われとても寂しい。妻に専業主婦に戻ってもらいたい」みたいな内容で、弁当を食べながら読んだ私は、噴き出しそうになって、まさに“噴飯モノ”。

 でも、こういう男はいまだに多いだろうと思われる。しかしよく考えてみれば、妻が起きていられないような時間にしか帰れないという現実、妻に身の回りの世話をしてもらわないと孤独を感じてしまう精神の貧しさ、それらは、性別役割分業のもたらしたものでは? 男だからって、仕事に人生奪われて良いのか? 充実した人生ってそういうこと?

 性差別は、男と女のどちらかの問題ではない。これに気付いていない男も女も結構多い気がする。マチズモ思想の男は論外だが、ミソジニーは男に限ったことではない。女が女の脚を引っ張っているケースはたくさんある。

 私は、第一号ではないが均等法世代でバブル末期に社会に出たけど、当時も、十分男社会だった。悔しくてこっそり涙を流したことは一度や二度ではない。その頃を思えば、大分世の中の意識は変わって来ていると思うし、まだまだな部分が多いとは言え、私はそれほど悲観もしていない。何より、私が見た回が満席だったということが、世の中捨てたモンじゃないということの証だと思う。

 

◆その他もろもろ

 フェリシティ・ジョーンズは、可愛らしい感じで、ルースのイメージとはちょっと違うかな。実際のルースの若い頃の写真を見ると、もの凄い美人で、キリッとした感じ。今のルースもキリッとして美しいが。でも、信念を持って闘う女を好演していた。

 理解ある夫・マーティを演じていたのは、アーミー・ハマー。キレる弁護士というよりは、『君の名前で~』のオリバーのイメージの方がやっぱり彼には合っている気がする。まあ、でも楽しそうに料理している彼は非常に素敵な夫だった。

 結婚して間もない頃に、マーティが生存率5%の精巣癌に罹るというエピソードも出て来て、何とも言えない気持ちになったが、その5%になったのだから、ある意味スゴイ。そしてまた、彼の療養中のルースの八面六臂ぶりが凄まじい。

 前述の同じ掲示板で、多分私と同年代の女性と思われる人のこんなグチもあった。「私の若い頃には育休なんかなかった。私も育休があったら利用して子どもを持ちたかった。今、後輩が当たり前のように育休を使っているのが恨めしく、嫉妬してしまう」……それに対する書き込みは「そんなあなたたちのおかげで、今の制度ができたのです。ありがとうございます」という内容のものが多かった。本作でも、ルースが闘うことに踏み切れたのは、娘の「私の未来のために闘って」という言葉に背中を押されたからだ(という描写だった)。

 先輩たちや我々世代の犠牲の上に現在がある、などと全く思っていないが、次の世代が少しでも良い環境で生きられるようにするのは、今を生きる人たちの役目ではなかろうか。本作を見て一番感じたのは、そこのように思う。

 

 

 

ちょこっとだけ出ているキャシー・ベイツの存在感がスゴイ

 

 

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