映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

裸足の季節(2015年)

2016-07-11 | 【は】



 トルコ・イスタンブールから1000km離れた田舎町に住む美しい5人姉妹、長女ソナイ、二女セルマ、三女エジェ、四女ヌル、末娘ラーレは、10年前に両親を亡くした後、祖母と叔父エロルによって育てられてきた。

 5人は楽しく学校に通っていたある日、帰り道に海岸で男子生徒たちに肩車されて騎馬戦ごっこをして、海水にまみれながら大はしゃぎをして楽しんだが、それを近所の人に目撃されていた。そのご近所さんは、祖母に姉妹の行動をチクったため、祖母は怒り、それを聞いた叔父エロルは激昂。エロルに5人姉妹は病院に連れていかれ、ソナイとセルマは“純潔検査”を受けさせられる。

 その日を境に、5人は学校へ行くことを禁じられ、部屋に閉じ込められるという軟禁状態に置かれる。そうして、祖母とエロルの連れて来た相手と長女から順に見合いさせられ、強引に結婚させられることに。

 末娘のラーレは、姉たちが嫌々結婚していく様を見て、何とかここから脱出したいと真剣に考え始める。そして、三女のエジェが結婚を前に自死したことを機に、脱出のために準備行動を開始する。

 四女ヌルの婚礼の日。鬱々とするヌルをレーラは叱咤し、遂に2人は逃亡を図る。2人は無事逃げ遂せるのか……?!

 

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 それほどそそられた訳じゃないのですが、用事があって休みを取りまして、用事はすぐ終わるから美術館か映画にでも、、、と思ったんですが、美術館もう~ん、という感じだし、映画もその日のサービスデーが本作を上映している劇場だけだったので、まあ見てみるか、、、、くらいな感じで見てみました。

 正直言って、私にとっては他人事じゃない話の映画で、終始、心がぞわぞわしていました。他人事じゃない、ってのは、私も望まない結婚を強いられたことがある、ってことです。詳細は省きますが。


◆名誉殺人と地続きのオハナシ

 それにしても、、、。ときどき新聞等で目にする“名誉殺人”のニュース。多くは、パキスタンやインドで、しかも殺されるのはほとんどが女性。明らかに女性の人権軽視の風習に、強い憤りを覚えるのだけれども、先日もこんなニュースが……。

 こうやって女性たちを簡単に殺す男性たちは、じゃあ、未婚の女性と絶対セックスしないんでしょうか。そんなはずありませんよね。するから殺される女性が発生するのでしょ。自分たちは良いけど、お前らはダメっていう典型的なパターン。何で女だけが貞節を強要されるのか。殺しはしないまでも、女だけに処女性・貞淑・従順を求める思想は古今東西、程度の差はあれ今でも厳然とはびこっていると思いますけれども。

 例えば、、、。二女セルマの結婚初夜の後、新郎の両親が「ベッドのシーツを見せろ」としつこく部屋の外でわめいている。初夜に新婚夫婦のシーツを見せる風習があるのは、聞いてはいたけど、映像で見せられるとえげつなくて鳥肌が立ちました。出血しなかったセルマに新郎は「身の破滅だ!!」と怒鳴る。で、セルマは、新郎の両親によって医者に連れて行かれ処女膜の存否検査を受けるという、、、どこまでもどこまでも女性の尊厳を踏み躙る悪しき習慣の数々。

 それでも前半は画面も雰囲気も比較的明るく、5人姉妹の置かれた状況はどんどん厳しくなっていくのに、あまりそういう鬱屈した感じは前面に押し出された描写ではありません。雰囲気が一転するのは、終盤、三女エジェが自死してしまってからでしょうか。一気に切迫していきます。


◆逃げろ!!

 本作を見て、「何で彼女たちは逃げないのか?」「なぜ、彼女たちは嫌なものは嫌だと自己主張を通さないのか?」と、感じた方もいるのでは? 私には、彼女たちが逃げられない、身動きが取れない心理が分かってしまう。三女エジェが自死を選んでしまう心理も分かってしまう。

 私も、事情を知る数少ない知人に言われました。「逃げれば?」「なんでイヤって言わないの?」とね。「イヤ」なんて何百回も言いましたよって。でも、恐怖で精神をコントロールされている側には、逃げればどうなるかを想像し、思考停止してしまうのです。私の場合はそうやって、精神的に親にすっかり支配されて逃げる勇気が持てないことを自身に対し正当化していただけですが、本作の姉妹たちの場合は、本当に殺される危険があるわけだから逃げ出せなくて当たり前です。何されるか分からないとは思いましたけど、殺される危険がなかった私でさえ、親が恐ろしくて逃げられなかったのですから、、、。

 だから、ラーレはスゴイ。勇気があるというより、彼女があそこまで無謀な行動に出られたのは、13歳という年齢もあったかな、という気がします。あまり“おとなの事情”なるものに縛られないでいられる年齢でしょ、ギリギリ。これがあと2年くらい経つと、身動き取れなくなってくる。事実、四女ヌルはラーレの強引さがなければあのまま結婚してしまっていたわけです。

 とにかく、自らの意志で、自力で(トラック運転手の兄ちゃんの力を借りたけど)、逃げ遂せたのは、素晴らしいと思います。

 逃げ出そうとするヌルとラーレを必死に捕まえようとする叔父エロルに、誰か男性の声が「いいから、もう行かせてやれ」と言います。ああいう社会でも、そういう風に考える男性もいるのだなぁ、と少し救われる思いもします。トラック運転手の兄ちゃんにしても、この声の主の男性にしても、こういう風習に漠然と疑問や理不尽さを感じている男性はいるんでしょう、きっと。いて当たり前だと思いますけれども、いてくれることにホッとするのも事実。いくら、女たちだけで踏ん張って逆らったって、男たちの協力や理解がなければ、こんなおかしな岩盤風習、とてもじゃないけど切り崩すことなど出来ません。社会全体で取り組まなければならないことなのです。もちろん、一筋縄では到底かなわないことですが、、、。でも、何事もアリの一穴からです。


◆見合い市場における男性優位の実態。

 しかし、、、本人の望まない相手との結婚を押し付けられる……、この屈辱感、苦痛、絶望感、、、。所々、身につまされて見ていて息ができなくなりそうになりました。私が当時感じたことは、、、こんなことのために今まであれこれ頑張って生きてきたのだろうか、、、というもの凄い徒労感と虚無感、そして、もう死んだ方がマシ、いっそ出家して尼になりたい、、、とか。

 本作の中でも周囲の人が言っていましたが「(今はイヤでも)結婚すればそのうち(相手のことを)好きになるから」というアレ。もう、吐き気がします。そして、四女が結婚式目前で逃げ出すときに言った「こんなオヤジとあんなことするなんて絶対イヤ!!」というセリフ。もうホント、そのとおり! だったら、女として干からびて一生終えた方がマシ、ってね。

 理不尽極まりないのが、“男が気に入ること”がプロポーズの条件なのです。女が男を気に入るか否かは度外視される、最初から。でもって、男が気に入れば、後は、プロポーズを本人ではなく親が親にするんですからね。女の意思は、まるでそこに介在しないという気の狂ったシステムです。

 でもでも! 実は、現代の日本だって(というか少なくとも20年前までは)、お見合いの世界じゃ、圧倒的に男性優位なんだよねぇ。特に(容姿の残念な)社会的条件の良い男はね。女は年齢と容姿(と一応学歴も)がほぼ全て。しかも女は、断れば「身の程知らず」と罵られ、断られると「価値のない女」と謗られる。それくらいならまだゼンゼンいいけど、女が断っても、条件の良い男が結婚したいと言えば、女の拒絶はなかったことにされる。「女性は望まれて結婚するのが幸せなんだ」「あんな(条件の)良い男は一緒になればそのうち好きになる」とか言われてね。男は拒絶すれば即聞き入れられるのに。この不公平たるや、いかに。本作と根っこは同じ世界です。

 余談ですが、お見合いというシステムって、体質的に合う人・合わない人とハッキリ分かれると思いますねぇ。私はまるで合わない派でした。合う人は、結婚相手にある程度分かりやすい条件があること、相手に好意を持たれることで自分もそこそこ好意を持てる柔軟さがある人、年齢的に○歳までに絶対結婚したいというような明確な目標のある人、、、等々ですね。私みたいに、好き嫌いがハッキリしていて、条件より感性、みたいな人はダメです、見合いは。


◆その他もろもろ

 5人姉妹のうち、三女エジェを演じた役者さん以外は、皆演技経験がなかったとか。つまり、本作が役者デビュー作。、、、とはとても思えない、生き生きと、また、キラキラしていました、みんな。5人ともすごく美しいですしね。もう、眩しいほど。これは監督さんの手腕でしょう。

 ラストのヌルとラーレの脱出劇は手に汗握りますが、一応ハッピーエンディングですし、そこまでは割と淡々とした描写で、エジェの自死も悲惨な出来事だけれど、比較的サラッと描かれています。なので、鑑賞後感は悪くないです。

 ただまあ、映画としては、(好みの問題ですけど)身にはつまされたけれど、グッとは来なかったような。冒頭の海辺での5人姉妹と男子たちの戯れるシーンや、5人姉妹が狭い部屋で折り重なって眠るシーンなどは美しくて印象的だけど、、、。もう一度見たい、という感じではないですね。

 とにかく、彼女たちのような、そして、名誉殺人などと言う名の犯罪の被害者たちのような、理不尽な人権蹂躙が、今も世界のあちこちで行われていることだけはしっかり胸に刻んでおきたいと思います。





原題“Mustang”(野生の馬)
エクボのぉ~・ヒミツあげたーいーわ~、、、とは関係ありません、もちろん。




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