映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

波紋(2022年)

2023-06-17 | 【は】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79851/


以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 夫がいなくなって十数年、“緑命会”という新興宗教を信仰し、日々庭の手入れを欠かさず、祈りと勉強会に勤しみながらひとり穏やかに暮らす須藤依子(筒井真理子)。

 そんなある日、自分の父の介護を押し付けたまま失踪した夫・修(光石研)が、突然帰ってくる。がん治療に必要な高額の費用を助けて欲しいというのだ。さらに、息子・拓哉(磯村勇斗)が、障害のある彼女を結婚相手として連れて帰省。依子のパート先では癇癪持ちの客に大声で怒鳴られる……。

 自分ではどうにも出来ない辛苦が降りかかる依子は、湧き起こる黒い感情を宗教にすがり、必死に理性で押さえつけようとするのだが……。

=====ここまで。


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 何かの映画を見に行った際に予告編を見て、荻上直子監督作だと知り、私はこの監督の映画は「かもめ食堂」しか見たことないので、“何かちょっと雰囲気違うんじゃない、、、?”と思って興味をひかれたのでした。それに主演は、筒井真理子さんだし。脇も個性派ぞろいで、これは面白そうかも?と。

 折しも新興宗教が重要ファクターというのもあり(撮影は例の事件前だそうですが)、そんなこんなで劇場まで見に行ってまいりました。


◆父、帰る。

 何も言わずに突然いなくなった夫が、ある日突然、目の前に現れるって、考えただけでもの凄くイヤだよなぁ、、、と思いながら見ていた。「オレ、癌なんだよ」って、知るかよ、そんなもん!!と、私が依子さんなら吐き捨てて門前払いなんだが、依子さん、家に入れてやるのだ。「オヤジに線香あげたい」とか絶妙な口実をスラスラ言うこの夫が、超絶憎たらしい。

 しかも、この夫、めっちゃ図々しくてムカつく。ほんの短いシーンなのに、見ているこっちは殴りたくさえなるという、、、。

 「もしかしてご飯食べるの?」と聞く妻に「……え、できれば」と抜け抜けと答えたり。「酒ある?」と聞いたり。味噌汁をズルズル音立てて食べたり。

 また、別の日には、パートから妻が帰って来ると、ごみ箱に直接足の爪を切りながら「おかえり~」とか。大事にしている新興宗教の祭壇に祀ってあるでっかい水晶玉にベタベタ手形が付いているとか。

 夫が出奔している十数年の間に、妻は新興宗教にハマっていたのでした。そして、そんな母親を見ているのがイヤで、遠い九州に進学して家を出た息子。自身が結婚しようと、彼女を連れて帰ってくれば、何と、そこにはいないはずの父親がごろ寝しているではないか。自分が帰って来たつもりが、まさかの「父帰る」状態になって唖然とする息子。

 ……という具合に、深刻なはずの状況なのに、ムカつきながらも可笑しくて乾いた笑いが起きる。この、スッとぼけたムカつく夫を演じている光石研が実に巧い。この人は、本当に良い役者さんだ。


◆依子さんは本当に解放されたのか。

 依子さんは、夫の突然の失踪で傷ついた心を、怪しげな宗教で癒して来たのだが、緑命会という新興宗教の描写はソフトというか、悪質感があまりなく(守銭奴的な感じがない)、人畜無害なボランティアサークルっぽい感じさえする。ただ、それでも異様なのは、水の精(?)の稚拙な踊りや、集っている人たちの“イッちゃっている”目。あれらがなければ、依子さんがそれで救われるのなら、むしろ続ければいいんじゃない?と言ってあげたくなりそうな集会である。

 が。実は、依子さんは、この緑命会では本当には救われていなかったことが中盤に露呈するのである。

 つまり、本当に依子さんが救われるリアルな出会いがあるのだ。木野花演ずるパート仲間・水木さんの、率直でウソのない言葉の数々によって、依子さんが無意識のうちに溜め込んできたわだかまりや醜い感情は肯定され、依子さんは内なる自身と素直に向き合うことが出来るようになるという次第。嘘くさい(というか嘘そのもの)の緑命会の水や踊りや教えは依子さんを現実から逃避させていただけで、水木の言葉によって教祖の言葉が欺瞞であることを(薄々気付いてはいたけれど)ハッキリ認識するに至る。

 ただ、本作は新興宗教の欺瞞性を描いているのではなく、あくまで、依子さんという女性の抱える闇を描いているのであって、だからまあ、ソフトな描写になっていたのだろうと思われる。

 結果的に、ラストシーンでは依子さんのはじけた踊りが披露され、彼女はある意味解放されたことを暗示するエンディングとなっている。監督や出演者のインタビューを読んでもほぼそういう意味のエンディングなのだろう。……が、私は、依子さんの今後を思うと、なかなかそう単純な話にはならんだろうと、勝手に懸念してしまうのだった。

 彼女が新興宗教にハマったのは、結局、依子さんは自分に正面から向き合えない人だからである。これは、私自身、母親にその気があったので何となくそう思ってしまう。私が幼かった頃、母親にある集まりに何度か連れられて行ったことがある。今思えば、それは聖書の勉強会(多分、エ〇バだったのだと思う)だったんだが、私は聖書のあのペラペラの紙の感触が好きで、母親の横で聖書を意味もなくいじって喜んでいただけだったし、母親も結果的にそこにはハマらなかった。けど、その後も、母親は、宗教だけでなく、マルチ商法にハマりそうになったり、欲しくもない化粧品を買わされて顔がシミだらけになったり、、、と、それ系のハナシは枚挙にいとまがない。迷信深くて、他力本願的な思考回路がそういうことを招いていたんだと思うが、依子さんを見ていると、どうも母親のそういう側面と被ってしまう。

 母親も依子さんも、一見常識的でマジメでキッチリしている人なんだが、ちょっとキャパオーバーなことが起きると、パニクって現実から逃避するのである。まあ、人間誰しもそういう面はあるとはいえ、依子さんがあそこまで新興宗教に縋ってしまうってのは、彼女が典型的な他罰思考で自力で局面を変えることが出来ない人だからであり、60年くらいそのように生きて来た女性が、緑命会や教祖の欺瞞に気付いたとしても、そこから“脱退する”という超難題に立ち向かうことは容易ではないはずだ。

 そのハードルを、例えば水木の助力を得て超えたとしても、依子さんは次の依存先を水木にするのがオチではないか、、、という気がしてしまう。下手すると、また緑命会に舞い戻り、、、というパターンもアリだろうな。夫が死のうがどうしようが、妻の生来の気質まで激変するってことは、、、あんましないんじゃないかね。

 なので、筒井真理子さんの凄みあるダンスシーンに圧倒されながらも、鑑賞後感としてはあまり爽快さは感じなかった。いやぁ、、、この先ヤバいだろ、この人、、、という感じだった。


◆今と昔、どっちがシンドイのか。

 パンフを読むと、依子さんは、均等法世代よりちょっと上の女性の象徴的モデルとして良妻賢母の設定をされているらしい。逃げた夫も、男として一家の大黒柱の役割を担わされてきたと。

 息子が、結婚したいと言って連れ帰った女性は聾唖の障害を持っていて、依子は露骨に差別感情を丸出しにして結婚反対を宣言する。そこで、夫も交えた家族喧嘩が勃発するのだが、そのとき依子さんは息子に「父さんは、放射能から逃げたんじゃなくて、母さんから逃げたんだ」と言われて、返す言葉がない、、、というシーンがある。

 このブログでも以前書いたけれど、結局、性別役割分業が当たり前だった時代は、男も女も抑圧されていて、(誰が決めたか知らんが)社会の仕組みに勝手に組み込まれて良いように動かされてきただけである、、、ということなんじゃないかね。女の方が子育てや家事に向いているとか、男の方が仕事に向いているとか、ただの妄想だったということだ。

 ただまあ、そういう時代は、あまり考えなくても生きていける時代でもあった、、、とは言えそうだ。ライフスタイルが画一的で、良いことも悪いことも定型であれば、その型にハマっていれば良いのだからね。

 今は、多様性がお題目のようになっているが、定型がなくなるということは、それぞれが自身が良いと思う生き方を模索して実践していかなければならない、ということでもある。いろんな意味で、皆、人間性が試される時代なのかもしれん、、、。今の方が楽なのか、シンドイのか、、、どっちなんだろうねぇ。


◆その他もろもろ

 木野花さん演ずる水木のキャラも良いが、本作はシナリオが見ている者を要所で微妙に(良い意味で)裏切った展開になっていて、それが、一見ありがちな“女の解放物語”をなかなか上質なブラックコメディにしている。

 特に、おぉ、、と思ったのは、息子が彼女を予告なく連れ帰って来た展開。それだけでも、それこそ“波紋”だが、その彼女が、息子よりも6歳も年上なだけでなく、聾唖者という設定なのが唸る。これは、依子さんが母親として試されることになる。そして、案の定、、、という行動になるが、その時の依子さんの言葉は、想像以上にドぎつくて、水木にも「あんた、露骨に差別するねー」と呆れられるほどである。

 高額医療を受けたいと、生に執着していた夫が、妻の心の闇に思いが至ったとき「オレ、さっさと死ぬわ」と言うシーンも笑える。いや、笑っちゃいかんのかも知れんが、、、。何気に、息子が本作ではキーマンである。

 筒井真理子さんはもちろん、皆さん巧い人ばかりで、演技で??となるシーンがないのは素晴らしい。邦画でもこのようなレベルが可能なのだなぁ、と感慨深い。

 正直、荻上直子監督の映画って「かもめ食堂」の延長みたいのばっかじゃないの?と勝手に思い込んでいて、ほぼ食わず嫌いに近かったのだが(いや、「かもめ食堂」は嫌いじゃないけど)、それは本当に食わず嫌いだったのかも知れないと反省、、、。ほかの荻上作品も、これからぼちぼち見て行こうと思った次第。

 

 

 

 

 

 

 

 

本作と「かもめ食堂」はコインの表裏かもね。フィンランドが、本作では新興宗教になったと、、、。

 

 

 

 

 

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