映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

顔のないヒトラーたち(2014年)

2016-07-14 | 【か】



 1958年、西ドイツ・フランクフルトで検察官となったばかりのヨハンは、交通違反事案ばかりを処理して退屈していた。が、ジャーナリストのグニルカが、ナチスの親衛隊員だった男が、教師として堂々と生活している事実を把握し、告発する。上司たちが引き止めるのを振り切って、この告発に対し動き始めるヨハンであったが、、、。

 50年代のドイツでは、ナチスが強制収容所で何をしていたのか、ほとんど知られていなかった。ヨハンと、一部の検察官たちの働きによって、初めて広く国民にホロコーストの一端が明かされるきっかけとなったアウシュヴィッツ裁判が開かれるまでの、ヨハンの激闘を描いた作品。
 

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 また、ナチスです。昨年、劇場で見そびれまして、ようやくDVD鑑賞いたしました。


◆だから日本は、、、と言われる理由。

 アウシュヴィッツ裁判の初公判は1963年だそうです。ヨハンが、事実の一端を知ってから、5年経っていたのですね。5年も、というより、たった5年で初公判にこぎつけたなんて、すごいと思いました。だって、起訴するには、それなりの捜査と証拠が必要なわけで、あの膨大な書類と被害者・加害者の人々を相手に、恐らくは膨大な書類を作成し、準備をしたのでしょうから、それを思うと、5年は早い方なのではないかと感じたのですが。

 先日『帰ってきたヒトラー』を見たら、今のドイツ人の多くにはナチ・アレルギーなんてないみたいに見えました。そして、私は、戦後の敗戦国としての歩みにおいて、ドイツに日本が劣っているだとか、ドイツは素晴らしいが日本は無責任だとか、そういった一面的な論評に与する気はさらさらありません。

 ありません、が。

 本作を見て痛恨の極みだと感じたのは、やはり、日本人は、自らの手できちんとあの戦争について総括していないということです。

 本作で描かれたアウシュヴィッツ裁判をきっかけに、ドイツがナチスを含めて戦争について総括できたかどうかは分かりませんが、少なくとも、自国民の手によって、戦時、何が実際に行われていたのかを明らかにしようとした人々がいて、それによって、国としてたとえ建前であったにせよ恥部を世界に自ら晒したことは事実です。

 日本は、東京裁判を判決のみならず、裁判まるごと受け入れてしまった一方で、自ら敗戦を直視し、その原因を探り、何が間違いだったのかを丁寧に検証し、自らの手で総括することはせずに今日まで来てしまいました。東京裁判が不当だと、当初から議論があったのですから、別に屈辱にまみれながら受け入れることなどせずに、自分たちで自分たちの過去を冷静に厳正に裁けばよかったのです。そして、国際的な評価を受ければ良かったのではないか。

 それと同じようなことを感じたのが、先日イギリスが発表したイラク戦争の検証結果ですね、、、。アメリカも既に検証結果を公表していて、「間違いだった」と認定しているし、イギリスの調査委員会も間違いを認めています。どちらも、膨大な量の報告書の様ですが、、、。日本も既に一応外務省(独立委員会ではない)が検証し、結果を一部公表していますが、A4用紙4枚分だとか。しかも、「追認やむを得ず」という内容です。究極の「人のせい」。、、、これでは、自浄作用がないと世界から認識されても仕方がないのではないでしょうか。独立国家として判断したのなら、人のせいにしていてはいけません。そして、こういう姿勢は、やはり、先の戦争及び敗戦についても同じだという目で見られても、反論できないのではないでしょうか。

 とかく、ドイツと比べられる日本の戦後処理ですが、やっぱりここが致命的だな、と本作を見て改めて思いました。今に至ってもこうでは、敵に塩を送っているようなもんです。


◆戦争モノでいつも感じること

 というわけで、映画に話を戻しますと、ヨハンは、よく殺されなかったな、、、というのが一番の感想です。あのご時勢で、あそこまで負の歴史に切り込もうとしたら、ナチスの残党に暗殺されてもおかしくなかったと思います。

 そして、何より、ヨハンがあそこまで行動できたのは、上司である検事総長バウアーのバックアップがあってこそ。バウアーはユダヤ人だった、というのが大きい。見ていて、このバウアー、実は悪者で、どこかでヨハンを陥れるようなことをするのではないかと最初は思ったのですが、そうじゃなかった。バウアーがいなければ、ヨハンの行動も潰されていただろうことを思うと、アウシュヴィッツ裁判を実現に導いた最大の功労者はバウアーと言って良いかも知れません。

 印象深かったのは、あの悪名高きメンゲレを逮捕しに行ったシーンです。食事会の席で「メンゲレはどこだ?」というヨハンに、出席者が次々に立ち上がり庇う。背筋がゾッとなりました。そして、メンゲレが実際に行ったという人体実験の生々しい証言、、、。想像もつきませんが、事実だというのだから、そっちの方が驚愕です。

 、、、まあでも、ナチス関連を始め、戦争モノを見ると、人間は、本当に、実にアッサリと、理性というか人間性を自ら捨てることの出来てしまう生き物なのだ、と思い知らされ、嫌になります。恐らく、私自身も例外じゃないのでしょう。そう思うと、自分が自分で信じられなくなります。映画やTVで目を背けてしまうような残虐シーンを、自らリアルに行ってしまうのかも、、、。あり得ない、と今は思っているけれども。


◆その他モロモロ

 ヨハンとマレーネのロマンスは、まあ、ちょっとした清涼剤みたいなものですかねぇ。あと、ヨハンが自分の父親がナチの党員だったことに大ショックを受けて葛藤しているあたりは、実際にそうだったのかも知れませんが、ちょっとありがちな感じで、私は引いてしまいました。母親がああいう人だから、父親に理想像を抱いていたのかも知れませんが、清濁併せのむことを受け入れられない歳でもないだろうになぁ、、、と。まあ、アイデンティティに関わることではありますけれども。

 ヨハンを演じたアレクサンダー・フェーリング、典型的な金髪碧眼の美青年ですなぁ、ヒトラーが好みそうな。今後、トーマス・クレッチマンみたいに、ナチの幹部の役を演じることもあるかも知れませんね。










しかし、この邦題はイマイチ。
原題は“沈黙の迷宮”? 沈黙シリーズと誤解されるから??




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