映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

帰ってきたヒトラー(2015年)

2016-07-08 | 【か】



 あの、人類史にその名を深く大きく刻んだ独裁者ヒトラーは、自殺したと思われていましたが、実は死んでいなかったのです。2014年のある日、突然、ワープして現代のドイツに現れました。

 ヒトラーは、現代の民主主義で自由経済の世に蘇っても、やはり、ヒトラーでした。

 考えてみれば、先の大戦下においても、ヒトラーは、大衆に圧倒的に支持されて生まれた指導者でした。つまり、彼は、天才的スピーチ力だけではない、大衆を魅了する人間力も持ち合わせていた人だったのです。現代に蘇った彼も、とても魅力的な人なのです。

 テレビに出て、ヒトラーのものまねタレントとして人気者になったアドルフ・ヒトラー。ついには、彼の映画まで制作されることになります。果たして、その結末は……?

 現代の世相と見事にマッチした、笑った後に背筋が寒くなる秀逸なブラック・コメディ。
 

☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜


 、、、昨年、原作の上巻を3分の1ほど読んで挫折したのですが、、、それは話がつまらないというよりも、訳文がどうも好きじゃないというか、何か読んでいてイライラする感じがありまして。映画化されたことも知ってはいたのですが、大して興味なかったんですけれども、主演俳優のオリヴァー・マスッチさんのインタビュー記事を某紙で読んで、俄然、見る気になってしまい、劇場へ行ってまいりました。サービスデーだったせいか、8割がた席は埋まっていた感じです。
 

◆構成が素晴らしい

 本作は、その構成が実に巧みだと思いました。

 現代にワープしてきたヒトラーを、TV局をクビにされそうになった冴えない社員サヴァツキが偶然発見し、ソックリさんかなりきりタレントだと思い込んで「これは使える!」と直感した彼は、クビを免れるために、ヒトラーを使った企画を上司に提案します。

 ここで、本作は、オリバー・マスッチ演じるヒトラーに、現代ドイツ各地を歩かせて、ドイツ人たちと交流させるという、ドキュメンタリー手法を使います。見ていて最初は全部演出かと思ったのですが、どうもこれはガチだったらしいです。監督も、マスッチ氏自身も「怖かった」と、パンフのインタビューで語っています。

 で。このときの、ドイツ人たちのリアクションがね、意外だったし、でも正直おもしろかったんです。ドイツといえば、「日本と違ってきちんと歴史に向き合い教育してきました」というイメージが、少なくとも日本周辺では定着していると思います。なので、てっきり、ドイツの一般市民は、ヒトラーを見ると嫌悪感を見せるのではないかと想像したのですが、これがゼンゼン。多くの人々は、とっても好意的。握手を求めてきたり、一緒にスマホで写真撮ったり、ハグしにきたり、、、。

 例えば、渋谷のスクランブル交差点を、東条英機そっくりさんが歩いていたら、日本人は、本作のドイツ人たちと同じ反応を示すでしょうか? どうも、それはないような気がするのですよねぇ、私は。皆、遠巻きにしながら、好奇の目で見る、、、ってのが一般的なんじゃないかなぁ。中には、握手を求めたり、親しく話し掛けたりする人もいるでしょうけどね。

 本作でも、ヒトラーに露骨に嫌悪感をぶつける人も、いるにはいたのですよ。極右の人には罵られてましたしね。

 そして、もっと驚いたのは、多くの人々が、移民に対する嫌悪の言葉や、民主主義を否定する言葉を臆せずに語っていることです。そして、いくら本物ではないと分かっていても、ヒトラーに対して、ドイツ人たちがそういう話をし、マスッチ・ヒトラーが「ならば(移民を本国に)返せば良い」と言うとわーっと盛り上がる、という光景は、正直、笑えませんでしたねぇ。

 (少なくともアジアの一部では)模範とされるドイツの戦後教育は何だったのか? 学校の授業では挙手さえ、ナチの敬礼を思わせない1本指立てでやっているのに、いざ、マスッチ・ヒトラーを眼前にすると、拒絶どころか、敬意を示しているなんて、、、。

 とはいえ、まあ、本作中のドイツ人たちも飽くまで「ヒトラーの贋物」という前提だから、こんなに呑気なんだとは思いますけどね。だって、本物の訳ないものね。マジで本物が出てきたら、それは、ブラックではなく、ホラーでしょ。

 構成が巧みだと最初に書いたのは、一つには、この半分ドキュメンタリー方式を使っていることです。ヒトラーが現代でも十分に通用する指導者になり得ることを、説得力を持って見せつけています。これが、完全な演出であれば、それはそれで面白いでしょうが、むしろ、もっとわざとらしい「嫌悪感を剥き出しにする人たち」が大勢出て来たのではないかと思うのです。原作を読んで感じたのはそこだった様な気がします。原作は、ヒトラーが、ものまね芸人として大人気者になっていき、再び独裁者への道が開ける、的な展開になりそうな感じ(最後まで読んでいないので分からないけど)でしたが、映画版は、ドキュメンタリーを挟むことで、そんなメンドクサイ過程を経なくても、もっと簡単に、再び独裁者になり得ることを見せつけてしまったわけです。

 もう一つ巧みだと思ったのは、途中から入れ子構造にし、劇中劇として、映画を制作する話にしたことですかね。これで、サヴァツキが終盤、ヒトラーが本物だと気付いて、その後の展開に活きています。劇中劇である映画で、彼を本物のヒトラーとして描くことによって、より贋物感を視聴者に植え付けることも出来てしまう。実に巧いと思います。


◆「笑うな危険」

 ただまあ、冷静になって考えてみると、やっぱりこれは笑えない話だなぁ、と思いました。

 学校教育で“民主主義は素晴らしい”的なことを教えられてきました。そして、実際に、私も、ついこないだまで、まさか民主主義が揺らぐ日は、人類にはもう来ないだろうと思っていました。高校生の頃、友人たちと、民主主義に勝る政治体制があるだろうか、という話をした際には、民主主義が至高の制度ではないものの、よりベターな選択には違いない、ということでおおむね一致したものでした。

 でも。

 民主主義は、実に脆弱です。あっという間に体制を覆すことが可能な制度なんだなぁ、と。ヒトラーも、選挙を経て権力の座に着いたことを思うと、きちんと民主主義のプロセスを踏んでいるのです。

 本作の、マスッチ・ヒトラーも、ドイツ人たちが抱える不満の数々をうまく掬い取り、テレビ番組で演説します。「この国は何だ? 子どもの貧困、老人の貧困、失業、過去最低の出生率。無理もない、誰がこの国で子供を産む? 私はテレビと戦う。『反撃放送』を行なう」と語るヒトラーに、スタジオは一瞬の沈黙ののち、爆笑が起こります。、、、そう、観客は、ヒトラーが贋物と思い込んでいるから笑っているけれど、既に、ヒトラーに心をがっちり掴まれてしまっているのです。

 やっぱり、その国の為政者とは、民度の象徴であると、つくづく思います。現在、それが最も分かりやすい形で表出しているのが、トランプ現象でしょうねぇ。誰もが、“まさか”と思っていたけれども、その“まさか”が現実になるかも知れない状況にまで来ているのですから。あれを見ると、アメリカが世界のリーダーなんて、ちゃんちゃら可笑しい、としか言いようがありません。ま、日本も人のことは言えませんけれども。

 マスッチさんは、実際にヒトラーの格好で人々に接して、あまりにも人々が友好的であること、右寄りの発言が次から次へと止まらないことに、「戸惑った」と言っています。そらそーでしょう。袋叩きに遭うかも、と恐る恐る行ったのに、むしろ敬意を払われちゃったんですもんね。「人がいかに騙されやすいか、そして人がいかに歴史からあまり多くを学んでいないかが分かった」と、パンフのインタビューで語っています。

 とにもかくにも、本作は、マスッチさんの功績大ですね。そして、何より脚本が素晴らしい。別に、現代に警告を発するみたいな大上段的なものもないし、アイロニーという感じでもない。制作していく過程で、俳優もスタッフも、むしろリアルな危機感を抱いて行った、、、という逆説的な作品のように感じました。






ジャックが撃たれちゃってショックでした




 ★★ランキング参加中★★

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 後宮の秘密(2012年) | トップ | 裸足の季節(2015年) »

コメントを投稿

【か】」カテゴリの最新記事