映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ブリキの太鼓(1979年)

2018-08-17 | 【ふ】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1899年のダンツィヒ。その郊外のカシュバイの荒野で4枚のスカートをはいて芋を焼いていたアンナ(ティーナ・エンゲル)は、その場に逃げてきた放火魔コリャイチェク(ローラント・トイプナー)をそのスカートの中にかくまった。それが因でアンナは女の子を生んだ。

 第一次大戦が終り、成長したその娘アグネス(アンゲラ・ヴィンクラー)はドイツ人のアルフレート・マツェラート(マリオ・アドルフ)と結婚するが、従兄のポーランド人ヤン(ダニエル・オルブリフスキ)と愛し合いオスカルを生む。

 1924年のことだ。3歳になったオスカル(ダーフィト・ベネント)は、その誕生日の日、母からブリキの太鼓をプレゼントされる。この日、彼が見た大人たちの狂態を耐えられないものと感じたオスカルは、その日から1cmとも大きくなるのを拒むため自ら階段から落ち成長を止めた。周囲は事故のせいだと信じた。が、この時同時にオスカルには一種の超能力が備わり、彼が太鼓を叩きながら叫び声を上げるとガラスがこなごなになって割れた。

 毎週木曜日になると、アグネスはオスカルをつれて、ユダヤ人のおもちゃ屋マルクス(シャルル・アズナヴール)の店に行く。彼女はマルクスにオスカルをあずけて、近くの安宿でポーランド郵便局に勤めるヤンと逢いびきを重ねていたのだ。それをそっと遠くから目撃するオスカル。彼が市立劇場の大窓のガラスを割った日、第三帝国を成立させ、ダンツィヒを狙うヒットラーの声が町中のラジオに響いた。

 両親といっしょにサーカス見物に出かけたオスカルは、そこで10歳で成長を止めたという団長のベブラ(フリッツ・ハックル)に会い、彼から小さい人間の生き方を聞いた。

 ヤンも含めた四人で海岸に遠出した時、引きあげられた馬の首からウナギがはい出るのを見て嘔吐するアグネス。彼女は妊娠していたのだ。ヤンが父親らしい。それ以来、口を聞かなくなり、魚のみをむさぼる彼女は遂に自殺してしまう。

 やがて、ナチ勢力が強くなり、1939年9月l日、ポーランド郵便局襲撃事件が起こる。銃殺されるヤン。

 やがてマツェラート家に、オスカルの母親がわりとして16歳の少女マリア(カタリーナ・タールバッハ)が来る。オスカルとベッドを共にする彼女は、やがてマツェラートの妻になり、息子クルトを生む。クルトを我が子と信じて疑わないオスカルは、3歳になったら太鼓を贈ると約束し、再会したベブラ団長と共に慰問の旅に出た。慰問団のヒロイン、ロスヴィーダ(マリエラ・オリヴェリ)との幸福な恋の日々。

 しかし、連合軍の襲撃の日、彼女は爆撃をうけ死んでいった。オスカルが故郷に帰った日は、ちょうどクルトの3歳の誕生日でドイツ敗戦の前夜だった。ソ連兵に射殺されるマツェラート。彼の葬儀の日、オスカルはブリキの太鼓を棺の中に投げ、彼は成長することを決意する。その時、彼はクルトが投げた石で気絶する。祖母アンナ(ベルタ・ドレーフス)は彼を介抱しながらカシュバイ人の生き方を語る。そして成長をはじめたオスカルは、アンナに見送られ、汽事に乗ってカシュバイの野から西ヘと向かってゆくのだった。

=====ここまで。

 途中、「やがて」連発のあらすじ、、、、。ま、いいか。


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 今回見たのは多分3回目くらいだと思うが、別に好きな映画というわけでもないのに何故レンタルリストに入れたのかは相変わらず記憶になく、、、。まあ、きっと、もう1度見てみようかな、くらいの軽い気持ちだったに違いない。何回見ても、訳分からなさとぶっ飛びっぷりに、頭の中がウニ状になるのだけれど、正直、嫌いとも言い難い。こうして、またいつか、4回目を見てしまうんだろうな、と思う。


◆なぜ“オスカル”なのか???

 何度見ても可愛いと思えないオスカル。オスカルは、自分の意思で、自身の身体の成長を止めたり、奇声を発して物を壊したりする、「エスパー少年」である。成長を止めた理由が“大人の世界は醜い、汚いから”というもので、まあ、ピーター・パンとかと同じで、大人になりたくない症候群を体現しているキャラである。

 しかし、このオスカルが成長を止めた後にやっていることは、ほとんど“大人と同じ”なんである。気に入らないことがあるとエスパーで八つ当たりしたり、セックスしたり、家出したり、生きていくために慰問団で働いたり、、、。

 これって、どーゆーこと? まあ、彼が止めたのは身体の成長だけで、精神的な成長は止めてないみたいだから、中身は大人になっていくんだよ、ってことか。それじゃぁ、身体の成長を止める意味ないじゃん、と思うんだが。それとも、大人も子どもも、基本、同じくらいにバカバカしいってことなのか。

 原作(未読)は、ギュンター・グラスで、彼の出生地が本作の舞台だ。原作の記述は分からないが、本作を見る限り、オスカルの言動を通して、ナチスを非難しているんだろうな、との察しはつくが、そこでこのオスカルのようなキャラを生み出すグラスの想像力は、やはりタダモンじゃない、と感じる。なぜ、オスカルだったんだろう、、、?

 ナチスの集会に、オスカルたちが乱入(?)し、みんなが踊り出すシーンは、ちょっと不気味である。総統とナチスという組織に盲目的に従属している人々が、オスカルの叩く太鼓の音に易々とコントロールされてしまう、という皮肉な場面。コントロールされやすい人は、支配者が誰であれ、コントロールされてしまうものだ、とでも言いたいのかね。支配されることって、ある種の快感だ、、、と、今日の某全国紙の記事にも出ていたしなぁ、、、。

 この“オスカル”の不可解さが、決して好きとは言えない作品であるにもかかわらず、複数回見てみようと思わせる要因なのだ、、、、多分。

 しかし、今回見て、少しだけ自分なりに腑に落ちる部分もあった気がする。というのも、前回見たのは、グラスのあの“告白”以前だったからだ。2006年に、グラスが、過去にナチスの親衛隊に属していたことを公表し、私は、グラスに当時も今も何の思い入れも抱いていないけれども、それでもかなり驚いたし衝撃を受けた記憶がある。反ナチ文学でノーベル賞を取った、くらいの認識をしていた私のような者にとっては、かなり驚愕の告白であった。

 その告白を私は読んでいないし、実際にどのような経緯で彼が親衛隊に属したのか、詳細を知らないのでそのことに対しては何も書くことは出来ないが、今回、あの“オスカルの異常さ”を改めて見て、これは、グラスの良心あるいは罪悪感の裏返しなのかも知れないなぁ、という気がしたのだ。

 かつて自身が信じたもの、共感したものが、とんでもない化け物だった。そんな化け物に感化された自分もまた、化け物なのではないか、という自問自答の末に生まれたのが、あのオスカルのキャラだったのかも、、、と。

 きっと、グラスの研究者によって、この辺はきちんと解明されていることなのだろう。私がこう感じたのは、飽くまで今回本作を見て、あのオスカルの狂態を見て、ぼんやりとそんなことが頭に浮かんだ、という程度のものだ。でも、私にとって、長年謎のキャラだったオスカルが、少し、意味が分かったように感じられたのは、今回見ての収穫だといえる。研究者の論文に解説されることも悪くないが、自分で自分なりに納得することは一種の快感だ。

 まあ、原作を読めば、もっとよく分かることなのかも知れない。いずれ原作も読んでみようと思ってはいるけど、いつになることやら、、、。


◆子役について思うこと、、、

 このオスカルを演じたダーフィト・ベネント君であるが、どうも、その後の役者人生は鳴かず飛ばずといったところの様だ。彼にしても、『エクソシスト』のリンダ・ブレアにしても、あまりに強烈な役を演じた子役は、その後が難しいんだろうね、、、。

 本作は、児童ポルノ問題にも発展したが、子どものダーフィト君が大人と性行為に及ぶシーンがあり、まあ、それでなくても本作のオスカルの役どころは、かなり異常なキャラの演技を求められるわけで、正直なところ、これを演じることを許したダーフィト君の親御さんもスゴいと思うが、いくら芸術の創造だからといって、子どもにここまでのことをさせるというのは、児童福祉の側面からいっていかがなものなのか、、、という若干の嫌悪感に似たものは、見る度に抱く。でも、そう言いながら複数回見ているわけだから、私も本作を制作した大人達と同じ穴の狢である。

 おまけに、本作は、映画史上に残る名作とさえ言われている。ということは、これまでも、そしてこれからも、多くの人が本作を見ることになるのだろう。本作は、悪質な児童ポルノではないと思うが、オスカルがマリアの手にソーダの粉末を乗せ、その上に自身の唾液を垂らすというシーン(しかも複数回ある)は、性行為のシーンよりも気持ち悪く、吐き気を催すことだけは確かだ。

 これは、私の感性の問題だが、ハッキリ言って露骨なセックスシーンよりも、よほど不快な描写であり、ああいうことを子どもにさせる意味が、私には理解できない。多分、演じたダーフィト君は、大した意味もなく演じているのだろうし、子どもが無邪気に唾液を物に垂らすことは珍しいことではないだろう。大人だからこそ、そこに性的な意味を見出し、勝手にポルノ的なイメージを抱くのだ。私が嫌悪感を抱くのは、ポルノ的だからというより、単に不潔な感じがするからという方が大きいが、何はともあれ、やはり、この“垂涎シーン”は、私には生理的にどうしても受け容れられない。


◆その他もろもろ

 本作には色々キョーレツな描写があるが、まあ、何と言っても一番キョーレツなのは、やっぱし、馬の頭で鰻を捕獲する描写かなぁ、、、。あれは確かに気持ちワルイ。馬の目とかから、鰻がニュル~ッと出てくるのは、グロテスクそのもの。ああいう鰻の漁の仕方が実際にあったんだろうか……?

 あとは、慰問団の小人たちが無残に殺されていくシーンとか。マリアと父親のセックスしているシーンとか。冒頭、オスカルのお祖母ちゃんがスカートの中に男を入れてアグネスを妊娠しちゃうシーンとか。もちろん、オスカルが奇声を発して診察室のホルマリン漬け標本瓶を全部破壊するシーンも、かなりキョーレツ。

 何というか、本作は全般に、“不潔”なんである。スクリーン(というか画面)全体を覆う雰囲気そのものが“不潔”な感じなのである。汚い、とはちょっと違う。不潔な感じ。決して目を背けたくなるような汚いものではないのだが、見ていると眉間に皺が寄ってくる何とも言えない不快感を覚える不潔さ。それが、本作を支配している気がする。

 もちろん、そんな風に感じるのは私だけだと思うし、本作がだから不潔な映画だと言っているのではない。児童ポルノまがいだから不潔だ、というのでも、もちろんない。前述した垂涎シーンは多少影響してはいるだろうが、それだけではない。

 猥雑さが醸し出す不潔な感じ、、、とでもいうのが一番近いかな。あんまり、実際には近寄りたくない世界だが、でも覗いてみたくなる世界、そんな感じだ。








日本で一番有名な"オスカル"とはあまりにも違いすぎる、、、。




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