映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

サラエヴォの銃声(2016年)

2017-04-17 | 【さ】



 オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナンド大公と妻のゾフィーが、セルビア人青年プリンツィプによって暗殺された“サラエボ事件”から、ちょうど100年の、2014年6月28日の、サラエヴォにあるホテルヨーロッパ。サラエボ事件100周年の記念式典が、このホテルヨーロッパで開かれようとしていた。

 ホテルの従業員たちは式典準備に大忙しだが、もう2か月も給料不払いが続いている。ホテル支配人は、フランス人VIPをスイートルームにホテルの自慢話を垂れ流しながら案内するが、光熱費や水道代も滞納し、従業員たちからはストライキを起こされそうになっており、なんとかして、式典当日の今日を乗り切りたいと思っていた。

 ホテルの屋上では、サラエボ事件について、テレビ局の企画番組が撮影されていた。女性インタビュアーがインタビューする相手は、あの暗殺犯、プリンツィプの子孫に当たる男性だった。

 果たして、今日、6月28日は無事に過ぎるのか、、、。


 
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 『汚れたミルク/あるセールスマンの告発』を見た後、どうしようかなぁ、、、と思っていたんだけど、新聞の評に、『汚れたミルク~』より面白い、というようなことが書かれていたので、パンフも2作で1部に編集されていることだし、まあ、見に行ってみるか、、、と思って、見た次第。


◆サラエボ事件100周年。……だから何?
 
 このサラエボ事件について、初めて知ったのは、私の場合、今や絶版となった幻の少女漫画「キャンディ♥キャンディ」でなのです。この事件の号外が街角で売られ、それを見たキャンディが青くなる、、、というシーンがあります。小学3年生くらいだった私には、イマイチよく分かりませんでしたが、何やら大変な出来事で、しかもこれは史実らしい、ということくらいは分かりました。作中で、実際、その後第一次世界大戦が描かれていくからです。

 本作では、そのサラエボ事件を起点に、100年後の記念日に、ホテルヨーロッパの中で起きているイロイロな出来事を並行して描いているわけですが、、、。

 試みは分かるし、描きたいことも分かる気がする。、、、けれども、イマイチ、パワー不足感が否めず、正直なところ、あんまし面白いと思えなかったです。

 ホテルヨーロッパが、サラエヴォでも随一の高級ホテルという設定だとは思うんだけど、何しろ、全景の俯瞰映像が一度も出てこない(と思う)ので、どんくらいゴージャスなのか、どんくらい高級なのか、どんくらい品があるのか、分からない。やはり、ここは観客を威圧する様な全景の俯瞰映像を、バーンと出してほしかった。いくら、内部が高級ホテルっぽくても、説得力がゼンゼン違う。

 それでいて、実は、従業員たちはストライキを計画していて、経営も火の車、というそのギャップ。そこで生まれる人間ドラマが、歴史の一大事件なんかをよそに繰り広げられていく、、、という意図は分かるんですけどね、、、。

 従業員同士の間でもドラマがあって、親子や男女の問題が描かれています。サラエボ事件どころじゃねーんだよ、こちとら! ってなところでしょうか。

 テレビ隊の方でも、インタビュアーの女性と、プリンツィプの子孫の男性との間には、ロマンスらしきモノが芽生えている様子。インタビューでは、プリンツィプがテロリストが英雄かで、激しく対立していた男女なのに、、、。こちらも、サラエボ事件が何だってんだよ、て感じかしらん。

 どの小さなドラマも、あまり幸せな結末は待っておりません。非常にやるせないドラマが描かれています。


◆果たして本作は寓話か?

 『汚れたミルク~』は直球勝負でしたけど、本作は、かなり変化球というか、制作者の視点は非常に俯瞰的です。小さなドラマが並行して描かれてはいるけれど、ストーリーは特にないし。

 藤原帰一氏は、本作を“グランド・ホテル形式”の映画であるとして、こう書いています。

「この映画の場合、ホテルに集まるお金持ちばかりでなくホテルで働く人々の姿も捉えており、お客さまに向けられる外向けの顔と、なかで働く人にしか見えない内部の姿との間に開いた極端な落差も主題の一つになっています。その点に注目すると、外向けの顔しか出てこない「グランド・ホテル」よりも、ロバート・アルトマンが監督した群衆劇、特に「ナッシュビル」や「ゴスフォード・パーク」に似ているといっていいでしょう」

 ううむ。藤原氏はルックスもキレイなおじさんだし、新聞のコラムも面白いので、嫌いじゃないけれど、これはちょっと、、、。『ゴスフォード・パーク』を引き合いに出すのは、違うんじゃないか?

 『ゴスフォード・パーク』は、一見複雑な群像劇でありながら、実は、ああ見えて、きちんと骨格となるサスペンスのメインストーリーがあるわけで。しかも、作品として、本作とは比べようもないくらい毒性が強い。一度見ると中毒症状になるほど濃密な毒が仕込まれている秀作です。

 本作が、『ゴスフォード・パーク』的なものを目指して撮られたとは、ちょっと思えないのですよね。もっと、達観したというか、引いて見ている感じがします。

 歴史上の大事件を背景に、市井の人々の営みを淡々と描くことで、歴史とは、人々の営みの積み重ねによるものだということを描きたかったんじゃないのかな、と。その人にとっては、歴史の大事件よりも遙かに大事件な出来事。でも、歴史から見れば取るに足りない出来事。でもでも、それらの取るに足りない出来事が星の数ほど集まって堆積していくと、揺るぎない歴史になっていく、、、みたいな、大河的思想が根底にあるんじゃないか、と感じます。

 なので、アルトマンと、本作の監督ダニス・タノヴィッチがフォーカスしたかったものはゼンゼン違うと思うのよ。

 藤原氏の前掲の文章には、以下の文章が続きます。

「(中略)「ゴスフォード・パーク」はイギリスの貴族社会を裏から捉える試みでした。それで言えば、この「サラエヴォの銃声」はホテル・ヨーロッパのなかにサラエボ、ボスニア、さらにヨーロッパ全体という三つの空間を押し込めた寓話として見ることができると思います」

 ……なるほどね、そういう見方もあるのね。でも、私は同意できないな。ま、藤原氏の見方が正しいのかも知れないけど。これ、寓話、、、か???

 しかし、暗殺犯が、テロリストか英雄か、って、、、。どこでもやっているのね、何十年経っても。

 

 





隣席の女性は、最初から最後まで爆睡されていました。




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