映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

女の一生(2016年)

2018-02-05 | 【お】



 19世紀後半のフランス北部ノルマンディーに暮らす、男爵家の一人娘ジャンヌ。修道院から帰ってきたばかりの世間知らず箱入り娘が、よりにもよって女癖がめっぽう悪い、落ちぶれ子爵家の息子を婿にとって結婚することになったことで、人生が一転、彼女の思いがけない方にばかり転がっていく、、、。嗚呼。

 原作はあの有名なモーパッサンの「女の一生」。原題を直訳すると、「ある人生」とかそんな感じらしい。
   
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 終映ギリギリになってようやく見に行ってまいりました。雪が積もる積もると天気予報に脅されていたけれど、1日の夜、映画の日だからか、岩波ホールも思ったよりは人が入っておりました。


◆女だけじゃなく、男も生きにくそうなこの時代。

 共和制の社会になったとはいえ、まだまだ旧い貴族社会の陰を大いに引きずっている時代にあって、女性が自立するだのなんてことは想像だにできないわけで(というか、男性もなかなか生きにくそう)、女の一生はまさしく“結婚次第”だったというのが、ある意味怖ろしいほど切実に伝わってくる映画。この時代の貴族の話というと、お国は違うけれどTVドラマ「ダウントン・アビー」とかもそう。誰と結婚するかで、人生ほぼ決まっちゃう。ああ~、ヤだヤだ。100年前に生まれていなくてホントに良かった。

 で、ジャンヌは子爵ジュリアンと結婚するんだが、ジュリアンは子爵とは言え没落貴族なので財産も資産も何にもナシ男クン。あるのは性欲だけ、、、かどうかは知らんが、ジャンヌと結婚する前から、ジャンヌの侍女ロザリと関係を持っていたというトンデモ野郎。……まあ、でも、この時代の元貴族なんて、そういうことも珍しくなさそうだけどね。ロザリとの不貞が露見し、涙ながらにジャンヌに許しを請うジュリアンは、その後再び、近所の伯爵夫人とW不倫。懲りないヤツ。伯爵に見つかりあっけなく殺される。

 ただ、このジュリアンとの結婚までのいきさつがちょっと意外だった。この時代なら、親が決めた相手と結婚するもの、みたいな感じかと思っていたら、ジャンヌの両親は、「ジュリアンをどう思うか」とジャンヌに何度も問い質すのよね。娘の気持ちが一番大事だ、って。そして、ジャンヌは「私はとっても気に入ったわ!」と答えた。

 ジュリアンにしてみれば財産狙いの結婚だから、男爵家に入り込めればそれで良かったんだろうけれど、、、。

 ジュリアンにとって、ジャンヌはあんまり、、、というかゼンゼン魅力的な女性じゃなかったんだろうな、と思う。今で言うところの、タイプがまるで違う2人、ってやつ。欲深で吝嗇で自己中で女好きのアウトドア系男からしてみれば、大人しくて受け身過ぎるインドア系ジャンヌは、反応がつまらないし食い足りない感じだったんじゃないかな。……とはいえ、ああいう男は、どんな女が妻になっても浮気するから、ジャンヌはあんな男と結婚してしまった時点で苦労を背負い込んだも同然なわけ。

 若くして未亡人になったジャンヌは、ジュリアンの忘れ形見ポールを溺愛。しかし、ポールはジュリアンを遙かに超えるトンデモ野郎に成長し、遂には男爵家の財産を食い潰す、まさに穀潰し息子に。

 嗚呼、自分の生き方を自分で決められないなんて、、、。悲惨。


◆報われないジャンヌの一生。

 本来なら、ジャンヌみたいな女性は、私は嫌いで、こきおろすパターンなのだけれど、本作に関してはそういう感想は持たなかった。例えば『ボヴァリー夫人』のエマが悲惨な人生を歩むことになるのは、エマが頭悪すぎで自業自得だ、とか思うわけだけど、本作におけるジャンヌに対しては、そんな風に思えない。

 ジャンヌを好きとは言えないけれども、嫌いとも言い切れない。何かこう、時代の犠牲になった感じを受けたというか。ジャンヌは性根の悪い人間ではないし、頭が悪いとも感じなかった。それは、ポールが幼いときに寄宿学校で問題を起こした際の、ジャンヌと彼女の父親(ポールの祖父)とのやりとりを見ていれば分かる。ジャンヌは、ポールが寄宿学校には合わないことを見抜いており、違う環境を用意してやればポールにも違った人生が開けることを分かっている。しかし、古い考え(厳しい環境で勉強させなければいけない)に凝り固まっている父親を論破するだけのパワーがないのだ。彼女なりに精一杯の反論をしているのだが、父親を言い負かすことはできない。

 これは、この時代の背景があると言っても良いだろう。例え我が子の問題であっても、我が子にとっては祖父である父親の意見を無視することが出来ないのだ。そうして自分の気持ちは押し殺す。

 だいたい、ジャンヌは、ジュリアンとロザリの不貞が露見したとき、離婚を望んでいたのに、ジュリアンの嘘泣きにほだされた神父と実母にジュリアンを許すよう説得されて、泣く泣く、再構築をせざるを得なかったのだ。ここでもジャンヌは自分の気持ちを押し殺すしかなかった。それに、この神父の後任で来た若い神父は、ジュリアンが伯爵夫人との不貞を知った際、それを伯爵に知らせろと執拗に迫る。ジャンヌが「伯爵の心情を思うと到底出来ない」と拒絶しても、「神の思し召しだ」とか何とか、ものすごい強引。それでも出来ないというジャンヌに、しまいには逆ギレ。ジャンヌがこうしたい、ということにはそうするなと言い、そうはしたくない、ということには、そうしろと強迫する。これのどこが神の思し召しぢゃ!!

 こうやって、自分の気持ちを押し殺すことばかりを強いられるジャンヌは、やっぱり気の毒以外の何ものでもない。ジュリアンとの結婚については「娘の気持ちが大事」などと言っていたのにねぇ、、、。思えば、この両親、ちょっと不思議なんだよね。あんまりこの夫婦の間に情が感じられないというか。父親は農作業にばかり精を出し、母親はどこか夢見がちで。やや浮世離れした感のある夫婦とでもいうか、、、。そう感じる理由は後になって分かるんだけれども、、、。ジャンヌにとって、夫婦のステレオタイプが両親だとすると、まあ、ジュリアンとああなっても仕方がないか、という気もする。

 いずれにしてもジャンヌは、自分の気持ちに正直に動けば裏目に出て、自分の気持ちを押し殺しても事態は悪化する。報われなさ過ぎる、、、。だから、彼女をこき下ろす気になど到底なれないのである。


◆スタンダードサイズの画面が息苦しい、、、。

 ところで、本作は画面がスタンダードサイズで、非常に狭苦しく感じる。多分、このサイズでありながら、アップのシーンや長回しが多いことが余計に狭苦しさを感じるのだと思うけれども、このサイズが案外、良い効果を発揮しているように感じた。

 月並みだけれども、この狭苦しさが、そのままジャンヌの抑圧された息苦しさをストレートに現しているからだと思う。監督自身は、「ジャンヌの住むごく狭い世界をあらわしている。硬く、そして逃れることができない箱(彼女自身の人生)のように」と言っているが、私には、狭いというより、苦しいという感じがした。

 また、構成は時系列が入り乱れていて、セリフの途中や、シーンの途中で、バサッと画面が転換することが多い。普通はこういう手法を使うと、ものすごく見にくくて分かりにくくなりそうなもんだが、本作はそういうことがゼンゼンない。八方塞がりの現在のジャンヌが、ふと束の間の過去の幸せな時間に思いを馳せ、画面が明るくなる。その逆もあり。とにかく、その画面転換が分かりにくいどころか、実に効果的であると思う。

 ただ、ジャンヌの実母が亡くなった後に、男女のラブレターのやり取りが朗読形式で展開するんだけど、ここが、私は、ジュリアンと伯爵夫人の不倫のやりとりかと勘違いしてしまった。終盤に実母の名前が分かって??となり、後でパンフを読んで、そのラブレターが、若かりし頃の実母と不倫相手とのやりとりだったと分かったのだけれど、、、。強いて言えば、ここくらいかな、分かりにくかったのは。それにしても、母親はかつて父親以外に愛した人がいた、、、と知ったジャンヌの気持ちはいかばかりか。

 特筆すべきは、風景の美しさと音楽。北部地方というだけあって、寒い時期の風景は心重たくなる灰色だし、春から夏にかけては、一転明るくなり、海は青く、草花も生命力に溢れる。この対比がまた、見ていて心が痛くなる。音楽は、ピアノフォルテ(ピアノの原型)を使用した、ちょっと金属質な感じの音がジャンヌの心情を表わす。やっぱり、映画には良い音楽が大事だと感じた次第。


◆その他もろもろ

 本作のステファヌ・ブリゼ監督の作品は、『母の身終い』以来2作目で、『母の身終い』もなかなかヒリヒリする良い作品だったので、その次の『ティエリー・トグルドーの憂鬱』が公開されると知ったときも、見に行こうかと思ったんだけど、主演がヴァンサン・ランドンと知って一気に萎えたというか、、、。『母の身終い』で見たヴァンサン・ランドンがどうにもこうにもダメで、、、。でも、本作もなかなか良かったから、ブリゼ監督作品、見てみようかしらん。

 ジャンヌを演じたジュディット・シュムラは、ちょっと奥目過ぎて老けて見える顔だけれど、横顔がとても美しい。17歳から50歳近くまでを演じたわけだけど、特殊メークなどもしていないであろう、どの年代も違和感なく、素晴らしい。

 設定上、イケメンというジュリアンだけれど、私の目にはイケメンに見えなかった! いえ、醜男ではもちろんないけれども、イケメン、、、かぁ? まあ、好みの問題か。

 ジャンヌの両親を演じていたのはジャン=ピエール・ダルッサンとヨランド・モロー。何となく噛み合わない感じの夫婦を好演していた。

 ラストシーンのロザリのセリフが、ある意味、本作の真意を表わしているのかも。「人生は皆がいうほど、良いものでも悪いものでもないんですね」






ロザリが連れ帰った赤ちゃんは本当にポールの子なのでしょーか??




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