映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

グランドピアノ 狙われた黒鍵(2013年)

2014-03-28 | 【く】

★★★☆☆☆☆☆☆☆

 今年1月のN響の定演で、モーツァルトのピアノ協奏曲20番が演奏されたのだけれど、何と、これが本番中に「止まった」んである! これまで何度も演奏会には足を運んだけれども、演奏が「止まった」その瞬間に立ち会ったのは、まさに初体験であった。ソリストは、ブッフビンダーで、まあ、巨匠といって良い名手なのに、である!! 変拍子の嵐みたいな近現代曲ではなく、モーツァルトなのに、である!!!

(ちなみに、指揮はファビオ・ルイージでありました。止まった経緯は、1楽章のカデンツァに向かって突如ソリストが走ってしまい、半拍ほどオケとピアノがずれたようで、指揮者は必死でリカバリーしようとしておりましたが、収拾がつかなくなったと判断したのか、おそらく「コンマスが止めた」様に見えました。真相は分かりません。でもって、止まった後、指揮者が小節番号を一言指示し、極めて整然と演奏は再開され、この間わずかに、2~4秒ほどの出来事でございました。あまりの鮮やかなリカバリーぶりにむしろ感動しました、、、。当たり前だけど、さすが、プロ。嘆息)

 さて、本作である。アイディアは良いと思う。本番中、超難曲の演奏中1音でもミスったら射殺すると脅迫されるという・・・。が、しかし、イライジャ・ウッド演じるところの主人公トムは、本番中に楽屋へ戻るわ、ケータイでメールを送るわ、と「えええーっ!?」な描写が続く。こ、これは、ちょっとどーなの?

 でもまぁ、そこは映画なので百歩譲って目を瞑ったとしても、やっぱり、もうちょっと脚本段階で考えてほしかったのは、トムが楽譜に書かれた脅迫文に従い楽屋に戻り、トムの荷物に入れられたイヤホンを耳にはめ、ステージに戻って、そこから聞こえる脅迫者の声と「ピアノを弾きながら」対話してしまうという展開。演奏しながら、脅迫者と対話するのは、おそらく不可能。そんな無茶苦茶な展開にしなくても、本番中に恐怖のどん底にソリストを陥れる方法はあったと思うのだよ。本作中でもあったように、レーザーを手や鍵盤に当てるという、あれをもっと上手く使えば可能だったんではないかなぁ。

 プログラムには、こういう「ありえなさ」は、現在のクラシック界に対する批判でもある、というような解説を書いている人がいたけれど、それはちょっと違うだろうと思う。多分、この脚本家も監督も、ただただ「本番中に1音でもミスったら射殺するという脅迫に晒されたピアニスト」という設定と画的なセンスを追求しただけだと思う。そういう作りだよ、これは。だから、確かに、映像は、面白いものが結構あったもの。オープニングなんか、ちょっと期待させられちゃったよ。

 ・・・とまぁ、正直、宣伝文句につられて見に行って、かなり拍子抜けさせられた作品であった。そもそも、重要なファクターのはずの恩師パトリック・ゴーダルーとトムとの関係がイマイチよく分からないのは脚本の作りが雑というほかない。トドメは、何で、脅迫者がこんなことしたのかっていう理由が、ただの「金目当て」。ううむ。通俗すぎる。思わせぶりなラストも、もはや、笑うしかないじゃないのさ。こんなメンドクサイことしなくても、金を手に入れる方法はあったでしょ、と言いたくなる。ベーゼンドルファーが泣くよ、これじゃ。

 この脚本家と監督には、音楽をナメるな、と言ってやりたい。そんなゲームみたいな感覚でできる所業じゃないんだゼ、音楽は。

 ま、映像の面白さと、あと、オリジナルであろう音楽は、それこそチープで通俗そのものだったけど、劇場の素晴らしい音響効果で圧倒的だったので、そこに★プラス1個ということで。

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