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「壺石文」 下 27 (旧)三月朔日~、三日、四日~

(御前崎エクパークのハマボウ/7月31日撮影)

午後、駿河古文書会にて、静岡へ行く。暑い中、前回故障だった冷房がまだ直っていなかった。館内の冷気を2台の扇風機で吹き入れて何とかしのぐ。

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「壺石文 下」の解読を続ける。

弥生つきたち(朔日)、ていけ(天気)よし。こゝより五里ばかり北東の方、燕沢という所に古碑(フルキイシブミ)ありと聞きて、行きて摺りて見るに、
※ 弥生(やよい)- 陰暦三月の異名。


(三行解読不能、原文写真)

とあり。弘安は後宇多の帝の御代なり。日本紀に、弘安四年六月四日、元兵大宰府を侵す。十三日、大破、元兵殺獲、千余人云々とありき。その頃、この燕沢村の善応寺の住僧祖元禅師は、もと、唐人なりければ、かの蒙古の賊(ヌスビト)らが滅び失せし事を聞きて、その亡魂(ナキタマ)どもを祀りて、来るつ年(翌年)の秋ばかり、立てたる石文なりとぞ云うなる。

近き頃、塩釡の神主、藤塚ノ式部と云いし人、こを注釈したる「燕沢古碑考」と云う書あり。あわれ、五百四十年余の昔も思い出ださくになん。
※ 出ださく(いださく)- 出すこと。

三日、童(わらわ)どもを案内(あない)に誘いて、宮城野の木ノ下薬師に詣でて、白山の神事(かみわざ)を見る。(らち)も結(ゆ)ざる芝生を馬場(うまば)にて、馬乗り、弓射るさま、いと/\、おどろ/\し。ひねもすに雨降り、肌寒かりければ、おさ/\人少ななりけるを、夕かけて晴れぬるげにや、果てぬる頃おいには物見多かり。
※ 木ノ下薬師(きのしたやくし)- 仙台市若林区木ノ下の陸奥国分寺薬師堂。伊達政宗公の命により再建された陸奥国分寺の金堂。
※ 埒を結う(らちをゆう)- 馬場の周囲の囲いを巡らす。
※ おさおさ - ほとんど。まったく。
※ 人少ななり(ひとずくななり)- 人数が少ない。
※ 頃おい(ころおい)- ころ。その時分。


   夕かけて 雨止みぬれば 宮城野の
        木の下人は 露に増されり


四日、今日も詣でて見るに、狩衣(かりぎぬ)姿にて神主だちたる男(をのこ)六、七人、厳めしう鎧(よろ)うたる武者法師六人、錦の袈裟掛けたる丸頭(まろがしら)廿ばかり、並み立ちて、御堂の簀の子を行道するさまなん、おかしき見物なりける。
※ 武者法師(むしゃほうし)- 法師武者。僧形の武士。僧兵。
※ 行道(ぎょうどう)- 仏の周囲を右まわりに巡って仏を敬礼供養する作法。


読書:「秋霧」大倉崇裕 著
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