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徳川家達御着城の御触れ - 駿河古文書会

(秋と夏の空が同居)

先週金曜日、駿河古文書会の続きである。

慶応4年(後に明治元年)4月、江戸城無血開城の後、5月に徳川家の家督を継いだ徳川家達に、駿河城主70万石が下賜され、その8月9日に家達は家臣を引き連れて江戸を出立、15日には駿河へ到着している。以下の文書は受入側の駿府での大騒動の様子がうかがえる触れ書き類である。

来る十五日、着御あらさせられ候節は、御多人数に付、市中近辺寺院とも御宿割(やどわり)致し候えども、行届き兼ね候に付、御城内御役人様、別段仰せ渡され候は、もはや余日もこれ無く差し支えこれ有り候ては、相済みがたく候、これにより在方寺院外、村方へも御宿割致すべき旨、仰せ渡され、この段相触れ申し候、以上
 辰八月十一日       町会所
※ 着御(ちゃくぎょ)- 天皇や貴人を敬って、その到着・着座をいう語。

急廻状を以って御意を得候、しかるは当十五日御着城あらさせられ候については、御人数多くに付、市中近辺御宿割いたし候のみにては、何分行届き兼ね候に付、その御筋より御沙汰御座候間、別紙町会所添書の通り、もはや余日もこれ無く、御差し支えに相成り候ては、相成りがたく候義に付、村々寺院または農家にても、御宿御触れ当てに相成り候に付、明十二日、寺院並び農家とも、銘々間数相調べ早々申し出候様、取り計らうべき旨、仰せ渡し候間、則ち町会所、別紙相添え、この段取り急ぎ達し申し上げ候、早々御取り調べ、明十二日七つ時までに相違なく、私共方へ調書御持参成らるべく候、且つこの廻状昼夜とも御順達、留り村より私共方へ御返却成らるべく候、以上
 辰八月十一日      (廻状元として郷宿5軒の名前が並ぶ)
             (廻状先として9つの村名が並ぶ)
              右村々御役人中

     覚え
上様来る九日江戸表御発途、十五日当府へ御着城在らせられ候旨、江戸表より御達し有り候間、右の趣、相心得べきものなり
 辰八月十二日
  府中御役所
 
    添え書き
御触れ書御渡し遊ばされ候間、承知の旨、宿村請印致され、刻付けを以って早々順達留り村より駿府町会所へ御返却成らるべく候、以上
 辰八月十二日
   駿府 町年寄

なお以って、この御触れ書留り村より最寄宿方へ差出し、宿継ぎを以って早々御返却成らるべく候、請印帳にこれ書き有り、御触れ書き拝見の上、別紙帳面へ請印成らるべく候事、継ぎ送り方より順ならざる義、これ有るべく候間、利宜しきを弁え、村方へ御継ぎ送り成られ、村名など付け落ち候わば、最寄より御返し下さるべく候、以上
 辰八月十二日
       村役
         安部郡村々
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