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阿片煙草御制禁の布告 - 駿河古文書会

(夕方、西の空の入道雲、ムサシの散歩を急いだが、雨になるような雲ではなかった)

先週の金曜日、故郷を朝9時前に出て、何とか靜岡で夕方5時より開かれる駿河古文書会へ出席するために、高速道路を昼食もおにぎりとサンドイッチで済ませながら、金谷まで戻って来た。家まで帰らずに金谷駅から電車に乗り、いつも通りのコースで会場まで余裕でたどり着けた。

今日の課題は先週に続いて、「御触面書留帳」よりの文書である。最初に読んだ文書は明治新政府から慶応4年7月4日出された阿片煙草御制禁の布告である。

  御布告写し
阿片煙草は人の精気を耗(こう)じ命数を縮め候品に付、かねて御條約面にこれ有り候の通り、外国人持ち渡る事、厳禁の(ところ、近頃ひそかに舶載の)聞こえこれ有り、万一世上に流布致し候ては生民の大害に候間、売買の儀はもちろん一己に呑み用い候儀、決して相成らず候、もし御制禁相犯し、他より顕るゝにおいては、厳科に処せらるべく候間、心得違いこれ無き様、末々に至るまで堅く相守るべきものなり
※ 生民(せいみん)- たみ。人民。国民。
※ 一己(いっこ)- 自分一人。自分だけ。


右御達し書き(を)、府藩県一同、高札に掲示いたすべき様、仰せ出だされ候事
右の通り御触れこれ有り候間、村々その旨相心得申すべく候、以上
 七月四日             浜通り村々
  宮ヶ崎役所           浅畑村まで


慶応4年というのは微妙な時代で、1月に戊辰戦争が始まり、すぐに新政府が立ち上がる。4月には江戸城無血開城が行なわれ、9月8日に明治と改元される。新政府からは早くから様々な文書が出ている。この布告は民衆に知らしめるために高札にして出すように指示している。高札に出すあたり、まだ江戸時代からのやり方を変えていない。

文章は型にはまって読みやすい江戸の文書と違って、新政府には国学の士が多いだけに、文章に見慣れぬ漢語が多く、民衆たちは戸惑うと同時に、新しい風を感じたであろう。「府藩県一同」となっているのは、廃藩置県が完了したのは明治四年で、この時点では西日本では早くも府や県が出来ていたが、東日本ではまだ追いついておらず、府県と藩が混在する状況がしばらく続いたためである。

新政府には、阿片戦争のことが頭にあって、戊辰戦争がまだ終結していないこの段階で、その禁制の布告を出したのであろう。布告文書は布告を出した側の控え(ほとんどが研究者の手で解読されて本になっている)と、この文書のように受けた側の控えの両方が残っている。手書きで写しているから、両者に写し間違いが多く見受けられる。この文書でも下線を引いた青文字部分が抜けていた。
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