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「文久元年記録帳」を読む 11


裏の畑のアジサイ「隅田の花火」
今年も一回り大きくなって沢山の花を付けた

「文久元年記録帳」の解読を続ける。

廿四日より大風に相成り、浪立つにて、船浜上り致す。
市三、次三、三右衛門、締め三艘うけ、船金五両弐分にて受ける。
初日四十弐人、二日目四十人、三日目十人、締めて九拾弐人。
壱人四百三文に相成る。外に世話賃弐百六十七文取る。
二日目、大次郎船出帆手伝い、銭割り合いにて、百文入る。
締めて壱貫五百七十六文取る。

八月二日髪○。京才様、薬ばかり壱服。
おべん、酉十一月十一日出生致し、戌八月三日死す。
日数締めて、凡そ八ヶ月と廿二日ばかり。
八月十日髪○、十四日同○、廿二日髪○、
廿八日髪○、閏八月五日同○。四日、市三郎の処、忰
寿助、行年廿五才に死す。麻疹(はしか)のあとに天にて、極(ごく)、立(た)ち悪し様子。
近来稀(まれ)なる麻疹流行(はや)り、諸国一統、残りなく致す。
七月二日よりはつ致す。六日目より八日目出揃い、十一日目、または
※ 出揃(でそろい)➜ 発疹が出揃うこと。
立ちにより、十三日目、佳(よ)きにて、湯をかけ申し候。また十四日より、松五郎
おやすおたけおべんの四人、一時(いちどき)に致す。この内、おべんばかり
少し立ち悪し。八月三日死す。その後また世間一同、
一時(いちどき)(中時分より閏八月)ころび流行(はや)り。
※ ころび ➜ ころりとも呼ばれた、コレラの流行。一八五八年五月に長崎に入港した米国船から発生。七月には江戸へ侵入した。

(つづく)

読書:「闇の目 下っ引夏兵衛捕物控 1」 鈴木英治 著

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