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再びの巨木巡礼余話 5 本願のマツ


大徳山称名院正定寺

10月8日、最後に巡ったのは、藤枝市藤枝二丁目、正定寺(しょうじょうじ)にある「本願のマツ」である。大慶寺を出て、旧東海道藤枝宿の往還を西へ進み、瀬戸川を渡る手前、右手に正定寺はある。おおよそこの辺りと見当は付いたが、お寺の周りには事業所や民家などが密集していて、お寺へ入る道が分からない。ぐるりと一回りして、ようやく往還から入る細間を見付けた。



正定寺は浄土宗のお寺で、本山は京都の知恩院という。「本願の松」は境内の右手に、傘を広げたように枝を伸ばしていた。何本もの間伐材の細い丸太に枝を支えられ、本堂の反対側、半回りほどが低い竹垣で囲われていた。こんな形に松を維持するためには、年々手入れを欠かさないようにしなければならないのだろうと思った。


本願の松(別名「延命の松」)

「本願の松」の謂れが石碑に刻まれていた。

江戸時代の享保十五年(1730)に、田中城主土岐丹後守頼稔が植えたと伝えられている。丹後守は境内の弁天堂に祭られている弁財天の信仰が篤く、大坂城代に登用されるに当り、報恩謝徳のために植えたといわれ、別名を「延命の松」という。弁天堂は老朽のため明治四十五年に解体され、昭和四十七年に再建された。

江戸時代の初期、正定寺はこの弁財天を祀るようになって、街道を上下する旅人も弁天様の御利益を求めて立寄るようになり、門前には花屋、茶屋が並び、通称弁天町と呼ばれ、弁天様のおかげで寺は栄えたという。


「本願の松」の傘の中
主幹は想像したより太く見えた

目通り3メートル、樹高6メートル、枝張東西11メートル50センチ、南北 14メートル、樹齢300年。昭和61年10月6日指定、藤枝市の天然記念物である。ただ、巨木には認定できないので、余禄として載せる。

本日の「再びの巨木巡礼」はこれまでとして、帰路につく。コロナも治まりを見せて、関係する各講座が再開し、気忙しくなってきた。今までのように度々は、巨木巡礼にも出かけられなくなるだろうと思う

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午前中、区の防災訓練について、防災会議。午後、参議院補欠選挙の投票へ行く。その後、女房と「再びの巨木巡礼」(第10回)で、少し巡る。

読書:「伴天連の呪い 道連れ彦輔2」 逢坂剛 著
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