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駿台雑話壱 9 異説まち/\(一).

(大代川のカモ)

女房と息子は名古屋へ行き、今日はムサシとお留守番である。ムサシは借りて来た猫のように静かである。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  異説まち/\
ある日、翁が病を問うとて、人々来たりしを、翁も、徒然にこそ侍れ、今日はしばし、といえば、さらば侍坐(つこうまつ)らんとて、日を暮らし語りあいし程に、当代異説の事に及べり。
※ 徒然(つれづれ)- することがなくて退屈なこと。手持ちぶさた。
※ 侍坐(じざ)- 主人・客など上位の人に従ってそばに座ること。
※ 日を暮らし - 一日中。


座中一人、翁にむかいて、ただ今、西京、東都において、世に鳴って人を率る儒者の説を承り候に、或は我国の道とて、神道を雑(まじ)えて説くもあり〔山崎闇齋等の流〕、或は陽明が学とて、良知を主として説くもあり〔中江藤樹・熊澤蕃山の流〕、或は古えの学とて、新義を造りて説くもあり〔伊藤仁齋等の流〕紛々異同の説、まち/\なり。いづれを是とし、何れを非とせん。翁の心において、いかが思い給えるにや。
※ 西京、東都 - 京と江戸。
※ 鳴る(なる)- 名声などが、広く世間に知れわたる。
※ 紛々(ふんぷん)- 入り乱れてまとまりのないさま。
※ 異同(いどう)- 異なっているところ。相異。違い。


翁聞いて、当代門戸を立てゝ異説を唱うるもの、大様(おおよう)今申さるゝ三流と聞こえ侍る。これらの説を立てる人々、さこそ所見あるにて侍るべし。もし翁が古えに聞くところをもて言わば、いづれもさには侍らず。それ、道はそれに出(いで)一原なるものなり。その一原のところをさえ悟りぬれば、わが国の道とて、人の国にかわるべからず。
※ 門戸(もんこ)- 自分の流儀。自分の一派。
※ 一原(いちげん)-(「原」は「源」と通用)一つのみなもと。


良知の説とて窮理にはなるべからず。鄒魯の学とて濂洛に違(たが)うべからず。然るにこれを知るは聖賢の書にあり。聖賢の書は読み易からず。されば、を遜(へりくだり)て、詳しく読まずしては、その意を得る事なし。
※ 良知(りょうち)-(「孟子」の説から)人が生まれながらにもっている、是非・善悪を誤らない正しい知恵。
※ 窮理(きゅうり)- 朱子学における学問修養の中心課題の一。広く事物の道理をきわめ、正確な知識を獲得することで、そのために読書をすすめた。
※ 鄒魯の学(すうろのがく)-(孟子が鄒の人、孔子が魯の人であるところから)孔孟の学。儒学。
※ 濂洛(れんらく)- 濂洛関閩の学。周敦頤・程・程頤・張載・朱熹の唱えた宋学。周敦頤が濂渓(湖南)、程・程頤が洛陽(河南)、張載が関中(陝西)、朱熹が閩(福建)の人であったことからいう。
※ 聖賢(せいけん)- 聖人と賢人。また、知識・人格にすぐれた人物。
※ 志(こころざし)- 心に思い決めた目的や目標。

(この項続く)
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