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峡中紀行中 3 九月十二日、祖母石の駅を過ぐ

(庭のシランの花)

朝、防波堤からの釣りに出掛けた、かなくん一家、釣果は無かったが、焼津で小振りのアジ10尾(700円)を買って戻った。人生ほとんど初めて、アジを三枚に下ろした。我流でも10尾下ろし終る頃にはコツがつかめた。20切れのアジは夜に天ぷらとフライになった。カナくんがフライをパクパクと食べた。

荻生徂徠著の「峡中紀行 中」の解読を続ける。

入口より出るに、一僧、年二十(歳)ばかり、拱立して以って竢(ま)つ。蓋し住持僧なり。庵は龕右平地の上に在り。粛然たる数楹(はしら)、相邀(むか)えて、庵に至り茶を進めんと欲す。前途を慮(おもんばか)る故に往かず。
※ 拱立(きょうりつ)- 何もしないで立つ。腕を組んで立つ。
※ 住持僧(じゅうじそう)- 寺の住職。
※ 粛然(しゅくぜん)- 静まりかえっているさま。
※ 粛然たる数楹 - さびれた僅か数柱の小さな庵。


行々語り門を出づ。云う、この龕、八百年前、鬼神有り。一夜、崖を鑿(うが)てり。以って大士(観音)の像を奉ず。洞は昔年、士女進香の路なり。時世替革、後村人の烟り漸く繁く、官站驛を置きて、洞前の地、犁(すき)して耕地と為す。故に今迺(すなわ)ち反って間道と為るのみ。癸未の冬、地震の時の事を問う。則ち、龕洞つつがなきのみならず、庵所も連(すべ)て、また怙然たりと。遂に別る。
※ 替革(たいかく)- 替り改まること。
※ 站驛(せんたん)- 宿駅。
※ 癸未の冬、地震 - 元禄十六年の冬。元禄16年(1703)11月23日午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震があった。元禄大地震と呼ばれ、マグニチュード7.9-8.2と推定される。
※ 怙然(こぜん)- 頼みにたること。ここでは被害の無かったことを指す。


一家村を歴(へ)て、釜無河のを過ぎ。迤邐として北へ行く。風猶(なお)未だ已(や)まず。左白嶺の上を眺(みれ)ば、雲湧き出で、甑(こしき)を蒸す烟りの如し。明日ある雨、柳沢訪古の便ならざるを憂うなり。土人迺(すなわ)ち謂う、尚、雨日隔てんと。
※ 灘(なだ)- 川端。
※ 迤邐(いり)- あちこち寄り。ゆっくり。
※ 訪古(ほうこ)- いにしえを訪う。

祖母石の駅に至りて云う。田中に石有り、老嫗立状(たちすがた)の如からんと。路の繇(したが)う所に非ず。故に覩(み)ざる。駅(宿)中に小逕(径)有リ。左に分る。韮崎よりこれに至りて官道に為り。これより小逕を取りて西行す。釜無河の身(胴中)を渉り、桐沢に由(より)て沢に入る。
※ 老嫗(ろうう)- お婆さん。

石磧、縦横半里許り、後ろの西森を顧れば、則ち後主の営を移す処、俗に謂う所の新府なり。遙かに長崖数里を見る。崖皆な懸垂して條を成す。矗然として数万の柱、湊成するものの状(かたち)の如し。その石飛落する処、往々嵌空、殊に壮麗を為す。
※ 石磧(せきせき)- 石の河原。
※ 後主(こうしゅ)- 武田勝頼のこと。勝頼は、織田・徳川連合軍の侵攻に備え、より堅固な韮崎の地に新府城を築城した。
※ 矗然(ちくぜん)- まっすぐなさま。
※ 湊成(そうせい)- 一つに集めること。集まること。
※ 嵌空(かんくう)- ほら穴。
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