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「水濃徃方」の解読 74


(庭のサフランモドキ )

午後、座敷で、ゆっくりと昼寝がてら、時代小説を読んでいた。今の季節暑くもなく、気持ちのよい気候で、一冊読んでしまった。

昨日、今日と庭に植木屋さんが入った。植木屋さんもかなり高齢だが、身のこなしがすごいと、女房が驚いていた。ワクチンは一回目を打ち、二回目を待っている所だと聞いた。

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「水濃徃方」の解読を続ける。

   亀山丈人(きさんじょうじん)大福帳説
大福とは福分(ふくぶん)の至りて大きなるを申し侍(はべ)るなり。福分という事をば、世の人多くは、金銀を貯えたる人をのみ云うと思える事、愚かなる事なり。福はなり。倆とは百順の名なりと云いて、家の内にあり。ある人、上は親子、娵舅(よめしゅうと)、兄弟、下は召し仕う男女までも、節だちたる事なく、思い合いて、睦ましきを、和順とも和睦とも云いて、福分の、至って大きなる事にて侍り。
※ 大福(だいふく)➜大きな福運。非常に富んで運のよいこと。
※ 福分(ふくぶん)➜ 運のよい生まれつき。好運。
※ 倆(りょう)➜ わざ。うでまえ。
※ 百順(ひゃくじゅん)➜ 何でも人に従うこと。
※ 節立つ(ふしだつ)➜ ふしくれだつ。ことばや表現が、とげとげしく、なめらかでない。
※ 和順(わじゅん)➜  気質が穏やかであること。

かくの如くなる家は、おのずから繁昌して、金銀、米銭も乏(とも)しからず、出で来たる理(ことわ)りなれば、誤りて金銀持ちたる人をのみ、福分の人と称し来たれるなり。たとえ金銀は、蔵に満つるばかり多くとも、父子、兄弟、睦まじからず、召し仕う者、常に恨(うら)みを含まんは、金銀却って、不祥(ふしょう)のものとなりて、終には家をも身をも亡ぼしなん。子弟たらん者、この志(こころざし)をよく存知せしめて、僮僕(どうぼく)に情をかけ、よく人の面倒を見届け遣わすべし。
※ 不祥(ふしょう)➜ 不吉であること。また、そのさま。
※ 僮僕(どうぼく)➜ 少年の召使い。男の子のしもべ。
(「水濃徃方」つづく)

読書:「投げ文 知らぬが半兵衛手控帖 2」 藤井邦夫 著
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