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茶価は正当に決められているか その2

(庭のムスカリ)

お茶とみかんの何が違うのか。そんな疑問符に終って二週間近く経った。続きはすぐに書くつもりでいたが、理論展開に少し揺らぎがあって、この二週間にこの問題について何人かの人と話してみた。自分の意見をぶっつけてみると、少し乱暴な展開をしていることにも気付いた。自分の考えも少し進化させて、改めて、疑問符を投げかけるところから話を始める。

お茶とみかんの何が違うのか。

最も大きな違いはお茶は一次加工をした荒茶の段階まで進めて置くと、保存が長期に出来る点である。ミカンであれば冷凍をして何ヶ月か保存は出来ても、保存の後に販売するのは “冷凍ミカン” であって、生のミカンはそれほど保存はきかない。一方、お茶は窒素を封入して低温で冷蔵すれば、1年経っても2年経っても品質はほとんど変らないと言われている。そこまで冷蔵保存技術が確立している。

だから、在庫に残っても、問屋側は安売りして処分する必要は全くない。新茶の時期に、生産者は問屋筋の在庫量を大変気にしている。お茶は決して産地間で競争しているわけではなく、自分たちが昨年以前に販売したお茶と販売競争を強いられている。昨年、安く取引したお茶が残っていると、問屋はその価格より高いお茶は中々買わない。行き場のないお茶は値を下げることで何とか販売しようとする。問屋は値が下がるのを待って買えばよいわけで、そのお茶が次年度に在庫になっても何も問題ないから、安くなれば需要の増減に関わらず取引が成立する。そのようなメカニズムでお茶の値は年々下がってきた。

1年で売り切らねばならないならば、需要が下がれば、問屋は決して余分に買うことは無く、売れなくなるお茶が出ることになっても、安い茶価が翌年以降の茶価に影響することにはならない。また売れなくなるお茶が出ることで、自然にお茶の生産は翌年以降調整される。

しかし安くなっても売れている以上は翌年に生産が調整されることはない。それどころか、茶価が安くなっても昨年の売上げを確保したいと思う生産者は増産して対応しようとさえしている。売上げは茶価×生産量で計算できるから、その一点で考えれば計算間違いではないが、増産した結果は翌年の茶価を下げる方向に確実に響いてくる。このような悪循環が茶業界で起きていて、茶価は年々下落して行く。お茶が安売りされることはないから、問屋側が一方的に利益を得る結果となる。

お茶の需要が下がって、問屋の売上も確実に下がっているが、利益は着実に上がっているから、問屋筋にほとんど危機感がない。生産者が需要拡大のために、生産者が問屋筋の消費者への働きかけをどれだけ期待しても、利益が着実に上がっている以上、問屋筋が本腰になることは期待できない。

いつからこんな状態になってしまったのだろう。続きは次回。
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