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筆文字の出来栄え

(題字を楷書で書いた)

「四国お遍路まんだら」の題字を毛筆で書こうと思った。一文字ずつゆっくり書けば何とか見られる字が書けるはずだと思った。三日ほどかかって、こんなものでよいかという字になった。上手い字は嫌味である。まずい字では格好が付かない。本当は年齢から滲み出る味のある字を書きたいと思ったが、それはまだ無理なようだ。それでようやくこんなものかと諦め半分に決めたのが写真の字である。一番難しかったのは四国という同じように□で囲われた2文字で、どうにも格好が取りづらくて何度書いてもいい字にならなかった。

学校の授業以外で先生に付いて習字を学んだのは小学校三、四年の頃だけである。自信の源泉はそこだけであった。小学校三年の担任の女先生が書道の先生で、その先生に課外で学んだ。もっともそこで学んだのは太筆による楷書だけで、行書、草書、細筆の使い方などを学ぶところまで行かなかった。

その後50数年、会社生活ではほとんど筆を使うことはなかった。年賀状を筆で書こうとしたこともあったが、うまい字が書けないまま、パソコンが発達して、その機会もなくなった。最近では慶弔用の袋書くらいで、上手に書けた例(ためし)がない。近所のお葬式で他に書き手がいなくて、細筆を持たされる役回りになって、筆ぺんを持って下手でも何でも限られた時間にたくさんの文字を書く機会が何度かあった。上手下手を度外視して思い切り書く度胸は出来たけれどもそれだけであった。

細筆の使い方、行書、草書の基本を知らないから、何度書いても一向に上手にならない。金谷宿大学で古文書を2年勉強して、読むことはかなりできるようになったから、今年は細筆で細かい字を書く勉強をしてみようかと思う。月2回で一年やってみれば少しは書けるようになれるだろうか。

故郷の亡くなった親父は書を良く書いた。戦後、40歳を過ぎてから習った書であった。性格をそのままに、きっちりした楷書だけであった。行書や草書は見たことがなかったから、学ばなかったのだろう。展覧会に出すような書ではなかったが、子供の目にも上手だと思った。晩年は老人施設の会合の案内看板などを頼まれてボランティアで良く書いていた。

親父から書について何かを教わったことは無かったが、画数の少ない我が家の名字を上手に見える書き方として、筆の第一着目を思い切って太く書く方法は、見様見真似で覚えて、今でも実践していて、中々効果的だと思っている。
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