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田子乃古道 3 阿字神社と六王子神社

(阿字神社里宮)

「田子乃古道」の解読を続ける。

見附宿の老若、厚く行い、悪霊も治まりたるは、正しくこの神子殿の事なりと云いて、あぢ(阿字)神とあがめ祭らんと議しむ。それより宮居を立つる。今のあぢ神これなり。残り六人を柏原にても、六の神子と名付け、これも同じく神子祭るなり。今有る六の神子これなり。駅路の鈴にもこの説をのせたり。誠に富士浅間の神力にて、悪霊蛇治まり、生贄の祭り止む。
※ 駅路の鈴 -「東海道駅路の鈴」大曽根佐兵衛著の東海道道中案内記。宝永六年(1709)刊

一昨日、息子を運転手に、吉原のゆかりの地を現地取材に行った。取材のメインは7人の神子が分け祭られたと伝わる、「あじ神」の阿字神社と「六の神子」の六王子神社である。平家越の碑と三股淵を写真に納めた後、阿字神社に行った。地図で調べて、カーナビに設定することで、それ程迷わずに目的地に行ける。便利な世の中になったものである。阿字神社は、田子の浦港を見下ろす「富士と港の見える公園」下に、里宮があった。小さな社であるが、しっかりしたコンクリート造りであった。

案内板を見ると、岡の上に本宮があるらしく書かれていたので、息子を駐車場に残して、周ってみようと、左手の岡に気を取られて歩き始めた途端、歩道の縁石に左足の親指をいやというほどぶつけて、前に倒れ、膝と手を付いた。やれ、怪我はなかったと、立ち上がり、歩き始めたところ、何やら左足の指の辺りがぬるりとする。後で息子に怒られたのだが、その日は素足のサンダル履きで、指が見えていたのであるが、親指の爪先からどくどくと出血して、サンダルを濡らしていたのである。

痛みを感じなくても血は流れる。車に戻ってティッシュで血を拭くが、そんな事では解決にならない。車を近くのコンビニへ走らせて、息子がウェットティッシュや絆創膏などを買ってきて、サンダルと足に付いた血を拭き、絆創膏で傷口をしっかり押えたら、何とか血は止まった。


(阿字神社奥宮)

応急措置をして、もちろん取材は続けた。岡の上に「見附宿跡の碑」を見つけ、更にその先に、阿字神社の奥宮があった。奥宮は社というよりも、祠というほどのものであった。

「砂山きわに阿ち神下と有り」という、「田子乃古道1」で解読した記述は、この岡が「砂山」で、そこに「阿字神社(現、奥宮)」があり、その直下に「阿ち神下」という字が残るという意味と理解できた。


(中柏原新田、六王子神社)

その後、旧東海道筋を東進し、東田子の浦駅の真ん前で、旧東海道に面している六王子神社に行った。東海道歩きで2度、地蔵巡りで1度、この前を通っているから、来て見ると馴染みの神社であった。この神社の北側に、「六人の神子が身を隠し死する」と伝わる「浮島の湖(沼)」は広がっていたのであろう。

今日は大怪我というほどではないが、自分の血がこれほど流れ出るのを見るのは子供の頃以来であった。往昔の人ならば、七神子の崇りかと、おののくのだろうが、科学の世に身を置く自分は、注意が散漫になるのは年の所為かと、自覚するのみであった。
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