平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「富士野巻狩」招集の書状
「富士野巻狩」招集の書状
昨日、金谷宿大学の「古文書に親しむ」の2講座を終えて、夕方、Nさんが見えて、歴史講座のS先生から、お寺関連の古文書を借りたからと、届けて下さった。沢山の古文書とは別に、表装した古書状の写真が添えられていた。夜、S先生と電話でお話したところ、富士野巻き狩り関連の書状の様だという。ともあれ、解読してみた。
(解読)
抑被仰下處冨士野
御狩御供事遠國御家人者不
及申、近國之侍等於不打立輩者
難遁其科来五月十三日
辰始、可令馳向横澤邊候、存
此趣、半也。可被申觸候。仍状
如件
平義證(三浦義證)
卯月十二日
梶原平三(梶原景時)殿
(読み下し)
抑(そもそも)、富士野御狩り御供の事仰せ下される処、
遠国御家人は申すに及ばず、近国の侍など、打ち立てざる
※ 打ち立つ(うちたつ)➜ 出発する。 出かける。
輩(やから)においては、その科(とが)遁(のが)れ難し。
来五月十三日辰の始め、この趣を存じ、
横沢辺へ馳せ向かわしむべく候わんなり。
申し觸れらるべく候。仍って状、くだんの如し。
平義證(三浦義證)
卯月十二日
梶原平三(梶原景時)殿
解読にあたって色々な疑問がわいてきた。第一、富士野巻き狩りの知識がほとんどない。巻き狩りが「すわ鎌倉」の御家人たちを絡めた大予行演習だったことは、よく分かる。解読では、語順を変えないと理解できない部分もあった。「横沢」は「藍沢」ではないのか。富士野巻き狩りは1193年のことで、今から800年前の話。この書状は果たして本物なのか。それにしてはきれいすぎる。後世の写しなのかもしれない、等々。
読書:「女がさむらい 4 最後の鑑定」 風野真知雄 著
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