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「三河物語 第三 下」の解読 7


(散歩道のヒメヒオウギズイセン)

朝から一日雨、今日で三河物語を終える。依頼を受けた分で、解読したのは、家康の遠州での活躍部分のみ、物語のほんの一部に過ぎない。思うに、「三河物語」は「三河記」よりも古く、三河記は三河物語を下敷きにしたのではないかと感じた。(一部分を読んでみた感じだけで、実際はどうなのか、調べたわけではない)

さて、次に何を読むのか、まだ決まっていない。ST氏から聞いた「雲渓庵日記」を取り上げようかと思ったが、こゝにはあまりそぐわないような気がする。

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「三河物語 第三 下」の解読を続ける。

信玄これを御覧じて、さても/\、勝ちても強(こわ)き敵にてあり。これ程にこゝはと云う者どもを数多打ち取られて、さこそ内も乱れてあるやらんと存知
つるに、か程の敗け(じん)には、か様にはならざる処に、今夜の夜込(やご)は、さても/\したり。未(いま)だよき者どもの有ると見えたり。兎角(とかく)に、勝ちても強(こわ)き敵なりとて、そこを引き退け給いて、井の谷へ入りて、長篠へ出給う。
※ 陣(じん)➜(ここでは)いくさ。たたかい。合戦。。
※ 夜込み(やごみ)➜ 夜、忍び入って敵地を攻めること。

それより奥郡(おくごおり)へ働かんとて、出させ給う所に、ここに薮の内に小城有りける。何城ぞと問わせ給えば、野田の城なりと申す。信玄は聞き及びたる野田はこれにて有るか。その儀ならば、通りがけに、踏み散らせと仰せあって、押し寄せ給えば、打ち立て、辺(あた)りへも寄せ付けず。さらばとて、竹束(たけたば)を付け、持ち立て、亀の甲にて、寄せ懸(かく)る。昼夜油断なく、鉦太皷を打ちて、夜もすがら攻めけれども、日数を(ふ)
※ 奥郡(おくごおり)➜ 室町・戦国時代には三河国渥美郡が奥郡と呼ばれていた。
※ 竹束(たけたば)➜ 中世・近世の軍陣用の楯の一種。丸竹をたばねて楯とし、矢や銃丸を防ぐのに用いる。
※ 亀の甲(かめのこう)➜ 戦国時代に城攻めに用いた兵車で、外面を生の牛皮などで覆ったもの。
※ 夜もすがら(よもすがら)➜ 一晩中。夜どおし。
※ 旧る(ふる)➜ 日数が経つ。

城には野田の菅沼新八郎。松平与市殿の加勢に入らせ給えば、事ともせずして、おわします。然れども、日数もつもりければ、二、三の丸を責めとられて、本丸へ(つぼ)。然る間あつかいをかけて、二の丸へ移して、猪垣(ししがき)を結(ゆ)いて押し込みて、とも寄せして、長篠の菅沼伊豆が人質と、作手の奥平道文が人質と、段峰の菅沼新三郎が人質に、換え合いにて、松平与市殿も、菅沼新八も引き退きけり。信玄は野田の城を責める内に、病つかせ給いて、野田落城有りて後は、切って上(のぼ)る事も成らずして、本国へ引きて入るとて、御病重く成りて、平井、波合にて、信玄は御病死成られける。
※ 事ともせず(ことともせず)➜ 問題にしない。 何とも思わない。
※ 窄む(つぼむ)➜ 狭い所に引きこもって小さくなる。
※ あつかい ➜ 訴訟や紛争の仲裁。
※ 猪垣(ししがき)➜ 竹や枝つきの木で粗く編んだ垣。獣が田畑に侵入するのを防ぐためのもの。また、戦場で敵を防ぐのにも用いた。
(「三河物語 第三 下」はまだ続くが、OE氏依頼の部分は終わるので、ここまでとする。)
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