平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
島田市の神社 2 竹下の大井神社
島田市の神社を巡る散歩の2回目は、11月24日の午後出掛けた。快晴で風がない散歩日和であった。目標は竹下の大井神社である。竹下の集落の一番上流、北の外れにあって、南端に近い我が家からはけっこう遠い。
散歩の目的はもう一つあった。「竹下村誌稿」の編者、渡辺陸平氏の御子孫が住まわれているお宅を探すことであった。
散歩の初めに、そのお宅を探した。話に聞いただけで、地図も持たないで、およその見当をつけて行ってみる。生垣に囲まれて、入口が道路に面しておらず、分り難いと聞いていたから、それらしい御宅に、道路から小道を入って、門前まで行ってみた。多分こゝだろうと、この日は見て帰るだけにした。「竹下村誌稿」をもう少し読み進めてから、改めて訪問してみたいと思った。
(新東名の島田金谷ⅠCの土手が塞ぐ)
竹下の大井神社は、新東名の島田金谷インターが側に出来て、その土手が南側をふさぐ形になって、竹下の集落とはさらに遠くなった感がする。境内で銀杏の木が色付いていた。
金谷町史によれば、
大井神社(竹下)
金谷町竹下12番地にあり、祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、弥都波能売神(みずはのめのかみ)の二柱で、例祭日は10月17日である。社伝によれば、延宝二年(1674)頃、当時の住民が横岡八幡神社から、竹下村の産土神として勧請したという。
境内の鳥居と浄水盤について、「竹下村誌稿」に、以下のように書かれている。
一 浄水盤 一個
明治初年、村内有志献納す。
一 石花(華)表 一基(「石花表」は石鳥居のこと)
大正四年、御即位記念として、氏子にて建立す。
石質は三州御影にして、高さ十三尺余、柱径九寸。
刻して曰く、為御大礼記念、大正四年十一月献納、氏子中。
何れも、文字が刻まれて、判読できなかったけれど、そういう文字が刻まれているのであろう。
なお、「竹下村誌稿」には鰐口について触れられている。
一 金鼓(わにぐち)一個
径一尺余、今常安寺庚申堂に掲げあり。
銘に曰く、
奉掛 大井大明神御宝前、享保九(1724)庚辰天九月九日、
竹下村願成就、願主 金谷横町 柴田清兵衛
しかし、現在、その鰐口は常安寺庚申堂にも見当たらない。どこかに移されているのであろうか。竹下大井神社には、現在、鰐口の代りに大きな鈴が付けられていた。
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