平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
桑原黙斎の「安倍記」 17
昨日に続いて赤い実だが、これはナンテンの実である。庭にもナンテンはあるが、実はほとんど小鳥に食べられてしまう。この実は溝の際の低い位置にあって、小鳥の被害を受けていない。
午前中、Sさんが見える。ブログで、竹下村誌稿の現代語訳にかかっていると書いていたのを読んで、「竹下村誌稿」の画像を納めたDVDを持って来て頂いた。復刻版の「竹下村誌稿」を図書館から借りて読み始めたのだが、いずれ返却しなければならない。DVDをパソコンで見たところ、復刻本よりよほどはっきりと読める。これは有難いものを頂いた。
Sさんは竹下の人だけあって、近辺のことに大変詳しい。しばらくお話をしたが、色々な情報も持って居られるようで、近辺のことで疑問があれば、聞いてみることにしようと思った。
午後、車の点検に行く。お店で、前の担当のYさんと久ぶりにあった。今は保険会社に席を移して、もっぱら車のディーラー廻りをしているとか。定年まで3年で、そろそろ定年後のことを考える時期になったと語る。お遍路にはぜひ行きたいと、本を差し上げたことを忘れてはいなかった。
渋柿23個、1200円で購入。
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桑原黙斎の「安倍記」の解読を続ける。
廿七日、主人を案内者に雇いて、川原に下り、数百歩下れば、左に黒き石ある川原あり。小川を渉り越えて山岸に移る。この谷川流れを黒沢川と呼ぶなり。この奥に石仏とて、山家六、七軒、則ち渡村の小里なり。檜山、から沢山、大嵐山など云う山々、川の東なれども、中平村に属すと云う。
この谷を左に見て峡(かい)しき山路を攀(よじ)て、五丁許り登り、平面なる所に炭焼きける所あり。こゝに憩う。先に渡りし黒沢川の奥山、左に見えたり。これより東へ、尾づるを過ぎ行きて、南の沢へ下り、また峨々たる坂に打ち登る。
※ 尾づる(おづる)- 山の尾が伸びているところを指す。
※ 峨々(がが)- 山などの険しくそびえ立つさま。
このわたり、桟道所々にあり。山崩れにて路なき所あり。如何せんと案じける内、八五(奴)杖にて足の踏み所を拵え、案内の者、崩れに跨りて、我らを繰り渡しに通しける。凡そ十間許り打ち越して、横刈路なり。
これを過ぎれば、火田(焼畑)を作る守舎の本に至る。この前に憩いて息継ぎける。この辺り、熊、猪、鹿、多き所とぞ。烟り吹きて火田を過ぎて、鹿垣を結いたる元に至れば、藤蔓以って割り木、結い付けたる梯子を登りて、垣のあなたへ飛び越しぬ。これよりは路次よろしとて、こゝにて案内は暇して帰りぬ。
※ 火田(かでん)- 朝鮮半島北部の山岳地帯で多く行われた焼き畑。
※ 守舎(もりや)- 小屋。焼畑の番小屋か?
※ 鹿垣(ししがき)- 枝のついた木や竹で作った垣。田畑に鹿や猪などの侵入を防ぐもの。
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