平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「事実証談巻4(人霊部上)」 29 第17話、第18話
雨の降らない日が十日ぶり位だという。今朝から快晴、雨の心配は全く無かった。
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「事実証談巻4(人霊部上)」の解読を続ける。
(第17話)
〇また、笠原庄にも同じきことあり。或る家の主、病死の後、妻一人年老いて有りしが、これも花を好みて、琉球躑躅(つつじ)というものを植え置いて、春ごとの詠(なが)めとせしを、
文化初年(1804)の頃、老女も病死して、空家となりて有りし故、その本家の主、そのつつじを我が庭に移し植えたりければ、それより家内に病い発(おこ)りて、代わる代わる悩み絶えざりける故、物の障りもやあらんとて、占(うらな)わせたりければ、
死霊の祟りなりというに心付き、主(ぬし)知らぬ花と思いて、移し植えしが、しかせしより病あれば、正しく新家老女の祟りかとて、分家の庭にまた移したりければ、本家の人々の悩み、速やかに全快せりとの物語なり。
(第17話おわり)
(第18話)
〇顕世の人の心と、霊の上とは同等(ひと)しからぬ事も多かるにや。或る家の主、家宅の古く荒れし事をいぶせみ、寛政初年(1789)の頃、新たに造り改めしが、もとの家には勝りて麗しく造りなしけるに、
※ 顕世(うつしよ)- 現世。この世。
祖々(おやおや)を祭る霊屋の、古く損なわれしのみか、松、杉の木の類い取り集めて、麗しからぬに、年久しく経たりければ、鼠など咬み散らし、いと/\見苦しきを見て、主、密かに思いけるは、住家を改め造らんには、祖々を祭る霊屋を先とこそ、造り改むべきを、前後せりと思い、
※ 霊屋(たまや)- 死者の霊を祭って置く建物。
俄かに樫(けやき)木を求めて、霊屋を造らしめ、春慶塗にして、その年の七月盆祭りの時、遷し祭りけるを、その家に常に出入者見て、さて/\よき仏壇かな。今よりこの中に遷し祭り給わば、祖々たちも歓び給わん。かく遷し祭り給えば、古き仏壇は取り捨て給わん。荒れたりとも、我々などの草屋に置かん仏壇には、相応の物なれば、我らに下し給われと乞い受けて、持ち帰りしより、
新しき霊屋にて盆祭りしたりけるを、怪しくも主、俄かに狂乱して言いけるは、昔より祭り来たれる霊屋を、他人の方に送り、何とてかゝる霊屋には遷し祭るぞ。とく/\取り戻し遷し祭れ、と怒り罵りけるを、人皆な狂気と思いて、なだめけるれども、聊か鎮まらず、躍(おど)り上り/\て怒りけるに、余(ほか)のことをば更に言わず、明け暮れその事をのみ口走りて、怒りける故、
さては祖々の霊の心に違(たが)いしにや。さるにても、古きを改め、新しく麗しく造りて遷せしを、祟り給うべくも覚えねど、ともこうも、古きを取り返し見よとて、乞い返したりければ、主の狂乱、忽ちに鎮まりしとなん。
寛政後年の頃、そのわたりに行きしまゝ、その家にも立ち寄り窺い見しが、後には新しき方にて祭りすと見えて、位牌数多(あまた)並べ、物奠(たむ)けてはありしかど、古きもまた捨て難く祭ると見えて、新しき霊屋の傍らに、三尺ばかり離れて、横様(よこさま)に向けて、茶碗一つ丸き台に居(すえ)て有りしのみ。外に物なく、ただ傍らに居(すえ)置くのみと見えたり。
(第18話おわり)
読書:「軍鶏侍」 野口卓 著
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