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「事実証談巻4(人霊部上)」 17 第9話、第10話、第11話

(庭のシモクレンの実)

何とも奇妙な形であるが、もう少しする割れて、中から柿の種のような種が出てくる。

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出席した。今日の課題は「山内一豊と中村一氏」、「天正の瀬替え」という、誰も言い出さなかった説である。

まず、「天正の瀬替え」を扱った古文書は一切ない。つまり直接の証拠がない。「天正の瀬替え」のあった天正18年は、秀吉の小田原征伐の後、家康が関東へ所領替えで、江戸へ去り、掛川に山内一豊、駿河に中村一氏が領主として来た、まさにその年で、とても瀬替えのような大工事を始める余裕はなく、その説には無理があるという論旨であった。

「天正の瀬替え」を最初に唱えた資料は「掛川史稿」だが、決して断定していない。天正18年は工事を実施したとされる中村一氏が駿河領主となった年だから、そのように云い伝えたのでだろうとしている。

ところが、いつの間にか、「天正の瀬替え」は既成の事実として独り歩きし、近年瀬替え場所の拡幅工事も、「平成の瀬替え」などと言われている。

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「事実証談巻4(人霊部上)」の解読を続ける。

(第9話)
上郷、鈴木家の下男、滝蔵と云う者、ある夜、人々と物語りするに、たゞ墓所のことをのみ言い出でて、ゆゝしき物語りして臥したりしを、
※ 上郷(かみごう)- 飯田庄上郷。現、静岡県森町飯田。
※ ゆゆしい(忌々しい)- 忌まわしい。不吉である。


その夜の夢に、親里なる妹急死せしと見て、夢は覚めたり。滝蔵思いけるは、宵の程、墓所の談話(はなし)に心移したる故にやと思いて、心にも掛けず、また寝入りけり。
※ 親里(おやざと)- 親元。実家。

さて翌朝人々に言いけるは、宵のほど、墓所の談話せし故にや、しかじかの夢を見て、甚く驚きしと物語りけるに、その日親里より、妹の急死を告げ来たりしとなん。
(第9話おわり)

(第10話)
〇また、天方郷、要蔵と云いし者、享和元年(1801)、そのわたりなる人々と伴い、西国順礼(巡礼)に行きしに、
※ 天方郷(れい)- 現、静岡県森町天方を含む広い地域。

六月廿日の夜、大和国三輪に旅宿せし、その夜の夢に、国元なる姉、病死せしと見て、驚き覚めて大いに怪しみ、伴い行きし人々、かくと語りて心に懸けるを、同行の人々、それは旅の労(つかれ)にて、さる夢見しならん。甚く疲れし時は夢見る事、珍しからずと言いけれども、とかく心に懸り、思い煩いけり。

されども為方(せんかた)なく、人々と共に廻(めぐ)り終り、国に帰りて尋ぬるに、則ち、六月廿日の夜、要蔵の姉、病死せしと聞きて、さては兄弟の(ちなみ)を尋ねて、夢中に告げしならんと歎きしとなん。これ則ち、伴い行きし人の物語りなり。
※ 因(ちなみ)- ゆかり。因縁。
(第10話おわり)

(第11話)
原田庄、西尾某、若年より浄瑠璃を好みたりければ、大坂より来たりし浄瑠璃語りを、とかく世話して、近きわたりに住居せしめ、常に交わり浅からず親しみけり。
※ 原田庄(はらだのしょう)- 現、掛川市原里。

ある時、その浄瑠璃語り、難病にて大いに悩みけれは、時々行きて懇りに訪いつゝ、何くれと心を付けて見扱いしを、長き病にて有ければ、ある
時、西尾某用事ありて、天龍川の西、石田村と云う所に逗留してありし程に、
※ 石田村(いしだむら)- 現、浜松市東区上石田町、下石田町。

ある夜の夢に、かの浄瑠璃語り、そこまで尋ね来たりしと見しを、怪しみつゝ思いけるは、かの者、遠国に来たり住みて、誰と頼み思う人も無きを、我れ常に親しみ深きを頼みて、長病の床にて我を慕いつらん。その故にかゝる夢を見つるか、また難病にてあれば、死去せしならんか、など思いて、翌日、その事を人に語りて有りける所ヘ、飛脚来たりて、かの者死にたりと告げ来たりしと。則ち、西尾某の物語りなりき。
(第11話おわり)


読書:「希望粥 小料理のどか屋人情帖10」 倉阪鬼一郎 著
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