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長源院/本覚寺、宗門出入のこと(5) - 駿河古文書会

(土手のカラシナの花)

今朝、未明の出来事から書く。ブログを書き終わり、寝床でしばらく本を読み、寝入りばなに、外で甲高い犬の声が聞こえた。ムサシは反応していない。等間隔に何回も鳴く。表の方角で、茶畑だから飼犬が入るはずの無い方角である。鳴き続けるから気になって、女房を起こした。女房は寝ぼけて、とび起きてムサシのいる裏へ駆け出した。ムサシじゃない、表の方だと、女房を止める。息子も2階から降りてきて、ケモノじゃないかという。玄関の電気を点けて、開錠し、外へ出てみたら、鳴き声はピタリと止んで、それっきり静かになった。

外へ出てみると、東の空には、月齢23.7の月がかなり明るく見えた。この日の月の出は午前1時17分だからもう3時に近かったのだろう。近くの国道1号線バイパスのインターの灯りが明るく見えた。

朝、記憶が薄れないうちに、ネットでキツネの鳴き声を聞いてみた。予想が当たって、正に同じ鳴き声であった。あの声から、コンコンという擬音を導き出した昔の人の感覚が判らない。甲高い声の中に、飼犬にはない野生の緊張感があった。この地に40年近く住むが、タヌキは良く姿を見たけれども、キツネの鳴き声は初めて聞いた。

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昨日の宗門出入の件の続きで、最終回である。

宗門出入の一件は内済(和解)にて決着した。昨日の文書がその済口証文で、原告である長源院から各所へ通知し、訴状は取り下げることになる。寺院の訴詔手順を知るために、内済後の通知文を以下へ示す。

右の通り、十月十八日御奉行所、落着仰せ付けられ候、次に地頭録所へ届け出、書面左に相記し申し置き候

右の通り、双方得と熟談の上、済口證文、御懸り脇坂淡路守様へ差し上げ、当十月十八日、板倉周防守様御内において、寄合い済口の趣意、落着仰せ付けられ、則ち願い書御下げに成し下され、残りなく内済仕り候、これにより、右
済口写し書面を以って御届け申し上げ候所、件の如し
  卯十月                 長源院代
                        桂堂
   曽我伊賀守殿
       御役人中

   遠州
    可睡斎 御宿寺


まず、訴詔に間を取ってもらった、地頭録所と、江戸で宿として利用した、可睡斎の御宿寺、実際には江戸の美濃輪梅林寺へ内済の済口証文の写しを添えて、内済の旨の通知をした。

右の通り相届け候処、両所より申し付けられ候趣によって、差し上げ候書面、左に御座候

    差し上げ申す一札の事
長源院檀那、沓谷村組頭常右衛門弟、別家久次郎儀離旦改宗之分、同地頭曽我伊賀守殿役所、願い出候処、則ち願い通り申し付けられ、日蓮宗池田村本覚寺にて、宗判致し候に付、寺法相立ちがたく、よんどころなく、右宗判出入、板倉周防守様へ度々押し願い仕り、いよいよ当四月中、地頭所より脇坂淡路守様へ差し出し相成り、双方召し出され、御吟味中に御座候処、扱い人立ち入り内済仕り候、然る処、地頭所不承知の処、段々押し願いなど仕り候段、御上へ対して恐れを顧みぬ致し方と、御録所より御察当請け、恐れ入り奉り候、これにより国元へ引き取り、自分、逼塞仕るべく仰せ付けられ、右御受けの一札として、差し上げ申す所、くだんの如し
 寛政七卯年十月十九日           長源院代
                        桂堂印
    可睡斎
       御宿寺

右は御宿寺へ請け一札差し出し申し候、諸事相済み、則ち返り出で仕り候


通知した御宿寺より、注文が付いたので、さらに一札差し上げた。地頭所が不承知の一件に付いて、押し願いをして、主張を通したことが咎められたことについて、自分(桂堂)が責任を取り、国元へ引き取り逼塞する旨の一札を入れた。訴詔では、長源院の主張が通ったが、ここは傷み分けというところであろうか。
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