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4月17日、室戸岬に向かった快晴の日

(室戸岬の中岡慎太郎像)

4月17日、昨日と打って変わって、快晴の気持のよい一日であった。宿を出て意外と間近に鹿岡鼻が見えた。室戸岬に15キロの所まで来ている。昨日は雨の中、黙々と歩いた結果である。鹿岡鼻の夫婦岩も2度目となると興味も薄れ、先へ進んだ。

その辺りで、昨日雨の宍喰の遍路休憩所で逢った野宿遍路のおじさんに再会した。自分と別れた後、停滞せずに雨の中を歩いてここまで来た。あんまりお天気が良いので、少し濡れたものを干そうと、ここで朝食休憩にしているという。停滞できる自由をうらやましく思っていたが、なかなかそうもゆっくり出来ない事情もあるのかもしれない。昨夜、どこで野宿したのか聞くのを忘れた。

単調な海岸沿いの国道55号線から、椎名、三津と、山側の旧道へ入る。両側に人家が並んでそんなところにも人々の営みがある。前回、飄々とした師匠に軽く追い抜かれたのはどの辺りだったか。あの時、ロッジ室戸岬まで、37キロ歩いてへとへとだった。ロッジ室戸岬の前を通ったが、まだ営業はやっていた。あのおばあさんは今も元気なのだろうか。

今回も御蔵洞に入ってみたが、前回のように心を動かされるものがなかった。景観が変わったわけはなく、もっぱら自分の気持が新鮮でなくなったからであろう。続いて、「ひとり歩き」地図に記されている観音窟を探して、最御崎寺への登リ口を過ぎて、岬を少し回った。そこに中岡慎太郎の銅像が立っていた。高知県の海沿いに、東から、中岡慎太郎、お龍、坂本龍馬、武市半平太、ジョン万次郎の銅像が並んでいるが、これですべての銅像を見たことになる。もっとも桂浜の龍馬像は観光で訪れたときに見たものである。

近江屋で坂本龍馬と一緒に暗殺された中岡慎太郎は、実際には即死ではなく二日間生き延びた。今の医療ならば生き延びることが出来たであろう。この暗殺では龍馬が狙われ、中岡慎太郎はそこに居合わせたので、殺されたくらいに多くの人は感じている。小説や映画やテレビでそんな風に何度もくり返し表現されているからだが、当時の重要度では、中岡慎太郎が狙われ、坂本龍馬はついでに暗殺されたというのが、真実とする歴史家もいるらしい。龍馬については余りにももてはやされて、創られた偶像の部分も多い。


(観音窟-前回お遍路で撮影)

観音窟が見つけられないまま、遍路道を最御崎寺に登り、打ち終わって納経所で聞くと、上り始めてすぐのところにある洞窟が観音窟で、最御崎寺の奥之院になっているという。気にせずに通り過ぎてきた。確かに小さな洞窟があった。人が立っては入れないほど小さいけれども、中の仏像はどのように安置したのだろうと思いながら通り過ぎた。そばまで寄れば、人が入れるほどの大きさであった。弘法大師が「三教指帰」に記した室戸岬における虚空蔵求聞持法修行霊跡は、現在は御蔵洞とされているが、江戸時代にはこの観音窟だったようだ。
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