平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
駿河百地蔵を歩いてみようか
お遍路から戻って、1ヶ月半、足もようやく癒えて、ムサシの散歩にも違和感がなくなってきた。9キロ減った体重も、3.5キロ戻って、65.5キロになった。この辺りで維持して置かないと、元の黙阿弥になってしまいそうである。3度目はどうですかと何度か聞かれたが、しばらくは考えることはないであろう。
お遍路の記録も落穂ひろいをしてきて、話もほぼ尽きた感がある。まだ細かいエピソードはあるとは思うが、ブログで取り上げるほどの量ではない。記録をまとめていく間に付け加えることになるであろう。
梅雨がいつの間にか明けて、暑い夏がやって来た。この夏が峠を越す頃から、歩くことは再開したいと思っている。せっかくダイエット出来た身体を維持するためにも始めたい。一週間ほど前から調べていることがある。家から日帰りで歩き継げる札所を探し、オリジナルの遍路道を作成して、歩くテーマにしたい。そんなことを考えて、資料を集めている。
最初に目を引いたのは、「駿河百地蔵」である。近くは島田市から東の三島市まで、全部で100のお地蔵さんが選ばれている。大きなお寺にある地蔵堂から、地域で管理する小さな地蔵堂まで、旧東海道筋からそれほど脇へ逸れているものは少ないから、10日もあれば歩けるだろうと思う。歩く距離は200キロくらいだろうか。所在も、調査中の3箇所を除いてほぼ地図上で把握できた。
ネットで調べて行くと、駿河一国百地蔵は、昭和7年、静岡市研屋町の顕光院住職、加藤道順師によって制定されたものである。地域々々で由緒ある地蔵尊を、まとめて巡拝するよすがにしようと考え、自らも巡拝をとげながら制定されたものだという。在来の御詠歌があるものを集め、無いところは自ら作歌して、「駿河一国百地蔵菩薩御詠歌」を編集発行された。
世の中に、百〇〇と名の付くものがたくさんある。日本百名山は余りにも有名になってしまったが、百の選び方は衆議に諮ったわけではなく、意外といい加減の部分もある。選んだ人の特権のように、個人的な恣意で選ばれたところもある。例えば、日本百名山の深田久弥は、自分の出身地である福井県の荒島岳を、ちゃっかり百名山に選んでいる。地元の人以外ほとんど知られていない山であるが、百名山を踏破しようと思う人は必ず訪れねばならない。駿河百地蔵にもそういう部分があるのだろうか。巡ってみれば判ることであるが、静岡市内にたくさんの地蔵堂が選ばれている点や、遠隔地がほとんど選ばれていないなど、選んだ人の意図も、巡れば知ることが出来るだろう。
お地蔵さんは、庶民の様々な悩みや苦しみをすくい取って、各々が掛けた願を叶えてくれる。しかも、まるで専門医のように、願望の種類によって専門分野を持っている。四国お遍路でもっとも多く見たお地蔵さんは「延命地蔵」であった。飢饉のあるたびに、延命地蔵へのお参りは激増したであろう。何といっても延命は庶民のもっとも切実な願望であったからである。
百地蔵を巡れば、昔の人々の思いの一端に触れることが出来るかもしれない。
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